第7話 あの頃の
何をするにしても、初めての経験は面白い。初めてでしか得られない喜びがある。
例えば野球だったら、何も知らない状態からボールを投げてキャッチすることを覚える。それが出来るようになってキャッチボールが楽しくなる。バットの振り方を教わって飛んできたボールに当てられるようになれば、更に一段と面白く感じるようになるだろう。それから投げると打つ以外の事にも興味が出てきて、野球の沼に沈んでいく。
ロールプレイングゲームだったら、レベルアップして、新しい技を覚えて、新しいマップが解放されて、そうやって未知の世界を自分の手で切り開いていく。この未知を理解した時の高揚感、嬉々とした感覚は「はじめから」でしか味わえない。
ただ何事も、経験を重ねるにつれてそういった楽しさ、感動が薄れていく。
野球であればバットの振り方がある程度は様になり、自分の肩の限界を知った時。守備をこなし、攻撃に役割が生まれ、それをこなしていくうちに何となく成長が止まったなと悟る時。
ゲームであればシステムを理解し最適な戦法を見つけた時。これが最強だなと知ってしまった時。
今まで右肩上がりに成長を重ねて楽しかったはずが、基本を理解して固まってから緩やかに落ち着いてしまう。ここまでが凡人の楽しみ方なんだろう。それ以上に面白味を見出すことが出来ないのだから。
この伸び悩む時期に創意工夫をしてぐんと跳ね上がっていく人が非凡であり、夢を叶えていく存在になる。
僕はきっと、それになりたかった。
僕はまだ、夢を叶える方法を知らない。
※
山田さんが短編以上の作品を書きたいと言い出した。殊勝なことで、ここ一か月の成長は目覚ましい。
初めは約1500字の短編と呼ぶにしてもボリュームの無い作品だった。それから毎日のように書き続け次第に量を増やしていき、短編の基準ともいえる4000字台に突入するようになる。
「なんかさ、短い文章だと上手く収まらないようになってきて、なんて言うんだろう。想像が溢れて止まらない感じ。この人たちはもっと輝けるし、先の人生もある。それなのにここで終わるのはもったいない。もっと書いて繋げてあげたい。そんなふうに思ったの」
たった数週間でよくもまあ。でも、気持ちはわかる。
山田さんが書いているのはこの世界のどこかにありそうな、日常の一節を切り取った短編だ。
おはようを言い出せない引っ込み思案な女の子、夢に向かって生きる球児、近所のおばあちゃんが世話焼きな理由。どこかに居そうだと感じさせる。人が生きている作品だからこそ、主題を解決した後もその続きを書きたいと思ってしまうのだろう。
中編の基準は何文字程度だとか、懸賞の応募には十万字必要だからそこを越えなければだとか、そういう理屈は関係なく、ただ短く収まってくれない。
「じゃあ満足するまで書いてみよう。文字数は気にしなくていいし、完結することも考えなくていい」
「わかった。もうしばらくずっと同じ作品書く事になりそうだけどそれでも許してね」
何を許すというのか。だって山田さんはここに小説を書きに来たんだろう。
「けど、もちろん上手く書けるようになるのが大事だと思う。質の悪いものを書き続けたって上手くはならないし、一段落付いたら読み返して手直しでもしよう」
後進育成ではないのだが、来年は山田さんが主に文芸誌を書く事になると思うので教えないわけにもいかない。もし先輩が来年の文化祭にでも訪れて悲しむようなことがあれば、僕は「青春の場を残してくれ」と任せてくれた先輩に顔向けが出来ない。
そうは言っても、創作を教えるのは本当に難しい。技術的な面で教えられることは様々あるけれど、じゃあそういう本を読んだら作家になれるかと訊かれれば僕はノーと答える。そもそも、僕だってまだ作品に価値が生まれていない凡庸な元作家だ。それも自称の。教える立場にある方が不思議な話。
「ねえ、せんぱい」
「なんだ」
偉く真剣な声の調子で。
「せんぱいはさ、上手くなるために小説書いてたの?」
「上手くなるというか、プロの小説家になる、ために……?」
ずっと、書いた小説が本になって書店に並んでくれたらいいなと思って書いていた。それ以上の気持ちがあったかは思い出せない。
「それって何かおかしいことなのか」
「私にはわからない。わからないけど、伝えたいことがあってね」
普段の屈託ない明るい表情からは一変して、初めて見る眼差しだった。
「わたしはね、今めっちゃ楽しいよ。せんぱいが教えてくれるおかげで上達してるのわかるし、さっきも言ったけど書きたいことがどんどん出てきて止まらないの!」
机からも乗り出す勢いで、夢に破れた大人が目を逸らしたくなるほどの子どもみたいに純粋な目が僕に向いていた。
「せんぱい、改めてわたしに小説の書き方を教えてくれてありがとう。これからももっと色んなこと教えてね」
わかる、わかりすぎてしまう。メキメキと上達して、その上達が自分でも感じられるその感覚。僕がまだ一年生だった頃、先輩に教わっていたあの時は間違いなく楽しい日々を過ごしていた。
小説を書くのが楽しい。その感情がひた走って毎日ここに来て最近の山田さんと同じように作品作りに励んでいた。
山田さんが眩しい。頑張る事をやめた僕には直視出来ない。けれど、
「まだまだ教える事はたくさんあるからさ。文芸誌だけは成功させなきゃいけないしね」
僕は文芸創作部の部長を任されたので、たとえ部員が居ても君に任せたいと言って貰えたので。
去年は僕が失敗した。今年こそは成功させたい。
そんな気持ちが少しずつ僕の中に芽生えてきた気がする。
「うんうん。それじゃあせんぱいも一緒に書こう!」
「なんでそうなるよ」
「だってさ、一緒に書いたほうが絶対楽しいじゃん」
僕はあの日以来、もう書かないと心に決めていたけれど、山田さんはそんな事情なんてお構いなしに僕の手を引いていった。
「山田さんが書きたいって言ったんだぞ。僕が手間を加える必要はないだろう」
「そういうのいいから。せんぱいも初心に帰って短編書いてみよう! 中編でもいいよ! 壮大な物語の書き出しだって!」
やたらとテンションが高い。無理やり僕を引っ張ってパソコンの前に座らせたって書きやしない。
「じゃあ連想ゲームしよー。わたし一人だと限界が来てさ」
「まあそれくらいなら付き合うか」
「なーにが『付き合うか』だよ。かっこつけてないで一緒にやるよ、ほら」
書くつもりなんてなかったけれど誘われてしまって無理に断る理由も思いつかず、僕は去年の文化祭振りに創作に携わった。
月並みの、小学生でも言えるような感想を述べるとするならば、僕はこの日間違いなく、久しぶりに楽しいなと思っていた。
僕はまだきっと、心のどこかで創作に囚われているんだ。
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