第2話 下校のチャイムが鳴るまでは②

 仮入部の期間に入り、ほとんどの新入生が部活で忙しそうにしていた。

 

 運動部希望の生徒は体育館やグラウンドを行き来して様々な体験会に参加していたし、文化部に入る人だって散々校内を歩き回ってくたびれていた。まだ慣れない建物なので道に迷う生徒も多く、部室に居た僕に道を尋ねてきた人もいたくらいだ。

 

 文芸創作部の部室は僕らの通う新校舎にはない。じゃあどこにあるかと言えば、旧校舎三階の端だ。一般教室があったところを校舎が新設されるのをきっかけに部室にしたらしい。なんでも、当時の部長が活気のある場所では集中して創作に打ち込めないからと言っていたとのことだが、ただ単に恥ずかしかったからとも聞いている。

 

 ではどうしてここまで迷い込んだのかというのは単純なことで、この旧校舎には文芸創作部以外にも文化系部室が配置されているからだ。副教科の特別教室として使われている教室もある。ただあまりに人の気配がしないので、僕の足音でも聞いてここまで辿り着いたのだろうか。

 

 主にこの旧校舎で授業をする先生方のためにここにも職員室があるものの、そういった先生は大抵は非常勤講師なので放課後になれば帰ってしまう。

 

 つまりは、ここの建物に用事のある人間なんて限られているのだ。

 だからこそ、おかしい。ましてや、あんなにも人を寄せ付けない部活紹介をしたにもかかわらず、誰があの部室に用があるだろうか。


 僕は、扉の前で佇む女子を見て茫然と立ち尽くしていた。すると、まるで宝物でも見つけたかのように、僕に気が付くと瞳を煌めかせ眩しい笑顔をこちらに向けてきた。


「あ、あの!」


 陽気ではきはきとした発声、運動をやっていそうだなと思った。


「はあ、なんでしょうか。もしかして迷いましたか」


 絶対にそうだとわかっていても一応訊いてみた。答えは想像とは違った。


「えっと、そうじゃなくて。あ、これを渡そうと思って」


 これ、と広げたものを見る。その手にあるのは入部届だった。なんと驚いた。


「わたし、この文芸創作部に入部したいんです。お願いします!」


 あなたみたいな人が、と言いかけて黙り込む。人を見掛けで判断してはいけない。とはいえ、この女子が創作に通じてきたとは考えにくい。もちろん偏見でしかないんだが、髪を後ろで高く結った快活そうな人が小説でも書くだろうか。バスケ部の方がきっと似合う。髪の色も明るいし。

 

 僕は紙を片手で押し返し、平静のまま部長としての言葉を告げた。


「気持ちはわかるけどまだ仮入部期間だしもう少し他の部も回ってから決めたほうがいい。ほら、ここの校舎にも珠算部とか弁論部があるし」

「わたしはここに入りたいの」

「なんでそんなうちなんかに。部活紹介だって適当だっただろ」

 

 そんなに創作をやりたいのか。じゃあお構いなく席を譲ってやりたいところだが、先輩からの頼まれ事が頭を過ぎった。


 『どうかこの部活を、私の青春の場を残してくれ』だったか。書籍化作家としてデビューした二つ上の先輩が残した言葉だ。それに、紹介の際には言わなかった活動もある。これが意外にも大変だ。

 去年は僕の怠慢で一人も部員が入らなかった。つまり、今年中に誰か入れなければここは廃部となってしまう。

 

 だが僕は、そこまでやる気がなかった。それどころか、廃部になってしまえばいいとすら思っている。


 女子に目を移せば、どこか不満そうに口を尖らせている。だから僕が何をしたというんだ。


「ねえ、覚えてないの」

「ごめん。本当にわからない」


 なにも覚えがない。


「文芸誌、買ったんだけどな」

「お客さんは一般の人も含めたら最低でも30人は居た。買わない人もいたからもっとだろう。言い訳して申し訳ないけど、本当に覚えがないんだ」


 文芸誌はこの部の伝統的なものなので、生徒だけでなくOBの方や地域の年配の方が買っていく。高校の下見に来たであろう中学生もいた気がするが、こんな派手な人が居た記憶はない。 

