第8話 連想ゲーム
中編を書く。具体的には三万から八万に満たない文字数で物語を作る。こんな量にもなってくると作業は数日では終わらない。僕たちは小説を生業としているわけではなく、平日は16時まで学校があるので費やせる時間は限られる。もちろん、山田さんは試験勉強があるし、僕だって受験生の身なのでその勉強に時間を取られるわけだ。
じゃあ何か月も掛かるのかと聞かれても、僕はノーと答える。それだけ、山田さんのやる気が凄まじい。一週間で長編小説を書き上げた才能の卵でもあるので、学業や人付き合いがあるにしても二週間足らずで完成させてしまうのではと思った。なんでも、家に帰った後もノートに書いてるらしい。小説中心の生活になっているのだ。
山田さんが中編を書きたいと言ってから一週間が経った。連想ゲームと名付けた簡易的なプロット作りは順調に進んでいたものの、肝心の本編は全く形になっていない。
もう六月に差し掛かろうかといった本日、山田さんは筆が進まず項垂れていた。
「なんで、なんで上手くまとまらないの!」
「どうしてだろうね」
「おしえておしえて!」
体を揺らすのはやめなさい。
それはそうと、ここで躓くのはあるあるだったりする。短編までは言ってしまえば見切り発車で進んでもなんとかなってしまう。先が短いので終着点だけ頭に入れておけばアドリブで書けてしまうもの。
短編とは言わずとも、例えばネット上に投稿された作品が十話以内に更新が止まってしまう所をよく見かける。長編シリーズの構想で書き始めたのはいいものの、思ったように跳ねず途中でやる気が無くなってしまったり、設定や展開に矛盾が見つかったりして断念する。
それだけ一話目から何十話と物語を書き続けることは難しい。
だから完結させる作家と十万字を超えても更新ペースが途絶えない作家の割合は低い。
作家志望にとってはここが鬼門だったりする。もとより、これを苦と感じない人こそが作家としてデビューするとも言える。
話を綺麗に纏めたいなら書き出しからきっちり詰めて技巧を込めないといけないけれど、山田さんはまだその段階ではない。なんとなく決めたテーマに従ってなんとなく想像したエピソードを綴っているだけ。登場人物は二人から四人程度と扱いに困ることもない。
ここからは筋書きを練る、プロットを構成する事が必要になりそうだ。
「言ってなかったけど、この部には先輩たちが残したテンプレートがあってさ。今からそれを解禁するよ――何、それがあるなら早く言ってよ、とでも言いたげな顔は」
目を細めてむっとされたってね。
僕はマウスを操作してモニター画面にそのテンプレートを表示した。
「まあ、ネットで検索すれば出てくるけど、一応これが我が文芸創作部に代々伝わるプロットの作り方ってやつ」
「プロット?」
「うん。家を建てるのにも演劇をするにも、何かを作るのには必ず設計図が必要でしょう。それの小説バージョン。書くのに必要となる基盤のこと。連想ゲームをもっと細かくしたみたいなさ――尚更なんで出し惜しんだの、とでも言いたげな顔はやめておくれよ。理由だってある」
これは何事にも通ずることで。
「最初から決まった通りに書くなんてつまらないだろう。創作は自由であるべきだと僕は思うんだ」
「たぶん、これの通りに書いてても自由にやってたよ」
「そうかね」
「そうだよ」
ならいっか。
「それはともかく早速使ってみてよ。前よりは少しやりやすいと思うから」
実際、指標があることで作りやすくはなってくる。誰がどこで何をしてどうなったか。基本的に読者は主人公の行動と結末が気になって読み進めるので、そういった根幹を用意しておくのは大事だ。
用意することで技巧を詰めやすくもなる。大雑把に伏線と呼ばれるもの。話の展開に繋がりを持たせるのならば、脈絡を生むためにプロットは必要不可欠な存在だ。
「えっと、どんなお話を書きたい?――猫になって冒険する話っと。どんな人物?――んーと、空気を読むのが苦手な性格。その人は最後にはどうなる?――友達が出来る、かな」
頭の中でふわふわと曖昧だった構想を言語化していく。質問形式なので考えやすい。
それからしばらく山田さんは夢中になって穴を埋めていった。
「人と話すのが苦手で友達が出来ず泣いていた女の子が、ある日突然猫になったことで様々な人と触れあい、だんだんと人の気持ちを理解出来るようになっていく。最後に猫から人に戻った女の子が一歩踏み出してクラスメイトに話しかけて終わる。
ねえせんぱい、書きたいことまとまってきたかも」
「そうでしょう。良い調子だ」
「猫にするのは猫になってると言葉が通じないから相手の気持ちを考えようとするから。自分は人じゃないのもあって緊張もしなくなる。いつもツンツンしてて苦手意識を持ってたあの子も実は照れ隠しだったとわかったり……」
物語に起伏がないだとか、最初に主となる人物を示すのと主人公のコミュニケーション能力の低さを読者に伝えるには何をさせるのがベストかだとか、さらに色々とアイデアが膨らんでるらしい。
「あのさ、せんぱい」
「なんだい」
「やっぱり大事だったよ、連想ゲーム」
「そうでしょうよ」
「プロットのテンプレートは嬉しいけど、あくまでもわたしが書きたいものが詰まってるのはこの一枚の紙。これがないとなにも始まらなかった」
だからありがとう。山田さんはお礼を言ってくれた。そんな僕は何も。そう返そうと思ったけれど、寸でのところで留まった。
