第4話

 朝一番に巣を出て腹ごしらえし、直ぐにチュンに会いに行く。それから談笑し、無理やりにでも餌を食べさせる。夜暗くなるまで側にいて、チュンがうとうとし始めたら自らの巣に帰る。そんな毎日を送った。チュンは相も変わらず、ご主人さま、ご主人さまと鳴いていた。その隣で、アオは負けじとチュンの名を呼ぶ。チュンに付けてもらった、アオという名を呼んでほしくて。

「くちゅん」

 チュンが小さなくしゃみをした。

「大丈夫ですか。風邪かな」

「平気ですわ。そういえば、最近寒くなってきましたわね。もう冬がすぐそこまで来ているのかしら」

 冬。

 その現実に気づいて、背筋が凍った。何と愚かなことか。今の今まで、頭から消えていた。

「どうかされましたか?」

 心配そうに顔を覗き込まれて、慌てて取り繕おうとしたが無理だった。

「僕は、渡り鳥なのです。冬になったら、山を下りなくてはいけません」

 夏は高地、冬は平地で過ごす。それが、遺伝子に組み込まれた定めだった。

「それでは、もうお別れなのですね…」

 別れ。アオの頭の中に全く無かったその二文字が、深く突き刺さった。

「僕と一緒に、街へ行きましょう」

 身を乗り出して、訴えた。離れるなんて考えられない。それに、チュンを独りにはしたくなかった。

「嫌よ…明日にもご主人さまが迎えに来てくれるかもしれないもの…」

 はっきりと拒絶されたことが悲しかった。今までの日々を否定されたかのようで苦しかった。結局いつまで経っても、ご主人さまの代わりにもなれない自分が悔しかった。そんな様々な思いがぐちゃぐちゃに絡み合って、絡みついて、解けなくなって。

「…チュンさんのご主人さまは、亡くなったのです」

「…え、」

 沈黙。

 ゆらり、とチュンの瞳に映るアオの姿が揺れ歪んだ。

「嘘よ、そんなの嘘に決まっているわ!」

 言葉とは裏腹に、チュンはそれを理解していた。理解して、泣き崩れた。チュンは痛いほど知っていた。主人の身体が悪いことを。何故なら、身体が悪くなったからこそ、チュンは主人と共に都会からこんな山奥に越して来たのだから。

「ごしゅじんさまぁぁ……」

 アオは恐る恐るチュンに近づいて、初めて、籠の中に一歩入った。そしてガラス細工を扱うように、そっとチュンに触れた。

「僕がそばにいるから、ね?」

「…アオは、いなくならない?」

 細く小さな声。

「うん、勿論。ずっと、そばにいるよ」

 チュンが、ほんの僅かにアオに身を寄せた。この羽の中の宝物を、守り抜こう。そう誓った。

「そばにいる」


 *    *    *


 しんしんと降り積もる雪。冬は願い虚しく深くなる。日に日にアオは弱っていった。しかしチュンはそれには気づいていない。それはチュンが鈍感なのではなく、アオが気づかせないように最大限の努力をしていたからであった。

 朝起きて、目が覚めて。その瞬間から…否、夢の中でさえも、アオの脳内はチュンでいっぱいだった。チュンで満たされて、チュンのために生きて、チュンに染められた毎日が、幸せで幸せだった。

「早く、会いに行こう」

 ピョロローリッ。一声鳴いて、巣を飛び立った。最近食欲が無かったが、おかげで食事することなくチュンの元へ直行できるから、むしろ嬉しいくらいだった。今この瞬間も、チュンは一羽でいることを寂しがっているかもしれない。僕が来るのを、今か今かと待っているかもしれない。そう考えると、一秒さえ惜しくて、アオは感覚の消えた翼を目一杯はためかせるのであった。

「チュン、」

 何かが、おかしかった。何処か、いつもとは違っていた。ぼとり、と大樹の根元に墜落して、雪に埋もれたまま、もう、指一本動かせなかった。

「チュン」

 美しい、捕らわれの姫。君を想う。君で一杯のまま、目を閉じる。静かに降り積もる雪は、その小さな命を覆い隠した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る