第2話

 アオはあれから毎日、チュンの元を訪れていた。

「こんにちは」

「アオさん。こんにちは」

 いつものように窓枠にとまると、籠の中でじっとしているチュンの顔を覗き込んだ。美しいことに変わりなかったが、心なしかぐったりしているように感じる。

「どこか具合がわるいの?」

 そう訊ねると、チュンは弱々しく首を横に振った。

「ご心配おかけして、ごめんなさい。大丈夫ですわ」

 しかしそれから、日を経るごとにチュンはどんどん弱っていって、遂には傍目にもやせ細っているのがわかるほどになってしまった。精巧な細工が施された美麗な鳥籠の中で横たわる姿は、さながら捕らわれの姫というようだ。

「いい加減、教えてはくれないの?…僕はそんなにも、頼りないのかな」

「違いますわ。アオさんはとっても優しくて頼れる方です」

 慌てるチュンを見て、自分が責めるような言い方をしてしまったことに気づく。

「ごめん。でも、チュンさんが心配なんだ」

 躊躇うように宙をさまよっていた視線が、真っ直ぐアオに定まると、意を決したように重い口を開いた。

「実は、ご主人さまが会いに来てくれないのです」

「ご主人さま…チュンの飼い主のことだよね。もしかして、餌もらえてなかったの?それなら早く言ってくれれば、僕が餌を」

「違うわ、餌はもらえている。使用人さんが届けてくれる」

「じゃあ、何でそんなに痩せているの」

「ご主人さまに会えないのよ…食べ物なんて、喉を通らないわ」

 けぶる瞳。その姿に、アオは生まれて初めての感情が自分の中にふつふつと湧き上がってくるのを感じた。黒くて、醜くて、それでいてどこか切ない。

「きっと、捨てられたんだよ」

 嘴から、言の葉が零れ落ちていた。

「ご主人さまが、私を、捨てた…?」

 両の目からぼろぼろと溢れ出る涙を見たとき、アオはどんなに後悔したことだろう。

「ごめん」

 ただ、それしか言えなかった。


 *    *    *


 その日アオが窓枠にとまると、異変を発見した。

「チュンさん、何で開いているの」

 挨拶も忘れてそう問い掛けた。いつも閉じられていたチュンの鳥籠の扉が、開け放たれていたのである。

「今朝、使用人さんが開けていったの」

「どうして、そんなこと…」

「もう、私がいらないからですわ…」

「…っ。そんなことは」

「使用人さんは言ったのです。『これで貴方は自由よ。お好きなところへ、お行きなさい』と」

 返す言葉が、見つからなかった。

「好きなところなんて…ここだけなのに」

 ぽつり、と呟いた表情はとても儚げで。

「ずっと籠の中で生きてきたのでしょう。外の世界を一緒に見に行きませんか。世界はとても広いんです、きっとどこかに、チュンさんも好きになれる場所があります」

「ごめんなさい。お気持ちは嬉しいのですけれど…」

 チュンは頑なに、まるで目には見えない扉があるかのように、籠から出ようとしなかった。

「私にとって大切なものは、全て此処にありますから」

 説得を諦め一旦巣に戻ったアオは一羽、月を前にチュンを想った。あの様子からして、チュンは今後もあの籠を出ようとしないだろう…。ならばせめて、チュンの寂しさを少しでも和らげてあげよう。毎日会いに行こう。なるべく長く一緒にいよう。食べ物だって、とっていこう。それから、外の世界の話をしよう。今まで自分が見てきた様々な風景を伝えよう。そうしていつか、チュンが籠を自らの意志で出てくれたら、そのときは。


 ピョロロロロ―――


 高く鳴く。誓いを込めて。

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