第3話 下校のチャイムが鳴るまでは③


 創作にはエネルギーが必要だ。例えば一冊の小説を書くにしたって、当然一日二日じゃ終わらない。構想を練ったり、調査に出向いたり、プロットを作るだけでもかなりの時間が必要になる。それを文章にして一つの物語にするとなればもっと大変だ。

 一つの作品に一年以上の期間を掛けて完成させる作家もいる。シリーズ作品が数年越しに発売されることだってある。体調は万全でも筆が乗らない日もある。それだけエネルギーが求められるのだ。そしてそれはプロだけでなく、素人も同じだ。

 プロの作家のように一冊分とはならずとも、例えば一万字の文章を書き起こすだけでもかなりの労力を必要とする。もっと言うなれば、四千字を書くのも人によっては苦となるだろう。


 大学ではレポートなどでこの文字数を求められることが多々あるらしい。

 高校生現在、この十数年の教育の中でそれほど長い文章を書く機会はあまりなかった。せいぜいが読書感想文で二千字に満たない量を書いた程度。原稿用紙にして3から5枚分。原稿用紙二枚程度しか書いてこなかった人も居るはずだ。


 つまりは、長い文章を書くことに僕らは慣れていない。誰もが苦労したはずだ。たった一枚の原稿用紙、たった400字を埋めるために、一体どれだけの時間を費やしただろう。

 

 お題に沿ったテーマと自分なりの結論を提示し、それに説得力を持たせる論拠を示す。早い人でも数時間、人によっては数日引っ張っても終わらない。

 

 何が言いたいかと言えば、今まで長い文章を書くことに慣れていない人間が、たった一週間で一つの物語を作るなんて無謀だということだ。

 まず書き出しから困る。それから様々な描写の方法で詰まる。人物の動かし方、情景の描き方、話の展開、感情の移ろい、何から何までやったことがないからわからない。だからこれまで読んできた作品を思い出しながら、手探りに書いていくしかない。ただこれは、とてつもなく疲れることだ。慣れない作業は疲れる。創作なんて普通は通らない道なのでとにかく疲れる。


 長い文章を書くことにも慣れていないので、疲労感が襲うと同時に千字にも到達していないのを確認してこう思うはずだ。「これだけ頑張ったのにまだこれだけか」などと。


 なので、僕は彼女からこれを受け取った時に度肝を抜かれてしまった。やや恥ずかしみながらも楽し気に笑って言ったのだ。


 「これでわたしも創作部の一員になれるよね?」と。

 


 ※




 彼女が部室を訪れてから一週間後、また同じ時間の放課後に約束通り――いや、約束から二時間ほど遅れてやってきた。


「ぎりぎりセーフ?」

「百歩譲っても一言も無しに遅れるのはアウト」

「だって連絡先知らないですし」

「じゃあ直接ここに来てくれればよかっただろ。おかげで二時間も待たされた」

「でも二時間も待っててくれた。せんぱい、ありがとうございます」


 髪は崩れ、息が乱れている。寝不足なのか顔がむくれクマがあるようにも見える。悪いことをしてしまったな。


「いいんですか、部室入っちゃって」

「立ち話させるのも申し訳ない。ゆっくり座って話そう」


 まだ下校時刻には一時間以上もある。焦る必要もない。

 部室は一般教室をそのまま使っているので二人で使うにしてはかなり広い。座席は生徒用の机を向かい合わせにしたものを横に4つ並べている。教室の後ろにはスチール製の棚が設置されている。職員室で使われなくなったものを譲り受けたと言っていた。


「この本って全部せんぱいのものですか」

「僕のも数冊あるけど、ほとんどはこの部活のOBが残していったものだよ。先輩たちのとびっきりのお気に入りが揃ってるんだ。凄いだろ」

「ちゃんと手入れもしてるんですね」

「日に当たると変色したりするからな。埃も溜まりやすいし大変だよ」


 黒板側にも職員用の机と席が一つあり、彼女はそっちを指差した。


「あのパソコンは?」

「学校から借りてるものだ。活動に使う」

「意外とちゃんとしてるんですね。部員一人しかいないのに」

「歴代の先輩たちと顧問の先生のおかげだな。文化祭で発行する文芸誌は地域じゃ秋の風物詩になってるらしい。生徒はともかく、一般の方には親しみ深いんだ。OBもよく来るぞ」

