第43話 寒い朝の日常

 俺が隠居を初めて数ヶ月の時が経とうとしている。春の終わりに隠居宣言をしてからここまでかなりの問題にぶち当たってきた気はするが……開拓者として仕事をせずにほぼ1年を過ごすことができたので当初の目的は達成しているのではないかと思って来た。

 セルジュ大森林……と言うかマグニカを含むこの辺の地域は冬になるとそこそこ雪が降る。何メートルも積もることはないが、ちらちらとそれなりの頻度で雪が降るし、寒い日はそれが数センチ単位で積もることが多い。

 今日、朝から寒いなぁと思いながら起きて外を見たら明らかに10センチ以上積もっていたのでちょっと驚いてしまった。よく降るとはいえここまで積もることはあんまり多くないので、久しぶりに本格的に雪が降ったのだと思って外に出てみると……世界樹を中心とした広場が真っ白に染まり、そこにぽつぽつと足跡が残っていた。


「……グレイ」


 まだちらちらと雪が降っている中、足跡を残しているのは大きな犬になっているグレイ。雪に興奮して外を走り回っていたらしいが……そこまで興奮するほど野生を忘れたか、それとも単純に雪が好きなのか。

 俺が名前を呼ぶと一直線にこちらに向かって、興奮冷めやらぬまま飛びついてきた。既に足も身体も結構水分と吸い取っていたせいで俺の服は濡れてしまったが……グレイが楽しそうなのでよしとしよう。


「寒いのによくそんな元気でいられるな」

「おはよう、シルヴィ」


 常緑樹である世界樹にとって冬はそこまで厳しいものではないのかと思っていたんだが、精霊であるシルヴィは冬になってから動きが明らかに鈍い。どうやら単純に寒いのが苦手らしいが……これでも数千年生きているはずなんだが、これを毎年やってるのか?


「情けないことだな」

「お前はもうちょい寒がれよ」

「ドラゴンを舐めるな」


 夏と全く変わらない薄着の状態で平然と外を出歩いているメイに驚きなんだが、ドラゴンは寒い暑いをあんまり感じないようにできているらしい。まぁ……口からあんな火炎ブレスを吐くような奴が暑い寒いに敏感な訳はないのかとちょっと自分で納得しかけたが、それはそれとして薄着で雪の中を歩いているのを見るとこっちが寒くなるからもっと厚着をして欲しいものである。

 森が雪化粧によって美しく変化している訳だが、俺たちの日常が滅茶苦茶変わることはそうない。セルジュ大森林の開拓が禁止されてから人間が近寄ることは殆なくなったし、なにより強力なドラゴンが住み着いているという噂が出回っているらしいからな。そりゃあ、まともな精神をした人は近寄らないだろうな。


「こんな朝早くから元気なものだな」

「それ、早朝から世界樹にお祈りに来ているリリエルさんにだけは言われたくないんですよね」

「森の守護者として世界樹様に祈りを捧げるのは当たり前のこと。そしてセルジュ大森林にお前より長く生きているから、このくらいの雪など苦にもならん」


 エルフも寒さに強いのか? まぁ、メイと違ってしっかりと厚手の服は着ているけど……それでもちょっとは寒そうな仕草を見せてもいいのでは? リリエルさんは基本的に集落の外を周回して仲間の安全を守る見回り役だから寒さに慣れているのかもしれないけど。

 世界樹の本体に祈りと魔力を捧げるリリエルさんを見つめていたら、シルヴィが空を見上げていた。


「どうした?」

「……この寒さだと、随分と葉が落ちそうだと思ってな」

「葉が?」

「あぁ……なんだかんだと言っても、寒いと葉が落ちる」

「常緑樹の癖に?」

「なんだそのジョウリョクジュとは……寒ければ誰だってそうなるだろう」


 いや、樹木と喋ったことないから知らんよ。

 それぞれと朝の挨拶をしていたら、背後でいきなり暖炉に火が付く音が聞こえた。アルメリアかマリーが起きてきて、速攻で火をつけたんだろうが……やはり人間的な寒さの感性を共有するなら人間だけだな。


「屋根の雪は落とさなくていいのか?」

「それは昼にやる。流石に今からやるより外の気温も上がってると思うから」

「そうだな……しかし、雪は強まりそうだぞ」

「は?」


 マジで? 異世界転生してから天気予報がなくなって滅茶苦茶不便だなーと思ってたんだけど、シルヴィの天気予報はどれくらい信用していいのか。でも人間じゃわからないなにかを世界樹の精霊は感じ取ってるかもしれないしな……多少は信頼してもいいかもしれない。しかし……雪が強まるとしても流石に朝から雪下ろしはしたくないと思ってしまうのは、雪が大して積もっていないからか。積もっていると言っても所詮は10センチちょっとだしな……そんな必死になって雪下ろししなくても家は潰れないだろ。面倒になったら魔法で溶かしちゃえばいいし。

 寒いのでさっさと家の中に戻ると、暖炉の前で毛布にくるまりながら温まろうとしているアルメリアの姿があった。そんなに寒いならもう起きてこなければよかったのにとちょっと思いながらも、アルメリアの肩に触れる。


「おはよう」

「…………おはよう、ございます」

「おぉ、生きてるか?」

「……大丈夫、です」


 さ、寒さに弱すぎるだろ。開拓者として様々な環境に向かって行くことが多いはずなのに、こんなに環境に弱くて大丈夫なのか? 開拓者としての師匠だからそこら辺が滅茶苦茶気になるけど……今まで大きな怪我をしてきたことがないから多分大丈夫なんだろうな。よし、そういうことにしておこう。

 それにしても……マリーは一切起きてこないな。冬眠でもしているんじゃないかと思うぐらいには起きてこない。元々朝には弱いタイプではあったけども、ここはマグニカより冷えるから……多分そういうことなんだろうな。


「おい、朝飯を要求する」

「図々しいドラゴンだな……外で獣でも食ってこい」

「断る。人間の食事というのはいいものだろう? 人間のそういう謎の探求心は気に入っているぞ……なにせ私にも恩恵があるからな!」

「自分が嬉しいだけじゃねぇか!」


 なにが人間の探求心は気に入ってるだ……全く、仕方のないドラゴンだな。マリーとアルメリアが使い物にならないから、俺が普通に飯を作るか……いや、普段から結構俺が作っている気がするけど。

 アルメリアとマリーのことを寒さに弱いって言ったけど、俺もそこまで強い訳でもないからな……温かいスープでも作るかな。一日の作業はもう少し温まってからにしよう、うん。

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