第一章

第一話 目覚め



 暗い。何処までも堕ちていくようなそんな感覚がする。僕は死んでしまったのだろうか?何も見えない、何も感じない。このまま溺れていくような、そんな感覚のみがある。このまま消えてなくなってしまいそうだ。

 

「……役目」

 

 誰かの声がする。役目?役目とはなんだ?

 

「……お前の役目を果たせ」

 

 そうだ、僕には役目が。大事な役目がある。

 

とこしえに変わらぬお前の役目を……」

 

 ――変わらない僕の……


 ◇ ◇ ◇

 

 青年は目が覚める。知らない天井、違う空気感、青年は口に出して言う。

 

「ここはどこだ……?」

 

 ボロボロのベッドに目を向ける。シーツすら用意されていないところで寝ていたようだ。それにしても質素というか、何も無いというかな部屋だ。床や壁のコンクリのヒビからは雑草が見えている。扉も壊されているのか存在せず、四角の穴がポッカリ空いている状態。廃屋とかなのだろうか。

 ふと、青年は重大なことに気づく。

 

 「自分の名前って…なんだっけ……」


 分からない。自分が何者なのか、分からない。思い出せない。何故ここにいる?何をして生きてきた?自分は何だ?ここはどこだ?

 青年の脳内は錯乱している。とにかくなにか思い出さないといけない。

 青年は寝起きで動きが鈍い脳をフル回転させた。しかしなにも思い出せない。それどころか分からないことが増えていくばかりだ。年齢、容姿、家族……

 悩んでいても埒が明かない。青年はこの部屋になにか手がかりがないかとベッドから起き上がる。

 青年は少し部屋を歩く。大した広さもなく、ボロ小屋という印象しかない。ここがどこなのか分かる情報はなかった。ただ、木製の小さな戸棚の上に紙とメモが置いてあった。

 メモには、


『門番にこの紙を見せてやってくれ。それが私が客人として呼んだという証拠になる。』


 と書かれている。

 紙には謎のマークの印がされていた。見たことない文字で契約書のような物が書かれている。なにか手がかりになるかもしれない。青年はポケットに折ってしまった。

 青年はここから出てみることを決意した。手がかりはこの紙切れだけだが、なにか行動しなければなにも分からないままである。ここから外に出て、なにか思い出せればいいのだが……。


 ◇ ◇ ◇


 外に出ると青年の目には信じ難い景色が広がっていた。

 建物は倒壊し、草木が建物を侵し、瓦礫がそこら中に転がり落ちている。人の気配は全くしない。青年のよく知る世界は人の営みがあり、高層ビルが立ち並び、喧騒の中それに順応するように溶けていく世の中、良くも悪くも毎日が騒がしくもある世界であった。自分が眠っている間に何があった?ましてやここは自分の知っているいつもの世界なのか?さっきから考えても分からない疑問ばかり浮かび上がってくる。人は、誰か一人くらいはいるのではないか。そんな期待を胸に青年は周辺を探索し始める。

 青年は少し歩いてみた。五百メートル程商店街だったであろう場所をゆっくり左右をキョロキョロと見ながら人が居ないか確認していった。

 ――先程からとても視線を感じる。一人ではなく、複数人からの視線。

 

「誰かいるんですか?」

 

 少し大きめの声で青年は言う。しかし返答はなし。人が居るのは分かっている。しかし姿を現すことは無く、こちらをただ見ているのみ。そこら辺にある廃屋の中から様子を見ているのだろうと青年は察する。

 

「ねぇ、君」

 

 突然の声にビクッと反応する青年。振り返るとそこには少しばかり背の低い大人びた女性がいた。長い黒髪が風に靡いており、パーカーにミニスカという終末世界のようなこの場所には不揃いな格好をしている。そんな格好よりも異質な部分があった。それは彼女には猫の耳のようなものが頭部に生えていること。付けているとかではなく、確実に生えている。

 

「聞いてる?」

 

「え、あ、はい」

 

「なんでここにいるの?君みたいな子が来る場所じゃないんだけど。それとも誰かに会いに来たの?」

 

「そういう訳では……。僕は起きたら何故かここにいて、何も思い出せなくなっているんです」

 

「そう、なら君はここに居るべきじゃない、出ていって」

 

 初対面の人にここまで拒絶されるとは思わなかった。というより優しくされるものだと思ってた。出てけと言われても青年には宛がない。

 ただ彼女は確実に青年に敵対的である。


「あの、本当に自分何も知らなくて……助けて欲しいです……」


「私はそんなにお人好しじゃないから。助けてと言われても私にどうしろって話だし。いい加減にしないと私も力でねじ伏せなきゃいけなくなる」


 彼女の眼の色が変わる。確実に青年を殺すことが出来る眼。人かどうかすら怪しい人だ、何をされるか分からない。青年は大人しく出ていくことにした。

 出ていく意志を見せると、さっきまでの殺意の眼はなくなり、出会った時の敵対的な目付きに変わった。


「ここ真っ直ぐ行けば出れるから」


 彼女は最後に冷たく言い放った。青年はやや駆け足でこの街を出て行った。


 ◇ ◇ ◇


 一体彼女は何者だったのだろう。その前に僕は一体何者なんだ?外に出たら何かわかるかと思えばまた謎が深まった。青年は瓦礫が端に寄せられているだけの道を進んでいく。宛もなく彷徨う青年。このまま野垂れ死んでしまうのではないか。そんな不安が脳裏に過ぎる。

