第74話 ニクス

 単純に考えてやることが増えたと思った方がいいのだろうか。

 まず、世界の安定維持装置さんが暴走しているのを止めなければならない。安定維持装置なら、安定維持装置らしく行動しておけとぶん殴ってやらなければならないことは確かなようだ。そして、安定維持装置をぶん殴った後に考えなければならないこととして、神々が再び地上を巻き込んで争わないようにする必要がある、と言うことだ。

 世界が偽りの平和に閉ざされたままならば異界の侵略者によって滅ぼされ、神々が争えば内側から世界が崩壊する。なんとも面倒くさい話だが……どちらも解決しなければ人間が生きることは、というか世界が残ることは不可能だ。


「正直に言えば、我々の不甲斐なさを押し付けるようなものだと思っている」

「え?」

「神々の問題は本来ならば神々が解決するべきものであって、人間に頼むものではないのだが……ここまで拗らせてしまっては誰かの介入が無ければ収まらないと思っている」

「でも、世界の話ですから人間にだって関係のある話でしょう?」

「そうだな……完全にこの世界の人間であればそうだが、を持った人間だ。だから、これは第三者に介入してくれと情けなく頼み込んでいるようなものだ。原初の神が、聞いて呆れるだろう?」


 えーっと……やっぱり神って言っても万能の存在ではないんだな。そこには少し安心してしまったよ。


「確かに俺は異界の魂を持っているかもしれないですけど、それでも俺はこの世界で生まれ育ったつもりです。勿論、異界で生きてきた記憶を手放すつもりもないですし、だからと言ってこの世界のことは関係ないからと放置する訳でもありません」

「ふむ……確かに、君の言う通りだな。この世界で育ったものはどうなろうがこの世界の存在か……魂だけで勝手に決めてしまうのは君に対して失礼だったな」


 いや、失礼とかではなくて、単に勘違いしてますよってだけの話だからな。

 それにしても、その世界の安定維持装置さんが俺をここに近づけたくなかった理由がよくわかった。きっと目の前にいる海神は、荒れたり穏やかになったりする海のように気まぐれな存在なんだと思う。気に入った相手がいれば簡単に姿を現すし、逆にそんな存在が現れなければ永遠に出てくることはなかっただろう。俺をここに近づけたくなかったということは、俺が少しは海神に気に入られることがわかっていたのだろう。伊達に世界のシステム側にいる訳ではないってことなのかな。


「君は常に監視されているようだが……くく、随分と臆病になったものだな」

「いや、貴方たちのせいでしょ」

「その通りだが、昔はあんなに自信満々で……私がお前たちの喧嘩を止めてやると言いながら突っ込んでいったというのに」


 面白くて仕方がないと言わんばかりに笑う海神に、俺は何にも言えなかった。こういう人間の感性と近い所を見せらると逆にちょっと不安になると言うか……超常の力を持っている存在が人間と同じような動きをしていると違和感しかないんだよな。結局は人間の恐れから生み出された偏見であって、神々だってこうして生きている存在なのだから感情の機敏があったりするのが当たり前ではあると頭ではわかっても、やはり超常の存在はなにがあっても顔色を変えない厳かな存在、みたいなイメージがついてしまうものだ。

 俺の目の前で笑いを堪えている、って感じの海神を見ているとそんなイメージがゆっくりと消えていくような感じがする。世界の安定維持装置として生まれたそいつも、きっと感情の機敏が人間のようにあるのだろう。だから、神々を恐れているし、異界の侵略者に対しても怯えているのだろう。


「ふぅ……では、最後に最も大切なことを伝える」

「大切な、こと?」

「そうだ……お前がぶん殴ってやりたいと考えている相手のことだ」


 ぶん殴ってやりたい相手……なんでわかるのか、は聞かないくてもいいか。と言うか、さっきまでの話を聞いてぶん殴ってやりたい相手は1人しかできないだろうし。


「あやつは世界の隙間に完全に隠れてしまっている。ボコボコに殴ってやるにはその隙間に入り込むか、こっちに引きずり出すしかない」

「ボコボコって……いや、続けてください」


 正直、さっきまでの話を聞いている限り、俺はそこまでボコボコにするつもりはなくなってきたんだけどな。最初は神様気取りで世界を支配してい高笑いしている奴をイメージしてたんだけど、色々な話を聞いた結果、出来上がった想像図はプルプルと震えながら怯えるチワワだ。正直、チワワをボコボコに殴ってやりたいかと言われると……そうでもない。


「で、ここではっきり言ってやるが隙間から引きずり出す、これは不可能だ」

「それは、どうして?」

「そこがあやつの領域だから、とでも言おうか。とにかく、隙間からあやつをそのままずるりと引きずり出す方法なんてないと思った方がいい」

「そうなると、こちらから世界の隙間に飛び込んでいくしかないと?」

「そうだ。しかし、それに関しても危険はある。世界の隙間というのはそもそも人間が入り込める場所ではない。無造作に踏み込めば存在が保てなくなってあやつに出会う前に分解されて塵になるだろうな」


 じゃあ無理じゃん。

 入り込むのも引きずり出すのもできなかったら、そもそも殴ることもできないじゃないか。


「どうすればいいんですか?」

「そう焦るな。存在を保てないのならば、しっかりとお前の目的を設定して保たせればいい。隙間というのはそう言う場所だ」

「目的を設定する?」

「そうだ。そして、その為に必要な情報を今からお前に伝える。これが最も大切なことだ」


 最も大切なこと……それを知ることができれば、俺は隙間に入り込んで安定維持装置さんをぶん殴ることができるってことか。原初の神ってすげー。


「ニクス……それがあやつのだ」

「……名前?」

「そうだ。今、お前はその名前を知り、そしてあやつの過去を知った……これで既に縁が結ばれている。その縁を辿っていくことで、存在を保ったまま世界の隙間であやつに対面することができるだろう」

「ニクス……それが、俺の殴る相手の名前か」


 名前……確かに、それは言葉では表すことのできない神秘的な力を秘めたものではあるだろう。その名前を知ることで、俺は世界の隙間に入り込んでも縁を掴んで存在を保つことができるようなった……らしい。

 そもそも世界の隙間なんてものを初めて聞いたのでどこまで本当かわかりもしないが、なんのヒントもないまま歩くよりはマシだ。そう考えておこう。

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