第5話 2

 抜けるように青い空。


 どこまでも続くかに見える街道を、俺達は大型騎車に揺られてひた走っていた。


「……やっぱり騎車は速くて便利ですねぇ。もうフォルティナ王東征街道に入りましたよ」


 隣に座るリディアが、窓から吹き込む風に髪をなびかせながら楽しげに声をかけてくる。


 バートニー村を出発してから二時間。


 チュータックス領を駆け抜けて領境の関所を通過した俺達は、アジュア大河河畔街道から分かれたフォルティナ王東征街道に入ったところだ。


 馬車だとここまで来るのに一日半はかかる距離なんだが、騎車をボリスンとチャーリーが交代で牽く事で、たった二時間でここまで来れた。


 黒狼団のふたりは、<竜牙>騎士達と共に鍛錬を積んでいるお陰で、長時間の兵騎稼働に耐えられるだけの魔動を手に入れている。


 今はボリスンが騎車を牽いていて、チャーリーは屋根の上で休憩しつつ後方警戒中だ。


「兵騎に車牽かせようなんて、ローゼス伯ってぶっ飛んだ事考えるんだねぇ……」


 リディアの後ろの席に座ったマリ姉は、驚き半分呆れ半分といった表情だ。


 マリ姉は元々武家ラグドール辺境伯家の娘で、女騎士を目指していたからな。


 兵騎といえば騎士の武装の代名詞で、こんな風に馬の代わりにするのに、どこか納得できないものがあるんだろう。


「……兵站の確保と維持だって騎士の仕事のひとつだって、領内の騎士を説き伏せたらしいよ?」


 と、マリ姉に説明するのはその隣に座るマチネ先生だ。


「そんな事よりマリお姉ちゃん。ラグドール領の事、もっと教えて~」


 そう言ってマチネ先生は、イゴウからもらったのだという魔道器を膝の上に置き、それによって投影された光盤を指差す。


 複雑な刻印が刻まれた手の平サイズの銀晶板の魔道器が投影するのは、この辺りを上空から見下ろした鳥瞰図だ。


 イゴウの説明によれば、対になった鳥型魔道器が見下ろした光景が、そのまま投影されているのだという。


 国土地理院が作る地図が無意味とも思える精密地図だ。


 自重をかなぐり捨てたババア達が解禁した魔動技術のひとつである。


「フォルティナ王東征街道に入ったって事は、今、この辺りって事でしょ?

 てことは、もう少しでアンダルス湖が見えてくるって事だよね?」


 ……恐ろしい事に。


 マチネ先生はこの精密地図を使いこなせているんだ。


 霊脈に接続する事で、地名が表示されるのに気づいたのもマチネ先生だ。


 つい三十分ほど前も、チャーリーがフォルティナ王東征街道と勘違いして支道に入りかけたのだが、地名の違いに気づいたマチネ先生が注意して道を間違えずに済んだ。


「――アンダルス湖は多くの河川が流れ出てて、ラグドール領の水源になってるんだよ」


「アンダルス湖は第八代フォルティナ王陛下が東征なさった際に、最初に拠点を築いた地としても有名ですよね」


 マリ姉の言葉に、リディアが説明を加える。


「――え、そうなの?」


 途端、マリ姉は驚いたようにリディアを見た。


「おい、マリ姉。なんで地元の歴史を知らねえんだよ……」


 領民に獣属ワーロイドを多く抱えるラグドール辺境伯領において、彼らとの融和のきっかけとなった<獣王>ことフォルティナ陛下の事は、領主家の者として知っていて当たり前の史実だろうに……


