ラビリンス

生地遊人

第1話 ミノタロウのはなし

 東京の西、青梅市は井中という小さな地区に鎮座する川津神社の境内には『血垂の井戸(ちたらしのいど)』と呼ばれる古い井戸がある。


 このあたりの水脈は地中の非常に深いところを流れており、かつ土が脆いため、垂直に掘ろうとすると穴が途中で崩れてしまって掘り進むことができない。なので地面の柔らかい層をすり鉢状に削り、硬い粘土の層を露出させてから垂直に掘ることで地下水に届く井戸を掘る。すり鉢穴の下まで降りていくための坂道が上から見ると渦を巻く。これは古代の井戸の形式であり、血垂の井戸も古墳時代まで遡るものだという。この近辺では貝塚も出土し、井中には非常に古くから人が住んでいたことがわかる。


 この井戸にはむかし、ミノタロウという鬼が住んでいたと言われている。百姓の娘が飼っていた牛とねんごろな仲になり、牛の子を身籠った。生まれた赤ん坊は、体は人の子だが頭は牛だった。父は怒りに任せて牛を殺し、赤ん坊を井戸に投げ込んでしまった。(あるいは、赤ん坊は普通の見た目だったが、子を産んだ娘に父親は誰かと尋ねると、飼っている牛だと答えたので怒った百姓は赤ん坊と、切り落とした牛の首を井戸に投げ込む)

 悲しみで気がふれた娘は、赤ん坊のために毎日、井戸の中に自分の乳を滴らした。なのでこの井戸は『乳垂の井戸(ちたらしのいど)』と呼ばれるようになった。


 ところが赤ん坊は井戸の中で生きており、母の乳を飲んで成長すると井戸から這い出してきて人を食うようになった。この鬼は牛の頭をもち、蓑を着ていたので『蓑太郎』とあだ名された。(旅人を意味する蓑を着ているあたり、来訪神としての性格をもつ牛頭天王との関係がうかがえる)


 やがて、このあたりを通りかかった藤原當名(ふじわらのあてな)がミノタロウの噂を聞きつけて、この牛鬼を退治しようと名乗りをあげた。

 藤原當名は綱手背臼(つなてのせうす)の異名で知られる平安時代初期の武人である。怪力の持ち主で、生まれてすぐに臼を背負って歩いたという伝説がある。


 ミノタロウ退治にあたり、背臼は川津神社に願をかけた。すると祭神の阿理屋戸祢比売命(ありやどねひめのみこと)は背臼に宝剣・天宇支斬(あめのうじきり)を授ける。


 背臼が井戸に降りていってウジキリで自分の指を傷つけ井戸の中に血を滴らすと、その匂いに誘われてミノタロウが姿を現した。背臼はすかさずミノタロウの角を掴んで投げ飛ばした。その際に片方の角が折れてしまった。打ち負かされたミノタロウは二度と人を襲わないことを誓って井戸の底に姿を消した。(または斬り殺されたとも)

 ウジキリならびに折れたミノタロウの角と伝えられるものは現在、川津神社の宝物殿で見ることができる。

 ミノタロウを誘き出すために背臼が井戸に血を垂らしたので、この井戸を血垂の井戸と呼ぶのである。


(ご推察の通り、この井戸の名は元来乳垂あるいは乳足と書いたらしい。有名な綱手の背臼の牛鬼退治の話が成立したのは室町時代ごろのことで、もちろんこの井戸とは無関係。一方のミノタロウだが、鎌倉時代の青梅あたりに同名の盗賊が実在したと考えられている)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラビリンス 生地遊人 @yuphoria

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る