第5話 大賢者の誤算
第5話 1
王都屋敷の使用人達全員が王都を離れ、逃げて来たと告げられ、オレはすぐさま城門に向かった。
「――ああ、ロイド様! お嬢様がぁ……」
妹の乳母でもあった王都屋敷の侍女長が、オレの姿を見るなり泣きついてくる。
「いったいなにがあった?」
訊ねながら視線を巡らせるが、この場にいる者の中に妹――マリエールの姿はないようだ。
「……若、実は――」
と、泣きじゃくる侍女長に変わり、侍従長が事情を説明してくれたわけだが……
「――宮廷侍女長そろってテロっ!?」
「……はい。城を脱出なさったマリエールお嬢様は、私どもに
驚くオレに、侍従長が困惑気味に告げる。
なんでも示し合わせて官位を返上しようとしたところ留意を促されて、クレリア
あのニセモノ小僧をぶっ飛ばした挙げ句、エレーナの戦術級攻性魔法で城門すべてを焼き落として逃亡したんだとか。
「……クレリア
エレーナからの手紙は現在の王宮での苦労が隠されていたが、マリエールからの手紙にはこれでもかと愚痴が連ねられ、エレーナが心労を積み重ねている様もまた綴られていた。
二人の上司――統括侍女長であるクレリア
どうやら逃亡はエレーナやクレリア
単純に考えるなら、エレーナの実家であるベルノール領に向かったと考えるべきか?
クレリア
だが、あの知恵の回るエレーナが、そんな安易な逃亡先を選ぶだろうか。
とはいえ、残る侍女長のヘッケラー嬢はローゼス家陪臣の子爵家令嬢だ。
彼女の父親のヘッケラー子爵は、ローゼス領の一部の代官を任されているらしいが、当のローゼス領は現在、グランゼス公爵領で発生した大侵災の最前線となっている。
だから逃亡先に選ぶとは考えられない。
「……まあ、クレリア
と、オレは逃げてきた王都屋敷の家人を安心させる為にも、あえて楽観的に笑って見せる。
「とにかくおまえ達は休め。今後の事は情報が集まってからだ」
そう家人達に言い添えて、オレは執務室に戻った。
ドアを締め、応接用のソファに腰を降ろして深々と溜息。
「――王宮侍女長が四人揃ってテロだとさ……」
呆れ混じりに向かいに座る人物に声をかける。
「ああ、聞いてたよ。あたしやバカ弟子から連絡を受けて、もう我慢する必要がないと考えたんだろうさ」
「……てこたぁ、婆さん、こうなるのも予測済みか?」
オレの問いに、婆さん――王宮地下大迷宮の魔神にして大賢者、オレ達の師匠のアジュア婆さんは苦笑する。
「――いずれ、とは予想してたけど、まさかここまで早く決断するとはね。
クレリアのストレス蓄積具合を見誤ってたようだ」
そう告げながら、婆さんは我が領の特産の米酒を注いだお猪口を舐める。
「真っ昼間から、良いご身分なこって……」
婆さんの前に並んだ徳利の中から中身のあるものを選び、オレもまたお猪口に手酌でにごり酒を注いで一息に煽る。
「おやおや、あんたこそ真っ昼間から良いのかい?」
「これが
クレリア
祝杯くらいあげたって良いはずだ!」
偽王カイルへの反旗の狼煙は、ぜひ
そもそもオレは徳利の一本や二本で酔えるほど弱くはないんだ。
なにより仮に酔ったとしても、婆さんの霊薬があれば一瞬で吹き飛ぶのは、地下大迷宮の庵で経験済みだ。
「あ、そうか。あいつら、何処に逃げたのかと考えてたが、アル坊が生きてるのを知ってるなら、あいつのトコに行ったのか?