 ただ、これまた言い訳になるけど、あの時の僕は少し気持ちが沈んでいたので、一々人の顔を見ている余裕もなかった。でも、正直に言い過ぎたかな。酷く落ち込んでいるようだ。


「ごめん……それで、その紙はどうする」

「覚えてて貰えなかったのは辛い。けど、それとこれとは別。本気なんです。受け取ってほしいです」


 意志は固そうだ。眼差しがやる気に満ちている。

 でもそうか。そうだなあ。


「僕はもうほとんど書くつもりはないんだ。今年の文芸誌はあなたに任せることになると思う」

「それは受験に専念したいから、とかですか」

「いや……」


 受験ももちろんある。ただ、それだけではない。

 返答に迷っていると、彼女はこれまた力強く宣言した。


「話したくないなら大丈夫です。わかりました。それならわたしが書きます。書かせてください!」


 人を笑顔にするような、前向きで逞しい表情を浮かべ意気揚々と進言する。

 

「心意気は嬉しい。ちなみに創作の経験は? 未経験なら難しいと思うけど」

「ゼロです」

「え」

「まったく書いたことがありません」

「じゃあどうしてこの部に。他にも面白い部はたくさんあるよ。青春したいならここじゃない方がいい。それこそ、創作は一人でも出来るんだ。部に入る必要はない」


 妙に熱がある。だからこそ、あえて部に入る必要はないように感じる。

 廊下は静かだった。外からは陸上部の掛け声が聞こえてくる。彼女はなぜか泣き出しそうなくらい暗い顔をしていた。


「去年、ここの文芸誌を読んでから創作に興味が湧いたんです。理由はそれだけじゃダメですか。なんでそんなに入って欲しくなさそうなんですか」


 理由はいくつかある。けれど、それを話してもきっと伝わらない。これほどまでに邪悪な百聞は一見に如かずな体験はないのだから。

 僕はまた返答に困った。そしてまた、彼女が宣言した。


「でもそうだよね。本気とか言って何もしてないはダメだ」


 そして何かに納得した様子。感情がころころと変わって忙しい。


「わかりました。来週までに一作書いてこの紙と一緒に持ってきます」

「いやどうしてそうなる。さすがに無理があるし。その、仮入部くらいは受け付けるからさ」

「わたしが決めたことだから。書けなかったら諦めるので、ちゃんと完成した時は絶対に読んでください。わたしの今出来る全てを込めて書いてきます!」


 決心は強い。でもそこに不純は見られず、ただ真っすぐな気持ちで創作にチャレンジしてみたいという意志を感じた。あまりにも輝いてみえて眩しくも思う。


「その代わり、ちゃんと書けてたらわたしをこの部に入れてください。お願いします」

「……わかった。そこまで言われたら僕も引けない。来週のこの時間、ここで待ってるよ」

「待っててくださいね。絶対に」

 

 そうと決まれば行動は早かった。

 ぱたぱたと風のように去っていく。と思いきや戻ってきた。なんとも忙しい。

 

「あとさ、さっきもう書かないって言ったけど、それ撤回させるから」

「はあ」

「わたしはね、あなたのファンとして、作家『司馬賢一』の筆を折らせないためにここに来たの! それと、忘れたこと許さないから!」


 そしてまた去っていく。

 ファン、か。僕の書いた作品にはこれまで一度だって装飾されなかった言葉だ。去年の文芸誌に載せた作品もそう。誰にも評価されず、それどころか酷評された。だから僕は挫折してやめたんだ。


 先輩の言葉、そして彼女の言葉が胸に残って消えてくれなかった。

 

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