第6話 あっという間に
さあ書く方は一体いつになることやら。
そんな僕の不安は週末には払拭された。バックナンバーを読んだ翌日には山田さんは動き出した。
「このノートは?」
「執筆用ノート。せんぱいも持ってるでしょ?」
「いいや僕はパソコン派なんだ。紙に書いた事はほとんど無いよ」
手書きだと書いたり消したりするのでどうしても跡が残って汚くなってしまう。どうせ修正して書き直す事になるんだし、最初からパソコンの文書作成ソフトを使った方が効率も良い。パワーポイントで図解、エクセルで時系列などをまとめ、ワードでそれらを文章に起こす。慣れてしまえば断然こっちの方が楽だ。
「じゃあ私もそれ使っていいの?」
「うん、学校の備品だからね。パソコンの授業で使ってるアカウントにログインして貰えればデータも管理しやすいと思うよ」
情報の授業でパソコンの取り扱いを学ぶので、山田さんもある程度は簡単に操作出来ていた。
「でもこれ、カタカタうるさくないかな」
「多少は仕方ない」
「せんぱいが本読んでるときに私が作業してたらうるさくて集中出来ないかもよ」
「本読んでる時は他の音気にならなくなるタイプだから大丈夫」
「勉強してるときは?」
「めっちゃ気になる」
「なんだそれ」
自分でも少し不思議に思っている部分だったりする。
あらかたパソコンの動作確認は済ませたので、山田さんはようやく執筆に取り掛かった。表情は真剣そのもの。僕は黙って宿題でも終わらせよう。
それから10分程経って、突如山田さんの手が止まった。最初は疲れたのかなと思って気にしなかったけど、その時間があまりに長いので見てみれば、頭を抱える山田さんがそこに居た。
「行き詰まった?」
「おかしいの。あの時は自分でもびっくりするくらいアイデアが溢れてペンを動かす手も止まらなかったのに、もうてんでダメ。すんごい眠たくなってきたし」
「ちょっと休憩しようか」
まだ10分しか経ってないけど。
飲み物を飲んでリラックス。気分は晴れるし頭は冴える。
「多分ね、山田さんは一旦全部出し切ったんじゃないかな。持てる自分の力の全てを注いであの作品を書いてくれたでしょう。だから空っぽになってしまったんだと僕は思う」
実際、あの一作には彼女の魂すら感じた。生き様と言い換えてもいい。創作に使えそうな知識と知恵の全てを使って作り上げた、言わば渾身の一作。
小説に限らず、アーティストでも似たような人はいる。一曲だけ売れてそれ以降は音沙汰ないとか、作家で言えば一作目以降は書いてもいないとか。特に、自分自身の事を綴った人ほどその傾向にある。
全て吐き出したからそれ以上がなくなってしまった。山田さんは今、そういう状況にあるんだ。
「とりあえずテーマを決めよう。そして文字数は千字くらいにしようか。まあ、超える分にはいくら超えてもいいから、とにかくまずはテーマから」
「え、意外とちゃんと教えてくれるんだ。もう書かないって言ってたから放任するのかと思った」
確かに、自然な流れで気が付けば教える立場になっていた。なんでだろう。
「山田さんのやる気に感化されたのかな。本当にもう書くつもりはないけどね」
と僕が言えば、山田さんは呆れて溜息を吐く。
「あのさ、私は司馬賢一のファンとして、せんぱいにもう一度書いて貰うためにここに来たの。忘れないでよね」
「だから一体僕が何を与えたって言うんだ」
「去年の文化祭でここの文芸誌を買ったの。まだ思い出してないの」
怒っているようにも見える。それもそうか。僕だって再会のつもりで話しかけたのに向こうが初めましてと言ってきたら腹は立てないにしてもがっかりはする。
「ごめん。でもそんなことよりさ、テーマ決めよう。食欲の秋とかこどもの日とか、それくらい幅の狭いやつで」
「そんなことじゃないんだけどなあ――でもそうだね。私が書きたいって言ったんだしやってみる」
素直で助かった。
それにしたって山田さんの、一度決めたら全力で取り組むぞ、って感じの気合いが凄い。僕は決めるまで時間が掛かるし、決まった後も悩んで進まないことがあるので尊敬さえ覚える。