なんつったっけ……なんとか男爵領の開拓村に居るんだよな?」
「バートニー村だね。
イゴウ達に任せてるから、もう村って規模じゃなくなってるかもしれないけどね」
婆さんは意味ありげに笑い、肩を竦める。
「アル坊も薄情だよな。生きてるなら、オレに真っ先に連絡すべきだろうに」
「アンタに連絡したら、これ幸いとばかりに<竜爪>を動かそうとするだろう?」
<竜爪>というのは、我がラグドール辺境伯家が擁する騎士団の名だ。
魔境フォルス大樹海から漏れ出る魔獣や魔物への対処に特化した団で、戦働きに駆り出されるのは稀な為に、知名度こそグランゼスの<竜牙>ほどではないが、戦闘能力では負けてないとオレは思っている。
「当然だろう!? <竜爪>が対人――戦でも役立つと、民に知らしめるいい機会だぞ?」
内心をそのまま口にするのは気恥ずかしくて、オレは考えていた建前を口にする。
「だから、あの甘ちゃんはあたしを連絡役代わりに遣ったのさ」
と、婆さんはオレが勝手に
「いや、オレだって次期辺境伯なんだから、アル坊の考えくらいわかってる。
派手な内戦に突入して、アグルス帝国に隙を見せたくないんだろう?」
婆さんに聞かされたアル坊の計画では、南北東から辺境伯騎士団をもって王都を包囲するつもりらしい。
それで降伏勧告をするんだとか。
理屈も道理も正しいが、真っ先に頼ったのがオレじゃなく、グランゼスのアリシアというのが悔しいんだ。
そりゃあ、二人は幼馴染で、幼い頃は兄弟のように鍛錬を積んでいたのはよくわかってる。
だが、オレだって、アル坊の事は実の弟のように可愛がってたはずだ。
ぶっちゃけ同性という事もあって、実妹のマリエールより可愛がってたと自負しているほどだ。
それなのに……なんでだ、アル坊……
大事な弟分に頼ってもらえなかった事が悲しくてならない。
後ろ向きになる考えを、オレは酒を煽って拭い去る。
いやいや、オレと違って頭の回るアル坊だ。
なにかしら考えがあったのか、あるいは単にオレを気遣っての事かもしれない。
目つきも口も悪いクセに、あいつは人一倍、身内を大切にするところがあるからな。
オレに迷惑をかけたくないとか、水臭い事を考えたんだろう。
うん、きっとそうだ。
「――んで? 婆さんが呑んでるって事は、今日も収穫なしってことか?」
「ああ。わざわざクロにヤツの故郷の村まで行かせてみたがね。どうやら村自体がもう廃村になってたようだよ」
いちいちお猪口に注ぐのが面倒になったのか、直接徳利に口を付けて呑み始めた婆さんは、空になったそれを振りながら、オレに応えた。
……お代わりか。
オレは執務机に向かい、引き出しに隠した酒瓶を取り出してソファに戻る。
「……本当に居るのか? その――この国産のマッドサイエンティストとやらは――」
スクォールという名の導師級魔道士。
そいつを見つけだし、捕縛する事こそ婆さんがここに居る理由だった。
数日前、ふらりとこの執務室に転移してきた時は、マジで驚いた。
引き籠もり気質で、めったに地下大迷宮の庵を出ない婆さんが、わざわざ直接出向く以上、かなりヤバい魔道士なのだろう。
「ああ。ヤツがあたしの予想通り、カイルからアレを抜き出したのだとしたら、フォルス大樹海のあるこの地ほどふさわしい研究場所はないのさ」
「……青の鍵、ねえ。そもそもなんでそんなモノが偽王に?」
途端、婆さんは深々と溜息を吐く。
「あんた……あんだけ説明してやったろう?」
偽王カイルが、エレーナの伯母――イリーナ様の子供である事は、婆さんに説明を受けた。
その時に婆さんがなんか色々と言ってた気がするが、小難しい魔道の話でオレにはいまいち理解できなかったんだ。
「良いかい? 脳まで筋肉でできたあんたの為に、もう一度説明してやろう」
そう告げる婆さんに、オレは手を出して押し止める。
「いや、良い。どうせ聞いたって、またよくわからねえんだ。
それがカイルからスクォールの手に渡って、今悪用されようとしてるってのは、間違いないんだな?」
オレの問いに婆さんはうなずく。
「あたしが把握してる限りなら、スクォール
「そして、潜伏先として最有力候補だった、ヤツの生家のあった村は廃村になっている、と――」
婆さんが訪れてから、オレは領内の衛士に命じて、スクォールを捜索させている。
それでも見つかっていないのだから――
「その青の鍵とやらがなにかはよくわからんが、この地の霊脈がふさわしいなら、あと潜伏先として考えられるのは、ひとつしかないだろう?」
オレの言葉に、婆さんも溜息と共にうなずく。
「――フォルス大樹海! 明日から、<竜爪>を捜索に当たらせるぞ」
「……なるべく大事にはしたくなかったんだけどねぇ。
止むを得ないか……」
事がマッドサイエンティスト絡みだからか、婆さんは騎士達の投入に乗り気じゃなかったんだよな。
だが、潜伏場所が魔境である以上、そうも言ってられないのだろう。
奥地に大侵源を擁する彼の地は魔物の巣となっていて、それに抗う為か生息している魔獣も他の地より強力な個体が多い。
そんな地だからこそ、<竜爪>でもなければ捜索なんてできやしないんだ。
「まあ、大船に乗ったつもりで任せとけ!」
そう胸を叩いて見せたんだが、婆さんはひどく胡散臭そうにオレを見つめるのだった。
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