「いやいや、普通、そんな細かいトコまで覚えてないって!」


 ……これで祭宮侍女長をしていたというのだから驚かされる。


 祭宮は祭祀に関わる部局も多いから、歴史知識は自然と身につくはずなんだが……


「むしろリディアは、なんでそんな細かい事まで知ってるのよ?」


「父が歴代陛下の歴史を調べるのが好きだったもので、ウチの書庫にはその手の本がたくさんありまして……」


 と、リディアは恥ずかしそうに応える。


「そうそう。フォルティナ陛下の事はオルトンおじさんがよくお話してくれたから、あたしも知ってるよ。

 異属と争うのではなく、手を取り合う事でこの地を切り拓いて行こう――って言った人!」


 ……先代バートン男爵は、恐らく子供達に彼の王の逸話を語る事で、村に蔓延っていた排外的な気風を和らげようとしていたんじゃないだろうか。


 ――だからこそ。


「――ラグドール領に行ったら、獣属ワーロイドの人達に会えるんだよね。楽しみだなぁ……」


 先代男爵の想いは見事に結実し、目を輝かせて語るマチネ先生からは、獣属ワーロイドに対する忌避感や恐怖はまるで感じられない。


 あるのはただただ純粋な異属との交流に対する好奇心だけだ。


「……フフフ……モフモフ……」


 いや、なにか偏執的な呟きも聞こえてきたが、聞かなかったことにしよう。


 まさか俺達の旅に同行したいとゴネまくった目的が、それだとは思いたくない。


 ……賢いマチネ先生の事だ。きっと深い理由があるはずなんだ。


 きっと、そのはずだ。


 ――そう。俺達は今、ラグドール辺境伯領を目指している。


 現在、バートニー村には俺が飛ばした檄文に賛同する領主達が次々と応じて、騎士達を送ってくれている。


 中には領主本人がやって来る事もあるほどだ。


 蜂起に向けて、着実に戦力は整いつつ合った。


 今回、俺がラグドール領に赴いているのは、マリ姉を実家に送り届けるというのもあったが、一番の理由はラグドール領の民の特殊性にある。


 それが先程から話題に出ている獣属ワーロイドだ。


 ラグドール辺境伯領が擁する<竜爪>騎士団には、多くの獣属ワーロイドが所属している。


 先日ババアから届いた連絡によれば、ロイド兄は俺の蜂起に賛同してくれると言っていたそうなんだが、そうなると問題になってくるのは獣属ワーロイドの扱いだ。


 獣属ワーロイドは確かにフォルティナ陛下以降、我が国の民と認められているわけだが、同時に彼らは独自の社会を構築していて、王国法においても彼らの自治が認められている。


 彼らはその形質ごとに、氏族という集落を形成して暮らしているんだ。


 基本的にラグドールの領政は、領都に滞在している各氏族の長かその代理と、ラグドール当主による合議によって執り行われている。


 だから、<竜爪>を動かす場合は彼らの同意もまた必要となるわけだ。


 そもそもの話、<竜爪>騎士団というのは、戦を目的とした騎士団ではない。


 ラグドール領内にある国内最大の魔境――フォルス大樹海。


 そこから湧き出る魔獣や魔物への対処こそが、その設立目的であり存在理由なのだ。


 フォルティナ陛下の御世から幾星霜。


 <竜爪>が人との戦に駆り出された事は、これまで一度としてない。


 それは文書にこそされていないものなのだが、フォルティナ王と当時の各氏族長とが交わした約束があるからだ。


 ――ローダイン王国は彼らと共にこの地に安寧を広げ、氏族連合はそれを助ける。


 つまり獣属ワーロイドの力は、ラグドール領の安堵にのみ用いられるべきなのだと、歴代陛下とラグドール当主は考え、それを貫いてきたんだ。


 ……それが今回、ロイド兄によって破られる可能性がある。


 ――俺を助ける為に……


 きっとアリシアに輪をかけて脳筋のロイド兄は、<竜爪>に所属している獣属ワーロイドは身内と捉えていて、深く考えていないはずだ。


 そしてババアもまた、そういう根回しなんかは考えていないだろう。


 獣属ワーロイドの性質を理解しているからこそ、いざとなったら力を示して従わせれば良いとか考えてそうだ。


 だが、彼らの力を借りる事になる俺としては、それは避けたいんだ。


 異属を強引に従わせて王位奪還を成したとなれば、その後、他国に批判される要因になりかねない。


 腹黒なクセに潔癖なところのあるミスマイル公国のクローディア殿下なんか、嬉々として槍玉に挙げるに違いない。


 そういう後々の憂いを取り除く為に、俺は氏族長達の同意を取り付ける為に、直接、ラグドール領へと赴く事にしたんだ。


「……ところで……」


 俺は並んだ座席の後ろに視線を向ける。


 そこには満載した土産の木箱の間に埋もれるようにして、敷いた毛布に横たわるエレ姉の姿。


 寝息を立てて、完全に熟睡している。


「アレ、婚約者に会いに行こうって姿じゃねえよな……」


 思わず苦笑交じりに呟いたのがよくなかった。


「――そんな事ありません! エレーナお姉様はちょっとお疲れなだけなんです!」


 途端、リディアが俺に詰め寄って反論する。


「あ~、仕方ないよ。久々にお兄ちゃんに会えるって、昨晩は興奮して眠れなかったみたいだからね」


 と、マリ姉は苦笑。


「……アルお兄ちゃんさ、そういうトコだよ?」


 マチネまでもがジト目で俺を見据えてくる。


「そもそもエレーナお姉様の――いいえ、女性の寝姿をまじまじと見るものじゃありませんよ!」


 人差し指を立ててまくしたてるリディアに、俺は何度もうなずく。


 女性だらけの車内に、俺の味方はいないようだ。


「あ、あ~、そうだ! チャーリー、見張りを手伝おう!」


 堪らず俺は窓からの逃亡を選択した。


 背後から女達の溜息が聞こえてきたが、今は逃げの一手だ。


 今日、俺は女達の前で迂闊な事は言ってはいけないという事を学んだのだった。


 そんな俺達を乗せて、騎車は東へと突き進む。

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