第14話

気づけば空から雲はなくなっていて、太陽の日差しが肌に直に照りつく。

 空もきれいな天色に塗られている。

 「ねえ、どこに行くの?」

 目の前で遠足の小学生みたいに楽しそうに歩いているハクに呼びかけた。

 ハクはスピードを止めることなく答える。

 「秘密」

 ハクは私の腕を掴んでいた手をスルスルと下げて、私の手のひらを握った。

 それが少しこそばゆくて腕がふるりと震える。

 ハクはそれが面白そうに息を漏らし、手を握ったまま前後に大きく揺らし始める。

 太陽に照らされ光を帯びた髪はハクの動きに合わせて左右に揺れている。そのたびに髪にかかった光の輪は波長のような形を描きながらゆらゆら揺れた。

 ハクが答えてくれないだろうなというのはなんとなくわかっていたことなので、それ以上追求するのはやめておいた。

 学校を出てからしばらくハクに腕を引かれて歩いているのだが、どこに行くつもりなのかは検討もつかない。

 同じような歩道をずっと通っている気がして、今通っている家ももしかしてさっき見たんじゃないかと思う。

 太陽も真上に登っていて、足の下に広がる影がずいぶんと短くなっている。影はハクが腕を揺らすたびにかすかに揺れ動いた。

 隣の車道で車が一台通った。思わずその車の方を見ると、運転手と目があった気がした。

 すぐに視線を逸らしたが、その瞬間ドクリと心臓が大きく一度脈打つ。

 気のせいかもしれないが、目のあった運転手は何か私を見て咎めるような目をしていた。

 確かに、こんな真っ昼間に高校生だと思われる服装の人間が楽しそうに歩いていたら不快に思われてしまうのは至極当然のことだろう。

 前を出ると、ハクは何も気にしていないような様子だ。

 しかし、一度そう思ってしまうと、横を通る車全部が私を咎めているような気がしてきた。

 居心地が悪い、というか、この場合に歓迎されていない感じ。異端者として後ろ指をさされている気分だ。

 「ハク、もう少し人の少ない道とかないの?」

 駄目もとでハクに聞いてみた。

 私の腕を掴んでいたハクの手がピクリと反応した。

 「どうして?」

 「や、だって、めっちゃ悪目立ちしてるから。私もハクも学校指定の服だし。」

 自然と視線が泳いでしまう。私はなるべく道路から視線をそらすように歩いた。

 それでも肌を逆なでされるような感覚は消えない。

 すると、ハクは私の手を離し、グルンと勢いよく振り返った。

 その拍子にハクの髪がぶわっと振り上がり、重力に従ってハクの顔を覆い隠すように落ちた。

 それを気にせずにハクは人差し指をピンと立てて私の胸の前にずいと近づけた。

 癖なのだろうか。保健室でもしていたな、と思い出した。

 「そんなお客さんには―」

 ハクは変なノリで人差し指をくるくる回した。

 一体何のキャラなのだろうか。

 「こちらへどうぞー」

 まるで員さんみたいに左手を腰に回し、右手で道路と反対側の公園を案内するように指した。ハクが何をしたいのかわからず、私が公園に行くのを渋っていると、ハクはさっきまでのよくわからないキャラをやめて私の手をまたするりとにぎった。アスファルトに照りついた日差しのせいで熱くなった私の手のひらとは対象的にハクの手は冷たいままだった。