「あんな紹介で良かったんですか」


 返す言葉も浮かばない。僕は意図して話題を変えた。


「まあそんなことはいいんだ。それより話を進めよう」


 彼女は不満そうだったが、言われた通り3冊の大学ノートと一枚の用紙を机に出した。


「けっこう頑張ったんだ。もうへとへとだよ」

「見ればわかる。本当に凄い」


 適当な文字の羅列ではなく、そこには彼女の描く物語がびっしりと詰まっていた。でもまさか、素人がこれだけの量を書いて持ってくるとは思わない。短編一つ書き上げてくれば歓心だったのに、中編かそれ以上の量だ。


「ちゃんと寝れてないだろ」

「わたしはこの通りへーきへーきって感じです」


 ひらひらと力無く手を振る。余裕無さそうだぞ。


「でもどうしてそんなに頑張る必要があったんだ。僕は別に原稿用紙一枚だって認めてたよ」


 彼女は迷いながらも僕の質問に答えてくれた。


「いくつか理由はあるけど、まず一つは短いものでも認めてもらえるのかなって不安だったからかな。だってせんぱい、雰囲気ちょっと怖かったし」


 それはごめん、と内心謝る。


「それともう一つは、わたし中学の頃はバスケやってたんですよね」

「想像通りだ」

「んーなんか軽いイメージ持たれてそうでちょっとやだな。――えっとそれはいいとして、まあスポーツの世界に居るとさ、本気でやってる人とそうでない人の見分けがつくようになってきて。せんぱいの――んーと文芸誌を読んだあの日、わたしはきっとこれを書いた人は創作に真剣に取り組んできた人なんだなって思ったの。

 それもあってせんぱいと一緒に頑張っていくには、せんぱい以上に熱意を持たないとダメだなって」


 だから、と彼女は力強く告げた。


「読み終わってからでいいのでもう一度頼みます。どうかわたしを文芸創作部に入れてください。お願いします」


 頭を下げ、ノートと入部届が差し出される。

 僕は文化祭で自分の作品を3人に蔑まれた。後日連絡くれたOBの人からは気を遣われた。自信作だったから酷く傷ついたし、二年間本気で取り組んで必死に努力しただけに、あの日から一切作品を作る気力がなくなった。

  

 けれど、それは今は関係無い。部長として、一人の読者として、彼女の想いに誠心誠意応えよう。

 それから僕はすぐに受け取ったノートの中身を確認した。一行目から慎重に読み進める。――あ、この感じ。


「なんか笑ってるけど馬鹿にしてる?」

「いいや、その逆だよ」


 きっと楽しかったんだろうな。パソコンで打ち込む無機質な文字とはまた違う、彼女の生きた文字。文字からはその人の感情が見えてくることがある。書き殴った跡を見れば気持ちが昂っているのを感じるし、丁寧な字には穏やかな性格を感じる。彼女の文字には躍動感があった。

 

 ここ、書きたかったポイントなんだろうな。ここ、何度も消して書き直したんだろうな。ここの描写悩むよねわかる。この展開、ベタだけど好き。

 ノートの端にはメモ書き用の付箋が貼ってあって、悩んだ設定や展開が書かれていた。


 僕は時間も忘れて彼女の紡いだ物語に没入した。そして少しだけ初心を思い出した。小説を読むのは、他人の作った物語を見届けるのは、これほどまでに面白いものだったと。


「推しが活動休止するときほど辛いことはないらしいよ」

「何の話だ」

「せんぱいが活動休止から復帰してくれて嬉しいってこと」

「僕はまだ書くとは言ってない」


 そう、僕はもう二度と書かないと決めたんだ。もう二度と、あんな惨めな思いはしたくない。

 僕が読み終えた頃には彼女は机に突っ伏して眠ってしまっていた。本当にごめん。その代わりといってはなんだけど。


「山田花さん。ようこそ、文芸創作部へ。部長として、今日からあなたを歓迎します」


 下校のチャイムが鳴るまではここで待っていようかな。

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