蒼穹小話

あきらとり。

第1話 眠り姫の本


  むかしむかし

  この地は大きな災禍に見舞われました

  それは世界が壊れてしまいそうになるほど

  大きな大きなものでした

  神々でさえ正す事の出来ない歪みは

  全てを呑み込んで

  空を 山を 赤く赤く染めたのです

  それを憂いた翼の女神クウィルは

  その地に金の瞳の子を遣わしました

  金の瞳の子は全ての歪みを正し

  災いの力をその身に取り込んで

  世界とその地に生きるものたち全てを

  救ったのでした

  しかし 金の瞳の子はその代償に

  長く深い眠りについたのです

  金の瞳の子は今でも精霊たちに守られて

  遥か空高くにあるという庭園で

  眠り続けていると言われています



「で、その眠り姫に出会う事の出来た幸運の人には、さらなる幸せと……真実を映す鏡を手にすることが出来るんだって」


 鮮やかに色づけされた挿絵の多い項をめくりながら、年若い少女が手にした本の内容を読み上げる。

 文字は少し大きめ。

 やさしい感じの書体で書かれているそれは、子供向けの絵本のようだった。


「なんですか……その話は」


 少し硬い言葉を返すのは、その少女の向かいに座る細身の人物。

 首をかくりと横に傾げると、細い髪が肩を流れ、サラリと音がする。

 少女は本を閉じて表紙を向け、題名を指差しながら「眠り姫全集」と簡潔に答えた。


「むかしむかしの史実を基盤に、低年齢層向けに編纂されたおとぎ話風歴史本なんだけど……」


 ――まぁ、史実だなんて、ほとんどの人は思ってないんだけどね。


 「あたしもそうだったんだけど」と続けて、少女は机の上に本を伏せ、カップに注がれている紅茶に口をつける。

 まだ注がれてからそれほど時間は経っておらず、甘い香りがその場に漂うのに少女の顔に笑みが浮かぶ。


「おいしい紅茶ね。ありがとう」

「どういたしまして」


 やわらかい返事を聞いて、少女は向かいに座るその人の顔をまじまじと見つめて、話を続ける。


「んで、あれよね。うっかり飛竜に乗って探してみて、空に浮かぶ庭を見つけて踏み込んで、まぁ……あなたを見つ……というか、足引っ掛けて突っ込んじゃったんだけどね」


 当時を思い出して、くすくすと声をこぼす。

 あれは本当にいただけない。

 飲み干したカップを机に置き、ポットから新しく注ぎ入れる。

 湯を注いでから少し時間がたっていたため、茶葉の渋みが出てしまったのだろう。

 しかめっ面になった少女にクリーマー(ミルクの入った小ぶりの器)をすすめて、その人は自分が目覚めた時の事を思い出してみた。

 時の止まったその場所で眠り続けていた自分を、捜し求めてたどり着き、さらには連れ出した不思議な少女。

 あれから数年。少し幼さの抜けてきた彼女は、紅茶を嗜めるようにもなってきた。

 淡く笑みを浮かべながら眺めているその人に、彼女が一言。


「確かに、咲き乱れる花に囲まれて眠っているあなたを見たときは、聞いていた以上にお姫様だって思ったわ」


 色鮮やかな花たちに抱かれるように眠る姿は、眠り姫とたとえるに相応しい。絵本の挿絵にもそのあたりはしっかりと描かれるべきだ……と。

 きっぱり言い放つ彼女に少し眉を寄せて、「眠り姫」と称されたその人は机の上に置かれた本を手にとりながら、「自分は女性ではないのに……」と小さく抗議してみる。

 それをきっちり聞き取った彼女は、軽く笑いながら答えた。


「男性でもないんだから、別にいいんじゃない?」

「……」


 思わずその手から絵本が地面に落ちる。

 一度それに視線をやって、そのまま向かいに座る少女に向き直る。


「誰ですか、それをあなたに話したのは……」


 普段あまり表情を大きく変化させないその人の引きつった笑みを珍しそうに眺めて、彼女は「先生よ」と率直に応える。


「先生って……」

「エスト先生よ」


 地面に落ちた本を拾い上げながら、「そうですか……あのひとですか」と呟くその人の声色は、若干怒りを含んでいるように少女は感じ、小さく首を捻る。


 ――余計な事を言ってしまっただろうか?


 愛らしい絵本を手に「少しこれ、お借りしますね」と言い、その人はそのままその部屋から退室していってしまった。


 ――まぁ、珍しいものを見れたのでよしとしよう。


 金色の瞳を隠すために、普段から目隠しをしているかの人の表情が、あれほどはっきり判断できる事はあまり多くはない。

 少し得をした気分に浸りつつ、窓の外に広がる景色に目先をうつす。

 本日は晴天。真っ青な空に浮かぶ白い雲が、光を反射しているようで少しまぶしい。


 ――あの綺麗な人に、一度一緒に湯浴みでもどうかと誘ってみよう。


 一度間近でじっくり観察してみたいのだけれど。


「んー……激しく断られそうな気がしなくもないなぁ……」


 そんなことを考えながら、情けない悲鳴の聞こえてくる階下の離宮を見て、すっかり冷たくなってしまった紅茶を一気に飲み干した。


[終幕]

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る