第4話 努々

 これ、読んでもいい?

 山田さんが書いた作品を持ってきてから数日後、土日を挟んでようやく入部届が受理されたので僕は彼女を部室へ案内した。とは言っても一度中に入れてるしあえて紹介するものは特にない。

 山田さんがそう言って指を指した先は本棚だった。OBの方々が揃えた本が四段ほど積まれている。奥行きがあるので見た目以上に冊数は多いだろう。百は優に超えていると思う。


「構わないよ。家に持って帰ってもらっても大丈夫。ただ、汚れたり傷がついたりしたら言って欲しい。別に買い替えはしないけど言って貰えないと掃除をした時なんかに揉めるんだ。これ誰が汚したんだってさ」

「それでケンカでもしたの?」


 一冊取ってこっちの机に持ってくる。どうやら決まったらしい。


「うん。本好きって本が汚れるのを極端に嫌うんだよね。ページが捲れて折れてるだけでも嫌な人は嫌だし。その時はたまたま持ち主がそれを見つけて嫌な思いをしたってだけだよ」


 比較的温厚な人が多いため取っ組み合いの喧嘩に発展することはなかったものの、それから数日は部内の空気が悪かったのを覚えている。


「ちなみにその本、僕のおすすめね」

「え、凄い。あんなにたくさんあるのにピンポイントで当てちゃった。わたし天才かも」

「それは言い過ぎ」


 土日を挟んだので特に話をする機会はなかったはずだが、気が付けば敬語が抜けていた。まったく恐れ多い。僕には到底真似出来ない芸当だろう。


「それはそうと、そのミルクティ。絶対に溢さないでよ」

「大丈夫。蓋付きだしよそ見でもしてなきゃ溢すわけないよ」


 あ。


「へーきへーき。あんまり濡れてない、みたいだし……」

「そうは見えないんだけど」


 とてもそうは見えない。必死に拭いてるし。


「……ごめんなさい。結構濡れてやばいので弁償します」


 山田さんが手に取った本はよりによって僕が持ってきたお気に入りの一冊だった。

 これはさすがに買い直しておきたいところだ。山田さんもかなり狼狽していた。しかたない。


「この後本屋に寄る予定があったからついでに買ってくる。弁償は気持ちだけ貰っておくよ。元々汚れてもいいように保管用と布教用の二冊買ってあるしね」


 週三程度のアルバイトを二年続けてきたおかげで貯金がある。出掛ける方ではないので貯まりに貯まっている。意識して貯金はしなかったけど、次第に口座の額が増えていくと楽しくなっていた。今では云十万。高校生にしてはかなりの余裕があると自負している。


「だからまあ、そんな顔しないでよ」


 押しが強いし破天荒なイメージがあったけれど、繊細な一面もあるらしい。


「じゃあさ、こんなのはどうかな」

「こんなの?」

「うん。今日僕が買う予定だった本を山田さんに買って貰う。それでチャラにしよう」


 僕としても本気で不快になってないし、というか今回は山田さんの不注意ではあるけど僕も同じように本棚の管理の問題でやらかしたことはあるし。本当に気にしていない。

 ただこれを伝えたところで気持ちが和らぐ人とそうでない人が居る。山田さんはきっと前者の人間だ。


「そうと決まれば今日のところは解散して僕は本屋に行ってこようかな。山田さんもそれが終わったら帰っていいからね」


 こうやって話している間も一生懸命にティッシュとハンカチで拭いていた。そのうち乾くだろうし問題ない。虫が寄ってこないかは気になるけど。

 ペットボトルの減り具合を見ても文庫本が半身浸かるようなことにはなっていなかった。でも、あくまで他人の物だし慌てる気持ちはよくわかる。


 僕は机の上を片付けながら拭き終わるのを待っていた。終わり際を見計らって立ち上がる。と同時に山田さんも立ち上がった。机に身を乗り出して、それでいて顔を逸らしながら山田さんは言った。