山田さんは瞬く間に僕が言ったテーマを、しかも樹形図、マインドマップの形で次々に繋いでいく。これはノートの方がやりやすいので、手書きでやることにした。
例えば「山」だったら、「キャンプ」「バーベキュー」「肉」「お腹が空く」ってふうに繋げたり、キャンプからもう二つ枝分かれさせて「家族」と「友達」を作り、それぞれきっかけとなりそうな出来事を羅列していったり、上手い具合に連想ゲームをしている。
虫を追いかけて好奇心旺盛な子どもが迷子になってしまったり、友達が食材を忘れるトラブルが起きたり、一度繋がればいくつも場面が思いついたみたいだ。
「これ凄いね。どんどんイメージが湧いてくるよ」
「一から想像するのは大変だからさ、最初の内は身近な事をモチーフにしてみると上手くいくんだよね」
ここ数週間、読書を続けた山田さんの努力の成果でもあると思う。そういったシチュエーションは普通に生活していても中々思いつかない。創作物に触れたことで想像力が養われてきたのだろう。
「どうかな。書けそう?」
「ちょっと今いい感じ。あんまり話しかけないで。ごめん」
はいはい。黙っておきますとも。
パソコンが熱を帯びてきたので、一度換気のために窓を開ける。五月ともなれば冬の険しい寒さは薄れてきて、過ごしやすく快適な日が増えてきた。
そうは言っても、夕方はかなり気温が下がる。僕は体が冷える前に窓を閉め切った。
宿題は済ませたのでもう帰っても良かったが、どうせまた山田さんは鍵番を嫌うので残るほかない。
「終わった?」
見れば、背中を仰け反らせ、うんと体を伸ばしている。
「疲れたあ」
モニターを覗き込む。文字数にして約1500字、二時間でこの量はほとんど素人にしては上出来だと僕は思う。
「お疲れ様。よく途中で投げ出さなかったね。また明日でも良かったのに」
「やると決めたら最後までやるタイプなの。それより早く読んでよ。歴史に残る大作になるかもしれないんだから」
何を大袈裟な。簡単に作られたら堪ったもんじゃない。僕は隣に椅子を運んできて画面をスクロールしながら読み始めた。
「ゴールデンウィークに家族四人でドライブ。でもお父さんが道を間違えて渋滞に巻き込まれ、お母さんが定休日を勘違いしてて目当てのお店に行けず、お姉ちゃんが友達との約束を断ってまできたのにと文句を言って、弟が遊園地に行きたかったと駄々をこねる」
「普通の話でしょ」
「でもオチが好きだな」
結局、なんだかんだありつつも家の庭でバーベキューを楽しめたから一件落着。そんなことがあったねと、お酒を呑みながら笑顔で語らう四人の時間軸に移る。今でも時々喧嘩をするけれど、何気ない思い出が四人それぞれにあるので、子どもたちが大人になっても疎遠になることはなかった。そんな家族愛のお話。
「確かにもっと膨らませることは出来るだろうけど、僕はかなり好みの作風とオチだよ。その、上から目線でごめんだけど」
思いの外刺さったのか、山田さんは言葉も出ていなかった。ただ事実として、僕は良いなと思ったんだ。
「やったやった! せんぱいに褒められた!」
それはもう大はしゃぎで、窓の外に向かって叫び出しそうな満面の笑み。
「そんなに嬉しいか?」
「嬉しいに決まってるじゃん。もう今凄いよ。やる気スイッチ全開だよ」
じゃあもう一作書いてくか。僕が冗談交じりに言おうとしたタイミングで鐘が鳴った。「あ」と顔を見合わせる。
「また明日にしようか」
「残念……」
とは言いつつも本棚から一冊引っ張り出して鞄に詰めていた。
それからしばらく、山田さんは自身の短編小説にクオリティの低さに悔しさを見せながらも挫けることなく次々と作品を生み出していった。
五月の半ば、また新しい挑戦をすることになる。
「もっと長いのも書いてみたい」
千から万の世界へ。その到達スピードは僕の想像よりもあっという間だった。
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