 ハクはわたしの手を引いて草木のぼうぼう生えた地面をかき分け公園の中へと進んだ。

 公園の中には誰もおらず、少しだけ全身が縛られた感じがフッと消えた。

ハクに促されるがままにベンチに座る。チクリと逆だった木の破片が刺さるが、でも座り心地はなかなか悪くなかった。

 「なんでここにつれてきたの?」

 「んー?」と、ハクは両足をブンブンと振って空を見上げていた。空はもう完全に晴れていて、日差しが直撃してくる。しかし、公園は自然が豊かで草木による木陰が心地いい。

 「ミク、プラシーボ効果って知ってる?」

 「聞いたことはある、けど…」

 「プラシーボ効果っていうのは、例えば薬として効果のないものを患者さんに飲ませると、思い込みによって痛みが収まる、とか。要は、思い込みの力ってわけだよ。」

 ハクは空を見上げたまま、木の葉の影が顔にかかっている。

 「人間って単純で、できるって強く思い込んだらできるし、無理だって思ったらできなくなるんだよ。」

 「つまり」と、ハクは片腕に体重をかけて私に近づいた。重みで古いベンチがきしんだ。

 「強い自信を持ってるって思い込めば、周りの目とかは気にならなくなるんだよ。」

 そういうことか、とようやくここでハクがここにつれてきた理由がわかった気がした。

 本当にハクには全部見透かされてるんだなと私を覗き込む意志の強い瞳を見て思う。

 ハクの瞳は光をよく吸収していて煌めいている。

 ハクは体ごとこちらに向けて、ほとんど向かい合うような状態になった。つられて私も気持ちハクの方を向く。

 「目をつぶって、深呼吸してみて。」

 珍しく無表情で何を考えているのかはわからなくて少し不安になったが、怒っているようなわけではなさそうだ。

 戸惑いはしたが、私は目を閉じて遠慮がちに息を吸った。

 目をつむると資格情報が一切遮断され、瞼の裏には太陽光の明るさだけが映っている。

 「ゆっくり、大きく…」

 目を閉じているせいか、ハクの声がずいぶんと近くて驚く。

 囁きのようなふわりとした声がゆっくり耳にしみた。

 ふるりと肌が震え、大きく息を吸った。

 かすかに草の匂いがする空気がすっと入ってきて、喉が涼しくなる。

 「それから、体の中にあるパワーみたいなものを放出するイメージ。」

 体の中のパワー?

 よくわからずに体の内部に視線を滑らすように深く深呼吸するがよくわからない。

 つい目を開けそうになるが、すぐに瞼の裏が暗くなる。薄目で視界を開くと目の前にはハクの手のひらがあり、再び目を閉じた。

 「体の心のような部分に力を入れて、息を吐くときに体から放出するみたいに。」

 すうっとハクの声が優しく肌を撫でる。

 ぐうっとお腹の奥あたりというか体の軸のような部分に力を入れる。自然と呼吸が深くなっているのが自分の呼吸音を聞いて気づく。

 何でもできる、と言い聞かせながら息を吐き出すときに込めた力を外に溢れ出すように意識する。

 指先からも力を溢れ出すように目を力強く閉じたとき、パッと目を勢いよく開いた。

 その瞬間、光の粒が視界に爆発するように瞬いた。

 絵かきアプリの明度と彩度をぐっとあげたように目の前の景色が輝いているように見えた。

 目の前に広がる空はアクリル絵の具みたいに強く輝く天色はさっきと変わらないのにこのまま飛んでいけそうなくらいキラキラしている。

 眩しくて目を閉じてしまいそうだったが、不思議と自分の目は見開いたままだった。

 「いいね。いい顔になった。」

 目の前の景色に視線を縫い付けられていると、ハクは口をぐっと横に伸ばして満足そうな顔をのぞかせた。

 「すごい…」

 思わず声がポロリとこぼれた。

 「世界変わったしょ?」

 ハクは頬をぐうっと持ち上げ、目尻を下げた。

 「変わった。世界変わったよ。」

 大袈裟すぎると思ったが、同時に確かにとも思った。

 口に出せば安っぽくなってしまいそうで口をつぐんだが、まるで自分が主人公になったような気分だ。

 まるで、自分が生まれ変わったようだ。

 ハクはフッと息を漏らし、また空を見上げた。

 「綺麗だね。」

 私も同じように空を見上げた。

 今なら何でもできる。馬鹿みたいかもしれないが、心の底からそう思った。

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