第58話 喧嘩は買う
俺は野生のシルバーウルフというのを見たことがない。なので、家の周りをぐるぐるを歩き回っているグレイが通常のシルバーウルフと比べてどれくらい異常なのかが、俺には理解できない。わかっていることは、リリエルさんやリュカオンから聞いた話から推測できることだけで、グレイは通常のシルバーウルフよりも遥かに大きく育っているってことだ。
「こら、舐めるな」
グレイのことを観察していたら、なんの用だと言わんばかりに近寄ってきて俺の顔を舐め始める。その為に伸ばされたグレイの舌の大きさが、既に人間サイズである。俺がグレイを拾ってからたった1年で、この成長スピード……やはり世界樹の恩恵がそれだけ大きいと言うことだと思う。まぁ、植えたかぼちゃが俺より大きく成長していたからびっくりしたしな。
シルバーウルフは森の奥地に住んでいる希少な種族だと聞いたが、戦闘能力もとても優れたものだと思う。少なくとも、この世界樹の周辺に近づいてくるモンスターでは既に相手にならない程の強さに成長しているし、ドラゴンであるメイだってあんまりちょっかいをかけないぐらいの存在にまで成長しているようだ。いや、メイに関しては人間の姿にさせられた時に追いかけられたトラウマかもしれないけど。
グレイの身体がここまで大きくなると、そこそこしっかりとした飯を食べさせてやらないと駄目だよな、なんて思っているのだが……少し前に派手なことをしたばかりなので心情的にマグニカに入りにくいのだ。
マグニカに気軽に行けないとなると、必然的にこのセルジュ大森林の中で物資を俸給するにはラクリオン商会と取引をするしかないのだが……そちらも中々気まずいことになっている。どちらも自業自得と言えばそうなのだが……なんとかならないものかと思っているのだ。
そんな俺の心情なんてお構いなしに、ラクリオン商会はこの森の中までやってくる。いつも通り獣人族からビスト鉱石を買い取っている姿を眺めながら、俺はこちらに笑顔で近づいてくるクレアを見て憂鬱な気分になっていた。
「お話、しましょうか」
「勘弁してくれ」
「こちらのセリフなんですけどね、それ」
まぁ、評議会議長の娘としては俺たちがやったことの方が勘弁してくれってことであることは間違いない。いくら相手が犯罪組織とは言え、街中で平然と破壊活動をして多数の死者を出しているのだから俺たちがやっていることは評議会としても見過ごすことはできないだろう。しかし、世界樹の近くに住んでいる存在とは不干渉を貫くべきではないかと思っている評議会としても手を出しにくい相手であることには間違いない。俺たちの方からマグニカに手を出してるじゃねぇかって部分に触れられると弱いかもしれないけど、それでもメイの存在を考慮して評議会は大きく動くことができないのだろう。だから、実力ではなく言葉で俺に意見することができるクレアがラクリオン商会を率いてセルジュ大森林に入ることを許可しているのだろう。
今のクレアはラクリオン商会の会長というよりも、評議会の意見を俺たちの所に持ってきて、俺たちの意見を評議会に持っていくパイプ役みたいなものだ。
「そういえばヘンリーさん。マグニカでもう気を付ける必要はなくなりましたよ? 犯罪組織のタナトスっていう連中が何故か壊滅してしまったので」
「そりゃあいいことだな。街の治安がよくなるってのは誰にとってもいいことだろう? これで市民も安心して眠ることができる街に戻った訳だな。いやー、めでたしめでたし」
「……これ以上は本当に庇えませんよ?」
評議会議長の娘であり、俺たちと直接の取引をすることができる現状では唯一の存在であるクレアからの最終警告と考えていいだろう。彼女も俺たちのことをなるべく庇ってくれていたようだが、やはり短期間で派手に暴れすぎたってのが問題だな。
「街では誰がやったか知らないけど、犯罪者を倒したならヒーローだって崇める人が出ているんですから」
「そりゃあ……由々しき事態だな」
治安維持を担当する組織がマグニカには存在している。警察のような組織なのだが……彼らはきちんと法律に則って動いているので、やはり行動の初速が遅い所はある。だから、民衆からすると誰か知らないが正義の味方が犯罪組織を潰してくれたのならばそれでいいじゃないかと思う。これが問題なのだ。
「そのまま放置すれば人は簡単に暴走する。正義の為にやっていることだから許される。これは正しいのだから、何をしても許される……人間は自らが正しいと信じた時、どこまでも残酷で冷酷になることができる」
「その原因になりかけている人が何を言っているんですか」
本当に申し訳ない。
俺がタナトスを潰したのは喧嘩を売られたから。正義感なんてなく、ただムカついたから潰しただけなのだが……民衆はそう考えない。誰かがタナトスという犯罪組織を潰す為に正義感を持ってやったに違いない。評議会が動かないから、きっと誰かが……民衆は顔の見えないヒーローをそうやって勝手に持ち上げるだろう。
法律というのは、人間が社会と言う大きな共同体の中で協力して生きていくために存在しているものだ。それを正義感だけで犯すものが現れたら……大変なことになるのは言わなくもわかることだ。
「評議会のほうで、タナトスの建物を破壊した連中を調査して指名手配ってことにはできないのか?」
「民衆だって頭ではやっていることが犯罪であることはわかっていても、わかりやすい悪を倒した謎のヒーローをいきなり指名手配なんてすれば、それこそ支持を一気に失いますよ」
うーむ……政治ってのはある程度の人気取りをしないといけないからな。俺にはできる気がしないのだが……評議会のメンバーもきっと苦労していることだろう。多少の被害に目を瞑っても、ゆっくりと時間をかけてタナトスを追い込むつもりだったのはそういう所も関係しているのだろう。
「これっきりにしてくださいね? 本当に、次になにかをした時は……下手すると全面戦争になるかもしれないんですから」
何度も、俺と言う個人に好き勝手に暴れられては評議会としての面子を潰されるようなもんだ。今回は相手がしっかりとした国際的な犯罪組織だからことを大きくしなくても済むが、これがグレーゾーンの奴だったら……俺は喧嘩を売られたら絶対に勝って壊滅させるだろうが、評議会としてグレーゾーンの連中を潰す為に街を滅茶苦茶にした俺たちを、許すことはできなくなるだろうな。
「反省したから、グレイ用の肉を用意して欲しいな」
「……反省しているようには全く見えないんですけど」
ある程度は自制するけど、今回みたいに真正面から喧嘩を売られて買わない訳にはいかないからな。
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