「ついていってもいいですか。その、お金払わないとなので」


 なんだ、そんなことか。


「それならここで先に貰っておくよ。そこまでして貰うのは逆に申し訳ない」

「っていうのは建前なんですけど」

「うん?」

「こんなことをしでかして何を言うって感じですけど、せんぱいがどんな本を買うのか気になっちゃって」


 あはは、と自嘲するように力無く笑う。


「そっか。じゃあ一緒に行きましょうか」

「なしてそっちが敬語」

「そっちだって敬語外れてたのにそれ溢してから急に敬語に戻ったじゃないか」

「それはその、申し訳ないことしたなっていう感情の表れです。じゃあいいの、普段通りに戻っても」

「威勢良いぐらいがちょうどいいんだから戻ってくれ」


 普段通りなんて言っても出会って一週間も経っていないので彼女の性格なんてわかりはしない。でも。


「じゃあついていくからよろしくね。手とハンカチ洗ってくるからちょっと待ってて!」


 これから創作をするって人が遠慮して心をしまい込むようなことがあってはならない。「創作は心を剝き出しにしてするもの」だと先輩も言っていた。自由奔放たれ、と僕も思う。

 それに、落ち込んでいるのは似合わない。



 結局、本屋には二人で寄ることになった。学校から少し外れたところにある全国的に有名な書店。いつも発売日当日から取り揃えてあるので月に数度ここで買っている。もちろん、古本屋で仕入れることもあるけれど。


「意外と中は広いんだ」

「そうそう。奥行きがあるよね」


 一階にはコミックや文芸書などの広い世代に親しまれているものを。二階には参考書などの知に富んだ書物が多く揃っている。カフェスペースもあるらしい。


「遅くなってもあれだしさっさと買って帰ろう」

「えー。せっかく来たんだしもう少し見て回りたいな」


 あなた、意外と遠いところからバスで来てるんでしょう。この前の放課後、寝てたせいで数本しかないバスに乗り遅れそうになったと慌てていたじゃない。

 でも、楽しそうにしているので焦って回る必要もないか。


「ここは何のコーナー?」

「ライトノベルだね。ファンタジーとか学生のラブコメディが目立ってるかな。うちの先輩の作品もあるんだよ」

「先輩の? わたしってそんなに凄いところに入っちゃったんだ」

「たまたまと言うと良くないけど、書籍化までありつけたのはその先輩と後はもう何年も遡った先の大先輩になるから特別凄いというわけではないかも。だからそんなに身構えなくたって大丈夫だって」


 すぐ顔か仕草に出るんだよね。


「それでこれが先輩の作品。めっちゃ面白いんだ。本当に素晴らしい」

「だーやまって人なんだ。山田さんかな」

「そうそう、本名は山田だった――って、そういえば名字一緒だ。さすが山田って多いね。学年にも何人かいるし」


 山田さんはまじまじと表紙絵を見つめながら、思慮深く観察をしていた。


「気になったなら買ってみる?」

「いや、この本見覚えがあって、どこかで見た気がするんだけど」

「部室に一冊あるしそれじゃないかな」

「部室にある本を買わせようとするのひどくない?」

「自分で買って自分の本棚に置く楽しみもあるんだよ」

「そのオタク的な視点、私には10年経っても理解出来る気がしないよ」


 なので、山田さんは当然その本を元の場所に戻した。

 先輩の書いた本はライトノベルの他にもう一つある。大手出版社の企画にて賞を勝ち取った一作。

 コミックやエッセイのコーナーも一通り回り、いよいよ求めていた小説の棚にやってくる。


「だーやまの作品を見たでしょ」

「うん。ライトノベルのね」

「その作者、というか先輩はなんとさらにもう一冊出してるんだよ。さっきのは高校生の甘い恋愛をネタっぽく仕上げたライトノベルらしい一作。けどこっちは全然タイプが違ってね」


 部室で一度見ているので印象はついているはずだ。


「探偵の主人公とそのパートナーが事件を解決に導く、まさに本格派のミステリー。探偵小説ってただ事件を解決するだけじゃ凡庸で面白くならないんだけど、この作品はしっかりと人間ドラマの側面も持っていて、しかもその描写がとにかく深い。安っぽさを感じないんだ。殺したくなる理由もわかるって不謹慎にも思ってしまう。本当に面白い」


