第2話 祈りの歌


  遥か遠いあの日に

  思い馳せてうたおう

  心深く刻まれた

  大切な思い出を


  遥か遠い未来に

  思い馳せてうたおう

  心深く誓った

  愛しい願い抱いて


  想いを乗せた旋律よ


  空を越え 海を越えて

  どこまでも どこまでも

  響きわたれ



「この歌、よくお母様が歌っていたわ。年に一度、この祈りの日に。……真昼を告げる鐘の音に重ねるように」


 樹木の葉が散る頃に毎年行われる儀式“魂送り”――その括りである“祷歌”が歌われている。

 

 遥か昔に世界は酷い災厄にみまわれた。

 失われた命も多く、広大な大地が灰となったという。

 今は緑と水の豊かなこの地も、一度は荒野と化したと古い文献に残されている。

 この儀式は、再びそんな災厄が訪れぬよう祈りを捧げ、その災厄で失われた魂の安寧とその旅路を願うものだ。

 儀式の最後を締括る“祷歌”には、幸福を願うだけでなく、故人を悼む意味合いをも含んでいる。

 祷歌は代々王家に連なる姫か、女性であればその代の王自らが歌いあげる。

 しかし今年の歌い手は、かの金色を瞳に湛えるひと。

 中性的なその歌声と高く低く紡がれる旋律は、大聖堂の頂きから微かに風にのって聞こえてくる。


「本来は私の役目だけれど、どうも苦手なのよね」


 “歌う”というのは、簡単そうに見えて案外難しい。

 旋律をただ奏でるだけではいけない。

 コトノハをただなぞるだけではいけない。

 その意味と在り方を理解し、それに託された想いを、音と言葉で世界に織り紡ぎ響かせる。

 そうして祷歌は初めてその意味をもち、祈りは力となり、世界を宥め癒し浄化することができる。


「私はまだ未熟で……自信が持てないせいでもあるけど。……あら?」


 不意に視線を上へ向けた彼女は、思案するように少し首を傾げた。

 微かに聞こえるその歌の詞が、記憶にあるそれと少し違う。古い言葉だ。


「この歌詞……」


『ごめんなさい』


「え?」



  ごめんなさい

  ごめんなさい

  私の短慮で傷ついた世界

  私の絶望で病んだ大地

  その過程で傷つけた多くの魂たち

  私は 私の魂が尽きるその時まで

  祈り 贖い続けるでしょう

  愛しい世界よ

  愛しいいのちたちよ

  どうか今はただ

  安らかにあらん事を



 隣に佇む少年が、菫色の瞳で空を仰ぐ。

 紡がれた言の葉は、ただただ己を責めるような、悲哀に満ちた独白。

 それがたったいま耳にした詩の意訳であるのは明白で……。


「クリス様はよく歌ってるぜ?」


 思わぬ言葉に目を見開く彼女に、悪戯が成功したかのような無邪気な笑顔で「知らなかっただろ?」とのたまう居候は、どこか自慢げだ。

 彼らの住まう最奥の離宮には、城の主である彼女にとっては少し遠く、責務の都合で足を運ぶことはあまりない。

 最近に至っては、もっぱら日中は書庫や中庭で時間を潰している風体な彼らを捕まえては、息抜きがてら話をきいて貰うのが精一杯といったところ。

 賓客扱いであるので、苦言を呈するものは殆ど居ないけれど。


「……よく?」


 それでも、共に過ごした時間は決して短いものではなかった筈なのに。

 このような美しい歌声を聴きそびれていたなど、なんと勿体無いことをしてきたのだろうか。

 落胆の色を隠せないそんな彼女に、少しばかりの寂しさを滲ませて静かに少年は続ける。


「ひとりでいる時とか夜中の庭園でさ」

「そうなの?」

「うん」


 苦笑いで、大抵は夜ひとりで外に出ていってしまうのだと云う彼は、主と決めたひとに心底傾倒している従者でもある。

 万が一を考えてひっそりと後を追うことも多いからか――しかしひとりの時間を邪魔することもできず――、いつしか覗き癖が身についてしまった。 

 大概見つかってしまうのだけれど。


「キラキラ光が舞っててさ。すっげー綺麗だった」


 紡がれる音は眩い光を纏って、憂いと嘆きを祈りへと昇華する。

 この地に災いが極度に少ないのは、旋律と言の葉で織り上げられた世界への贖罪が大気と大地を浄化していることも大きく、の人の存在が実はどれだけ多くのものを庇護しているかを知る者など無いに等しい。

