第86話 淘汰

「予想外の展開になったようだな」

「……なんでいるのか聞いてもいいか?」


 世界の隙間、精霊界から飛び出して世界樹の前に降り立った俺たちの前には、青髪の青年が立っていた。俺はその顔に見覚えがあったので頬が引き攣るのを自覚しながら、何故ここにいるのかを聞いた。しかし、俺以外の連中は目の前の青年のことなど知らないので「誰がこいつは?」なんて目で見ている。なんなら、全員が敵なのではないかと警戒しているし、完膚なきまでに負けてしまったメイは滅茶苦茶イライラしているので、人間状態にもかかわらず牙を剥きだしにして威嚇していた。


「ニクスの説得、ご苦労だったな。しかし、神々がパっと復活するのではないかと考えていたが、どうやら私が思っていたよりも君は慎重な性格だったようだな」

「それこそ、神王でも現れない限りは、神が復活するだけで世界は滅茶苦茶になると俺は考えたんですけど……そもそも貴方は世界が残るなら人間なんてどうでもいいと思っているからそんなことが言えるんでしょう?」

「そんなことはないさ。ただ……人間ももう少し淘汰されてもいいんじゃないかとは思っているかな?」


 とんでもない奴だ……がこんなことを言っていると知ったら、どれだけの人間が卒倒してしまうか。海という時に激しく荒れて人の命を奪い、時に優しく流れ人の命を救う、気まぐれな存在を象徴したかのような性格には本当に冷や冷やさせられる。その気になれば、俺たちが認識することもできない一瞬のうちに世界そのものを滅ぼしてしまうことができるほどの力を持った存在だ……核爆弾のスイッチを手に持つってこんな気分なのかもな。


「おい、そこを退け」

「メイ、ちょっと落ち着いてくれ。目の前のこいつは──」

「知ったことか。私は非常に機嫌が悪い」


 あくまで俺たちを傷つけないという契約で結ばれているだけの仲だ。メイが俺の命令を聞く義理なんて存在しないが、相手が悪すぎる。

 不機嫌なまま青年に近づき、メイが鋭い瞳でその顔を睨み付けた瞬間、周囲の空気がガラッと変わった。


「──ほぉ?」


 さっきまで穏やかだった海が、突然荒れ狂うかのように顔を入れ替えた海神は、メイに対して面白いと言わんばかりの笑みを浮かべながらその瞳を見つめ返していた。

 海神にとって、神、人間、ドラゴンの区別など存在しない。彼の前ではどんな存在も等しく儚い命でしかないのだから。

 本能的に海神の圧倒的な強さを感じ取ったのか、メイは全力で後方へと飛び退いて一瞬でドラゴンの姿に戻った。恐らく、もっとも近くにいたメイは雰囲気が変わった瞬間に自分が波に呑まれる姿を幻視したことだろう。それだけの存在感が、あの海神からは放たれている。


「彼は、何者なんだ?」


 震える声で俺に聞いてきたのは、いつの間にか俺の隣に立っていた世界樹の精霊であるシルヴィ。彼女は俺たち人間よりも遥かに優れた魔力の知覚能力を持っているからこそ、海神を前に震えることしかできないのだろう。それだけの恐怖を感じながらもその場から離れないのは、逃げたところで無駄なことを理解しているからか。


「名乗っていなかったね。私は……今は名前なんてついていなかったな。とにかく、人間からは海神と呼ばれている」

「原初の神、だと?」


 メイは明らかに動揺していた。自分が喧嘩を売った相手が何者なのかを正確に理解して、自らの命が一瞬で消し飛びそうになっていたことを察したのだろう。


「そう警戒しなくてもいい。トカゲに噛まれそうになったからと言って嬲り殺しにしてから庭を全て燃やすほど怒る人間はいないだろう?」

「いや、どう見てもさっきのアンタは庭に毒をばら撒いてその場にいる生物全てを殺してやるって顔に見えたぞ」

「そうか? まぁ、多少はイラっとしたが……手を出そうと思うほどではなかったぞ」


 そうかなぁ……まぁ、海の神はやっぱり気まぐれで怖いってことだけでも理解できたらいいか。それにしても、海神なんだから海から離れた場所には来ることができないと思っていたんだが、実際はそうでもないのかな。


「それにしても、世界樹を植えたまま放置するあの女は相も変わらずの放任主義かい?」

「大地の女神に対してそんなことが言えるのはきっとアンタだけだろうな」

「そうだな。私は彼女の同格の存在だから、な」


 ドヤ顔で同格であることを誇られてもどう反応すればいいのやら。そして、大地の上でこんなことを言っても出てこないってことは、大地の女神は目の前の簡単に飛び出してくる海神とは違って大人ってことだけはわかった。


「それで、俺たちの経過観察のためだけに来たんですか?」

「ん? いやいや……さっさと神を復活させた方がいいかもしれないって話をしに来てね」

「それは、何故?」

「わからないかい?」


 まさか……いや、でもそんな……嘘だろ?


「おいヘンリー・ディエゴ! 大問題だ!」


 先ほど俺たちを精霊界の外へと戻してくれたばかりのニクスが、今度は空間を割ってこちらにやってきた。ちらりと背後に立っている海神に視線を向けながらも、俺の方へと近寄ってきたことを見るに、トラウマよりも大切なことがあったらしい。


「まさかだよな?」

「そのまさか、さ」

「異界から敵が出発したのを観測した! まさかこんな早く来るなんて思ってもいなかった……クソっ!」


 あぁ……海神がどうやってそのことを察したのか知らないが、どうやら本当に異界の侵略者がやってくるらしい。世界を俯瞰しているニクスがそれに気が付き、俺に教えに来てくれたんだろうが……俺たちになにかできることはあるだろうか。


「敵も神がいないことを理解したからこその侵攻だろうな。ま、私が外に対して神がいないんだぞーって教えたんだけども」

「……は?」


 ニクスは信じられないものを見るような目で海神を見つめていた。

 俺だって驚いている。だって海神やっていることは、世界への裏切り行為……自らが属しているはずのシステムを脅かすような行為だ。


「いいんじゃないか? いっそのこと、異界の侵略者すらも押し返せない生物しかいない世界なんて、失敗だったって烙印を押して次の世界に託してもさ」

「ふざけるな」


 ケラケラと笑いながらも、海神は本気の目をしていた。

 そうだ……何を考えていたんだ、俺は。海神は決して味方なんかではなく、ただ世界の運営しているだけの存在で、彼にとって人間なんて惰弱で数だけが増えている存在は目障りでしかないだろう。だから彼は、異界の侵略者を使って淘汰しようとしているのだ。より強い生命が、発展するように。

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