第5話 姉妹

 さて、ほとんど毎日のように山田さんは部室に入り浸っているわけだけど、他にやりたいことはないのだろうか。


「近々バイトしよっかなって思ってるよ。というかもう応募してるし」


 すっかりここにも馴染んでしまって、椅子の背もたれに身を預けながら片手で本を読んでいる。器用な事で。椅子の前足を浮かせて揺らしているけれど、後ろに倒れないか不安になる。


「ん、どうしたの」

「そろそろいい時間だと思ってさ。僕は先に帰ってるよ」

「ちょっと待って。一緒に帰る」


 どうも職員室まで鍵を預けに行くのが面倒くさいらしい。

 そんなような日々がまた一週間ほど続いた。あれ、書く方はやめたのかな、なんて思ったくらい。

 

 また一冊読み終わったという。かなり満足度の高い表情だ。さすが創作好きのOBが選んだだけのことはある。

 だんだんと読むペースが速くなっている気がした。僕が部活に参加してない日もわざわざここに来てるらしいし、ひょっとしたら僕よりも冊数多く読んでるかもしれない。

 また本棚を見ては悩んでいる。今週何度目だろう。と思ったら、突然頭を抱え唸る声を上げた。


「ダメだ! こんなんじゃダメだ!」

「何が駄目だって言うんだ。面白くなかったのか、あんなにも満足そうにしておいて」

「そうじゃなくて、何か忘れてない?」


 忘れてる。僕はずっと不思議に思ってたよ。


「書いてないよ。一文字も書いてない。せっかく文芸創作部員なのに本読んでばっかだよ!」


 そんなに興奮されても困る。

 だって仕方ないじゃないか。うちの部活は他と比べて年間通した目標がないんだから。高体連はないし、コンクールにも出場しない。ともなれば活動内容は絞られる。


「じゃあ今一度この部の活動を確認しよう」


 はいはい座って落ち着いて。


「まず大きな目標。それは部活動紹介でも話した通り、文化祭で文芸誌を出品すること。これは我が部どころか地域の伝統行事ともなっているので、絶対にすべきことだ。一応もう一つあるけど、これは卒業生だけがやることなので詳しくは伝えられない」

「質問いいですか」

「はい、なんなりと」

「文芸誌って具体的に何を書くんですか」


 そういえば深い説明はしていなかったか。


「文芸誌には一般的には小説やエッセイなんかを掲載します。要は文字媒体の創作物を載せる雑誌です」

「一般的にはってことはこの学校は違うんですね」

「良い質問です。実際その通りで、この部活では代々自由にこの文芸誌を作っています。いくつか小説を書いた代もあれば新聞風にして地域を調査してコラムを作った代もある。文芸誌というより学校新聞って表現が近いかもね」

「なるほどー」


 そういえばまだ見せてない物もあった。


「良かったらバックナンバーがあるからそれを読むといいよ。口頭よりずっとわかりやすい」

「なんだあ。それがあるなら早く言ってくださいよ――って、バックナンバーって何? 歌手?」

「そんな大物連れてこれるわけないでしょう。過去の文芸誌が箱に入ってるんだよ。ちょっと持ってくるから待ってて」


 一番は部室に置いておくのが良いのだろうけど、色々とあって旧校舎の職員室に保管されることになってる。顧問の先生が管理しているらしい。

 部室のある三階から一つ降りて廊下の突き当たり。そこに手狭な職員室がある。

 僕は失礼しますとノックして、扉を開けた。


「八郎先生いますか」


 長机の一番奥で先生は作業をしていた。小テストの答案の丸付けだ。無言で手を振っている。


「今お時間大丈夫ですか」


 もう定年近い男の先生で、皆からは名字ではなく下の名前の八郎と親しまれている。授業中に寝ていても怒らないし、スマホを使っていても取り上げない甘い人、と生徒から愛され、舐められている。


「誰かと思えば司馬君か。なんだか久しぶりに顔を見た気がするよ」

「そんな大袈裟な。廊下で何度かすれ違ってますし、この前は入部届を渡しに来たじゃないですか」


 残念ながらこの人は僕の選択していない方の科目の担当なので授業で関わることは無くなった。部活にも出てこないし、顧問だけど会う機会は多くない。

 

「そういえばそうだったか。ところで、あの子はどうだ。元気にやってるか?」

「孫の様子を窺うようなことはやめてくださいよ。まあ、元気だとは思います。楽しそうに毎日本を読んでいるので」

「そりゃあよかった。あの子と前に話したときはどうも具合が悪そうでな。心配だったんだ」


 僕にそんな素振りを見せたことはないし緊張してるのか、はたまた強がりか。ほぼ初対面の相手に弱気な姿は見せないか。

 相変わらずこの先生と話すとすぐに脱線してしまう。要件はお喋りじゃない。僕は先生が話し始める前に切り出した。


「あの、文芸誌のバックナンバーを見せて貰いたくて」

「ほうほう。司馬君があれを読みたがるとは珍しい」

「僕じゃなくて山田さんが。今年の文芸誌を作るにあたって参考にしたいので」


 僕がそう伝えれば八郎先生はすぐにバックナンバーを探してくれた。


「重いから気を付けてな」

「はい。お時間取らせてすみません。ありがとうございました」


 段ボール一箱分。少し重いけどなんとかなる。


「君も元気そうでよかった」

「なんですか突然。こっちは重くてちっとも元気じゃないですよ」

「軽口叩く余裕があるならよし。とっとと山田さんに届けてやってな」


 とりあえず、扉押さえて貰えませんかね。


 長い廊下を抜け、階段を上り、やっとの思いでようやく到着。


「凄い。これ全部この部で作ったの?」

「そういうことになるね」


 非常に疲れたけれど、山田さんが喜んでくれたので良しということにしておく。


「あ、でもせんぱい。去年の分だけないよ」

「あーそれは……色々あって残ってなくてさ」

「なんだそれ。火事で燃えちゃったとか?」

「あながち間違いでもないかも」


 去年の分、つまりは僕しか部員がいなかった代の分。それだけが欠けているなんて、そしてその理由が僕にあるだなんて言えやしない。


「ま、いっか。どうせならお姉ちゃんのも読んじゃおー」


 多分読まれたくはないんじゃないかなと思いつつも止められない僕もいた。

 なぜなら二年前と三年前、先輩が手掛けた年の文芸誌は、過去類を見ない程の盛況っぷりだったし、何より僕自身がこの学校に入るきっかけをくれた作品だったから。山田さんもきっと気に入ると思うんだ。


 案の定、山田さんはまたしても集中して止まらなかった。思えば二年前、先輩もこうやって同じようにバックナンバーを読んでいたっけ。懐かしい。


 どうやら、あの姉にしてこの妹あり。バスケ部に入るくらいの活発さを持っている山田さんだけど、先輩と違って髪の色は明るいし声がはきはきとしているけれど、黙って雑誌を捲る姿はよく似ている。椅子の前足を浮かせるのも、片腕はぷらぷらとさせるのも、二年前によく見た光景だ。


「なんだ、お姉ちゃんもしっかり頑張ってたんだ」

「どういう意味?」

「あ、ごめん。なんでもない――続き読むね!」


 それから僕たちは読む事に没頭して、それで結局今日も書く事はしなかった。

 今日こそはを何日も言ってるけれど、一体いつになることやら。

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