「すっかりのめり込んじゃってさ」
来週からはテスト期間に入るので基本的に部活動は禁止となる。完成品を早く読みたいな。そう思ったのは本当に久々の事だ。
そういえば近々コンテスト企画があるらしい。それも毎年行われるもので受賞者は書籍化が確約されるとか。小説家志望にとっては願ってもない企画なはずだ。
山田さんはそれを知っているのだろうか。いや、そもそも興味ないか。楽しく書ければいいだろうし、応募する理由もない。
でももし、書いた作品がとんでもなく面白いものになったとしたら。少なくとも僕は、初めて書いた小説を見せてくれた時のようなあの衝撃をまた感じさせてくれるのではないか。そう期待してしまっている。
僕のしまっておいたはずのプライドが告げている。こんな素人に負けても良いのかと。
まだ完成すらしていない。見下してるとも少し違う。けれど、山田さんに期待してしまっている自分がどうしても情けなくて、でもまだあの日の言葉がフラッシュバックして向き合えなかった。
『今年はあんまりだったね』『恥晒し』『つまらなかった』
きっと僕の、小説家になりたいという夢に対する思いは、この程度の言葉に敗れる程の本気でやってる人には失礼なくらいの口先だけの言葉だった。
またいつものように下校時刻ギリギリまで残って作業を進めている。構想はあらかた決まったそうなので、時折僕に助言を求めながら今は一話目を書いている。
「せんぱいはこの前考えた作品書かないの? すっごく面白そうだったのに」
「文芸誌に載せる一つのアイデアだよ。僕個人では書かない」
「えーもったいない。わたしがあれを書いたら面白くなる気はしないけど、せんぱいが書いたら天下取れそうなのに」
「その僕に対する絶対的な信頼はどこから来るんだ」
「どこってそりゃあ」
おもむろに鞄を引っ張り、中から一冊の雑誌を抜き取った。
「これ、わたしのバイブル」
「おい! それどこから……いや、それもそうか。読んだと言っていたしな」
無邪気に笑うその顔の横に見せびらかすようにしてこの学校の文芸誌、それも去年僕が手掛けたものを持っている。
「今すぐしまってくれ。それは僕の汚点だ。だから去年の分は全て処分したのに、まさかこんな身近に持ってるやつがいたとはな」
恥ずかしいものなんだ。誰にも読まれたくない一作なんだ。
「それを今すぐ寄越してくれ。即刻焼いて処分する。ほら、早く」
僕はきっとこの時怒っていたんだと思う。それだけのトラウマだったし、小説を書くのを辞める理由の一端になったから。でも。
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃん……」
「そうは言ってもだな」
「せんぱいはさ、自分が好きだと思ってるものを貶されて悲しくならないの」
山田さんが冷やかしでもなく本気で僕の作品を好きだと、僕のファンだと言っていたのだとわかってしまって。
「わたしみたいな素人に言われても響かないと思うけどさ。もっと自分と自分の作品大事にしてよ。わたしは悲しいよ」
山田さんは憤慨してるというよりは、言葉の通り悲しみでショックを受けているようだった。
「今日はもう帰るから」
荷物を抱えて出て行ってしまう。
僕は、僕が今まで作ってきた作品の事をお金にならず感情を突き動かすことも出来ない無価値な作品だと思っている。一度それなりの評価を受けたことはあったけれど、この気持ちは変わらない。
でも、口に出すのは失敗だった。
僕は山田さんに一通メッセージを送った。
『ごめん。謝らせて欲しい』
その日の夜、僕は部屋の中で大掃除をした。どれだけ酷いものだったか思い出す必要があると思った。
去年僕が作った文芸誌は押し入れの中に片付けてある。売れ残った分と保管用は処分してしまったけれど一冊だけはここに残していた。本当は顧問の八郎先生に預かって貰う予定だった。でも君が書いたものだからと強く押されて仕方なく僕が持っていた。燃やしてしまいたいくらいだったのを覚えている。
「あった」
文芸誌は押し入れの奥の隙間に放り出されていて、埃を被って汚れている。
一人でよく書いたものだ。助けは表紙絵を描いてくれた美術部と発注を手伝ってくれた八郎先生くらいで、残りは全て僕がやった。二年生で暇だったのもあるけれど、今思えば相当な苦労があった。
並行してネット小説大賞への応募作を書いていたのもあって完成には半年近くも掛けてしまった記憶がある。――その結果が調子に乗って多めに刷ったものが売れ残る事態だったから思い出したくもない。
読むか読まないか。山田さんが絶賛するほどの作品なのか改めて手に取ってみたはいいものの、内容は覚えているというのに冊子を開くのが怖い。まだトラウマとして、心を挫かれたその感覚が残っている。
僕は部屋のベッドに横になりながら何度も表紙絵をにらめっこをしていた。そうしていると、携帯電話の通知音が鳴った。
メッセージが届いたらしい。山田さんかな。
そう思って開くと、表示されたのは同じ山田でも別の山田。
「久々に読ませろ」
相変わらず語気が強くて圧がある。
恵先輩、いや今は作家のだーやま先生と呼ぶ方が正しいかもしれない。
ドリームズカムトゥルー 貧乏神の右手 @raosu52
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