 それが知れたら一体どうなってしまうだろう。

 だから自分が守らねばならない。

 そう誓って隠し続けてきたのだけれど、どうにも彼女に対しては自慢をしたくなるのだ。

 自分の敬愛する主が、魂までも捧げた主が、どれだけ稀有な存在であるのかを、だ。

 これでもかというほどに満面の笑みを貼り付けて「羨ましいだろう?」という少年の言葉に、綺麗な顔が不機嫌に歪められる。

 呻いた彼女はハッと天を仰いで「そうだわ」と一言。


「今からちょっと覗いてこようかしら」

「年に一度の大事な祭事なんだろ?まずいんじゃねぇの?」

「じょ……冗談よ」


 ごもっともな指摘にウッと喉を詰まらせ、国の主は取り繕うように視線をそらす。もちろん、少年の瞳を避けて。

 冗談だなんていうのは嘘で、かなり本気で口をついてでた言葉だった。

 祷歌の歌い手は、城の中央に伸びる塔の最上階で、一人で祈りを捧げなければいけないのが古くからの慣わしだ。

 身を清め、儀礼用の聖衣を纏い、十節にわたる詩を歌いあげる。

 数ある祭事のなかでも特に重要なものだ。自身の勝手な願望だけで、長く続いてきた連なりを断つことはできない。

 できないのだがしかしっ!

 普段着飾ることのない麗人が光を纏って祈る姿を、見たいと思って何が悪いというのだろう。


「怪しいなぁ……」


 そんな彼女の心を読んだかのように、ニヤリと笑みひとつ。

 実際には遥かに年上であるはず少年は、外見相応の仕草で見上げてくる。

 彼や彼の一族らは、主と決めた存在以外に膝を折ることはない。

 大国を統べる王にさえ遠慮のかけらもなく平等に相対する彼らにとって、彼女はただの人でしかない。

 だからこそ飾る必要などなく、あるがままの自分で居られるのだ。

 幸いなことに、友人として接することも彼は許容してくれている。

 ならば遠慮することはない。導き出した妥協案を、彼女は満面の笑みで宣言した。


「今度時間をつくって、あなたに案内してもらうことにするわ!」

「は?」


 もう決定事項だと言わんばかりに胸を張って、菫色の瞳を見据える。

 昔から物事を強引にもっていくのは得意な彼女だ、なんだかんだで付き合いのいいやさしい少年が断れるはずもなく……。


「イールは覗き見、得意なんでしょ?」


 とどめに今日とびきりの笑顔を添えて。


「直接頼んで歌ってもらったらいいじゃん……」


 げんなりした様子で脱力した少年は、しかし「仕方ねーなぁ」とまんざらでもない。

 共犯者が増えるというのもなかなか心強いというものだ。

 気配を消して、後を追って。

 草葉の影から二人で現れたら、きっと困った風に小首を傾いで、それでも優しく歓迎してくれるだろう。

 かの人も彼女たちのことを大切に思ってくれていると知っているから……。



  友と生きる故郷に

  思い馳せてうたおう

  心抱く願いと

  見据えるその未来を


  共に歩む世界に

  思い馳せてうたおう

  光満ちる未来が

  またここから始まる


  希望を乗せた旋律よ


  空を越え 海を越えて

  どこまでも どこまでも

  響きわたれ 



 鐘の音は高く低く。

 レミュールの大地を覆うように広がっていく。

 祈りの歌は高く低く。

 世界の毒を浄化するように淡い光を纏って。

 儀式を締めくくるようにひときわ長く旋律が尾をひき、全ての鐘が静かに真下を向く頃、中天に座していたはずの光は少し西へと傾いていた。

 

 結局、嬉々として今後の計画を練るふたりの会話は、歌声の主が彼女たちを探してこの場に訪れるまで続くのだった。




【終幕】

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