第17話 情けは人の為ならず

 ある日、俺が世界樹の根元でグレイと一緒に寝転がっていたら、グレイがなにかに反応するように身体を起こして周囲の匂いを嗅ぎ始め、次に草むらが急にガサガサとうるさくざわめいた。明らかになにかが近づいてくる気配に、グレイは牙を剥きだしにして低く唸り始めるが、俺が顎を撫でてやると大人しくその場に伏せた。

 俺にはグレイのような敏感な嗅覚はないが、今の音でこの場所に向かっている存在の大きさは理解できた。人間ぐらいの大きさ……いや、恐らくは人間だと思う。

 俺の予想を肯定するように、草むらを抜けてやってきたのは……全身が血まみれの男と、それを支える女だった。


「人間っ!?」


 しかし、男女の特徴的な点はその頭に生えている獣の耳と、腰ぐらいから伸びている尻尾のようなもの。男の方がグレイに似た狼のような耳と尻尾で、女の方は金色の狐耳と尻尾……リリエルさんが言っていた獣人族で間違いないだろう。


「ぐっ……下がってろ、ユウナ」

「お兄ちゃん!? その傷で無茶したらダメだよ!」


 人間である俺が世界樹の根元に座っていることに気が付いた獣人は、牙を剝きだしにして威嚇してきた。兄妹らしいが、男の方は妹を下がらせながら血まみれの状態でも全く闘志を失わずに武器を構えながら牙を見せる。握られている武器は骨を削ったような大刀で、斬るというよりは叩き潰す用の武器に見える。

 血を流しながらゆっくりと近寄ってくる男に対して、俺がどうしようかと黙って悩んでいたら、伏せていたグレイがゆっくりと起き上がって俺の前に立つ。


「シルバーウルフ……人間が飼っているのか?」

「そんな……今のお兄ちゃんにシルバーウルフなんて」


 子犬みたいな大きさだったグレイは、短期間で急成長している。以前は抱きしめてやると俺の腕の中にすっぽりと納まっていたのに、今では俺の身長より少し小さいぐらいの巨大犬になっている。同時に、世界樹に近寄ってくるモンスターを普段から飼っているせいで、戦闘技術もどんどん磨かれている。今では自分よりも大きなモンスターでも平気で殺してくるぐらいだ。


「がぁぁぁぁぁぁっ!」

「グレイ」


 気合を入れるように男が叫び声を上げながらグレイに向かって突っ込んでくる。それを見て、明確にグレイの瞳に殺意が浮かんだのを察した俺は名前を呼んで制止する。邪魔すんなよみたいな目でこっちを見つめてきたが、有無を言わさずに飲み込ませる。

 男が振り下ろした大刀をひらりと躱したグレイは、そのまま腕を蹴って飛び上がり、背中に向かって思い切りのしかかった。攻撃とも言えないじゃれつくような動きだが、全身から血を流し続けている男にとっては激痛が走るような攻撃だったらしく、そのまま地面に倒れ伏した。


「お兄ちゃんっ!」

「シルヴィ」

「なんだ騒がしい」


 珍しく精霊の姿をしていなかったシルヴィは、どうやら眠っていたらしい。世界樹の幹からふわりと神秘的に現れ、自分の根元で何が起きているのか大体把握したらしいシルヴィは、溜息を吐きながら手の中になにかを出現させた。


「ほれ」

「……なにこれ」

「どう見ても果実だろう。世界樹の果実……まだ完全に熟してはいないが美味いぞ?」


 まぁ、世界樹の葉から絞り出した雫だけでグレイの傷を治したんだから、熟していない果実でも同様の効果が得られるのは理解できるけども……果実って樹木が繁殖する為にあるもんだろ? 世界樹って実をつけるんだ、と思って。

 取り敢えずは皮を簡単に向いてから中身の果肉を取り出す。熟していないと言っていた通り、少し渋めの匂いがするが……命には代えられないだろう。


「お兄ちゃんを、助けてくれるんですか?」

「別に最初から攻撃するつもりなんてなかったしな。黙ってた俺が悪いんだけどさ」


 血まみれだからどうしようかと迷っていたが、まさかここまで傷が深いとは思っていなかった。倒れている男をよくよく観察してみれば、右腕は千切れかけているし、足の指も何本か失われている。片目も失明しているようだし、骨はバキバキに折れて内臓もぐちゃぐちゃだろう。生きているのが不思議なぐらいだ……獣人だからなのかもしれないが。

 果肉を更に握り潰して果汁を絞り、口の中に入れる。まだ意識はギリギリ残っているようで、口の中に入ったものをそのまま飲み込んでくれた。


「君は残りの果汁を全部飲ませてやってくれ。シルヴィは家から包帯持ってきて」

「仕方あるまい」


 千切れかけている腕がそのままくっつくことはないだろうから、しっかりと包帯で固定してやらないといけない。失った目と足の指は……世界樹の果実がどこまでの効果を持っているかによるな。少なくとも、人間の持つ魔法の力ではそんな再生はできない。

 ユウナと呼ばれていた少女に果実を渡してから、俺は治癒ヒールを発動する。単独で未開の地を開拓していた俺にとっては、必須の魔法だったので苦手ではない。こんな重傷を治癒ヒールだけで治すことはできないが、世界樹の果実と合わせればなんとかなるだろう。


「包帯を持ってきてやったぞ」

「早いな……右腕が千切れかけてる部分を固定してやってくれ。固定すれば俺の治癒ヒールでなんとかなる」


 全身に刻まれている傷をよく見ると、鋭い歯型がついたり、噛み千切られた跡が残っている。どうやら人間がつけたものではなさそうだ。しかし、人間がつけたものじゃないとすると……凶暴なモンスターでも付近にいるのだろうか。グレイが怪我を負って世界樹の元にやってきたのも、そのモンスターに襲われたからとかなのか? よくわからないが……今はとにかくこいつを治してやろう。


「う……にん、げんが……何故、俺たちを、助ける」

「もう喋れるのか……大した生命力だが、今は黙って治されておけ」


 獣人というだけあって、人間よりも遥かにタフだな。人間ならこの失血量、とっくに死んでいるだろうし……そもそもそれ以前に、痛みのショックで死んでいるだろう。

 俺に言われたことで納得したのか、口と目を閉じてそのまま横を向いた。

 それにしても何故助けるのか、なんて言われてもな……俺は助けたい奴を助けて、見捨てる奴は見捨てるだけだ。わざわざ世界樹の所までやってきて傷を治そうとする奴ぐらいは、俺が治してやってもいいかと思っているだけで、大した理由はない。ただ……人に優しくするといつか返ってくると俺は勝手に信じてるからやってるだけだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る