 すると、ガサッ…と瓦礫の山から何かが動く音がした。

 

「…?」

 

 近づいたが、そこには何もいなかった。ただ、何かが引き摺ったように移動した痕が残されていた。

 嫌な予感。背後からの気配。何者かの影が青年を包み込む。そして後ろを振り返った。

 

「ひっ……!」

 

 一つの胴体に頭部がいくつも繋がっていて、身体には複数の眼がある黒蛇が青年を見ている。腰を抜かして後ろに転ぶ。自分の生存本能が逃げろと言っているが恐怖のあまり動けない。怖い。異様な化け物を目の前に何も出来ない。殺される…このままだと殺されてしまう……!

 

「シャァァァァァァァッ!!」

 

 化け物は咆えながら青年の方へ飛びついてきた。もう終わりだ、助からない。でもなにかしないと本当に死ぬ。死んでしまう。

 死にたくない!こんなところで――――

 

「来るなぁぁぁぁぁっっ!!!」

 

その瞬間、青年を踏み台にして宙を舞う姿があった。その人はそのまま上からバケモノを両断する。血飛沫を上げながら叫ぶ化け物。青年は安堵する。


「た、助かった……?」


先程青年を救った人はフードを深く被っており顔はよく見えなかった。その人は先程化け物を両断するのに使用したであろう斧に付いた血を飛ばし、背中に装着し直す。そして青年の方を向き、話しかけてきた。


「そんな丸腰でここを歩いてるって…相当危ないよ?」


 女性の声だ。身長もあまり高くない。さっきの猫耳の子と同じくらいだろうか。


「えーっと…すみませんでした……」


「助けて貰ったんだからすみませんじゃなくてありがとうだよ」


「あ、ありがとう、ございます?」


「それでよし。ところでなんでこんなところを一人で歩いていたの?都市部からここまで歩いてきたんでしょ?南門までついていってあげるから帰ろう?……あ、それとも死にに来たとか…教団に入教したいとかだった?」


「えっ……と……?トシ…ブ?ミナミ…モン?キョウ…ダン?」


「……え?」


 知らない単語ばかりだ。とにかくこの人に事情を説明しよう。分かってくれるとは思っていないけど。

 

「……えっと、起きたらなにも……自分の名前すら覚えてなくて、外に出たら訳も分からないまま街…のようなところを追い出されて……それで宛もなく彷徨っていたんです」


「なるほど……?」


 やはり、といった反応。簡単には信じて貰えない。色々と絶望的だ。


「君、どっちの方向から来たの?」

 

「え……?あっちですけど……」


 青年は来た道を指さした。

 

「ここら辺で街って……あの街で目覚めたってこと……?」


「あの街……?」


「だいぶ根性あるね、君…。そりゃ追い出されて当然だよ……」


「……?」


「君は常識的なことを一つも理解してないみたいだし、さっきの感じからして死にたい訳でもないみたいだから本当に記憶がないみたいだね」


 やっと信じてくれた。少しトゲのある言い方な気もするが、信じてくれただけマシだろう。

 すると彼女は何かを考え始める。青年は黙って考えている彼女を見ている。よく見ると髪は白色ということに気づく。服も動きやすさ重視な服ではあるがややお洒落な気もする。……さっきから世界観と服装がマッチしていない。


「うーん、君について考えてみようかと思ったんだけど、あまりにも君に対しての手がかりがないね。そもそもあの街にいた事が意味分からない。なにか他に情報は無い?」


「……目覚めた場所の近くに紙とメモが書かれていました」


そう言ってポケットから紙とメモを取り出し、彼女に見せる。


、ね……」


「なにか分かりましたか……?」


「君についてはまるで何も分からないままだね。でも宛のない君に宛が出来た」


「え?」


「君はまず『殲滅隊本部』を目指そう。南門前までは私もついて言ってあげられる。門前には門番がいるから、その門番にこの紙を見せるんだよ?殲滅隊が君の宛になるはずだから」


「えっ?」


 唐突に話が進みすぎてついていけない。でもなにかは分かったみたいだ。


「どういうことですか?」


 彼女はふふっ、と笑った。


「ここら辺には『ドミネ』っていうさっきみたいな危険な生物が沢山いるの。でも殲滅隊がある都市部は安全だから。今はそこに行って匿ってもらおっか」


「匿ってもらうって……また追い出されるかもしれないし……」


「大丈夫、匿ってくれる人が絶対いるから」

 なんて不確定的な絶対なんだと青年は思った。ただ彼女は自信満々にそう言っている。青年は若干の不安がありながらも彼女と共に殲滅隊本部を目指すことにしたのだった。

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