 あ。


「はい、ということでこれとシリーズ二作目が出たのでこれを買って帰ります」

「せんぱいって本当に小説が好きなんだね」

「語りすぎてごめんなさいとは思ってる。退部したっていい」

「ごめんは許す。退部は許さない。んで、帰り道でもっと聞かせてよ。せんぱいの話、もっと聞きたい」


 そんな表情で言うのはやめておくれよ。困る。


「じゃあ500円だけ貰ってくから出口で待っててくれ」

「わかった。反対側の方から勝手に帰んないでね?」

「そんなことしたら明日が恐ろしいよ」


 これでまだ出会って間もないのが信じられない。よく緊張しないものだ。


「お会計1,496円でございます」


 おっと五円玉がない。

 ページ数が増えているのか、文庫本の値段がどんどん上がってる気がする。今はワンコインで買える物の方が少ないような。


 出口の方へ行けば山田さんはスマホを見ながら待っていた。声を掛けるとこちらに振り向く。


「それ、家帰ったら読むの?」

「明日放課後にでも読もうかなと思ってた。まだ読んでる途中の作品もあるからさ」

「そっかそっか。あと全然関係ない話してもいい?」

「ご自由にどうぞ」

「その本書いてるの、うちのお姉ちゃんなんだって!」


 へえ……そうなんだ。ふーん?

 

「せんぱいって驚いたときは声出ないタイプなんだ。急に化物に襲われたら悲鳴も上げずに死んじゃいそう」


 そんなこと言ってる場合かって。


「山田さんのお姉さんの名前は?」

めぐみ

「知ってる名前だ」


 となると山田さんは、先輩の妹さんということになる。僕はなんてことをしてしまったんだ。


「偉そうに語って恥ずかしいよ。きっと家でも散々聞かされてたでしょう」

「そんなことない。だってお姉ちゃん、ほとんど家に居ないし学校から帰って来てもすぐ部屋にこもってたからあんまり話したことないよ。小さい頃はよく遊んでたんだけどね。今考えたらこもってたのって小説書いてたってことだよね。あのときははぐらかされたのに、どうして今になってあっさり教えてくれたんだろう」


 ああ、それは多分。


「小説を書くことが恥ずかしいことではなくなったからだと思うよ」


 いつだって僕ら創作をする人はそう。創作活動を、自らが生み出した作品を恥ずかしいものだと思っている。身内には見せられないと。


 ただ、これはあくまで僕の持論だけれど、誰の心も動かせず金銭的な価値も無い作品を作り続けることは恥ずべきことだと思ってしまう。

 将来の夢をプロのスポーツ選手と掲げる高校生が何の結果も出さないまま市の大会止まりで卒業するようなもの。そこにどれだけの努力があろうとも、身の丈に合わない夢は笑いものにさえなってしまう。だって、叶っていないのなら精一杯努力したと死んでも言いたくないから。


 世の中には創作を趣味としている人で溢れている。ただ大抵が親にも友達にも明かさずに秘密を貫く。やりたいことは無いのかと聞かれてもはぐらかしてしまう。少なくとも、結果が出るまでは創作なんて子どもの空想と何ら変わりないのだから。


「山田さんも極力この部に入ってることは秘密にした方がいいと思うよ」

「え、もう友達に言っちゃったんだけど」

「恥ずかしくないんだ」

「まったく。だって別にふざけて入ったわけじゃないし」


 そしてきっと、こんな純粋な人ほど、後世に名前を残す偉大なことを成し遂げるのだと僕は思う。恥ずかしいだとかそういう感情は関係なく、ただやりたいから続けられる人こそが。


「だから色々と教えてね、せんぱい」

「山田さんが飽きるまでならいくらでも」


 山田さんはうずうずと鼻歌でも歌いそうな笑顔で言った。

 それからバス停に着いて解散となった。


「じゃあまた明日ね。明日こそは書く方も頑張るから!」


 そう意気揚々と宣言した山田さんだったけど、それから一週間は本棚から一冊手に取っては下校時刻になるまで読みふけっていた。どこか、懐かしい風が吹いていた。

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