第4話 50
「……これが、あたし史上最大のやらかし……その記憶だよ。
イリーナ先生を連れて来れなくて、本当にゴメンね……アル」
アリシアに声をかけられて、俺は我に返った。
俺を気遣わしげに見つめてくるみんなに首を振って見せ、俺は短く吐息して席を立った。
「……すまない。少し席を外す……」
それだけを告げるのが精一杯だった。
足早に食堂を飛び出し、ひとりになれる場を求めて屋敷から外に出る。
その頃には、もう堰を切ったように、止めどなく涙が溢れ出ていた。
こんなところを誰かに見られたくなくて、俺は前庭の隅にある納屋の裏に身を隠す。
「……ふっぐっ――ぐうぅぅ……」
奥歯を噛み締めて堪えても、嗚咽がこぼれ出た。
心はもう……いろんな感情が溢れて、ぐちゃぐちゃだ。
アリシアが見せてくれたイリーナ殿……叔母上の記憶。
彼女がその生命を燃やし尽くした最後の最後に――彼女は俺に宛てた言葉を遺してくれていた。
――残念だけど、見ての通りカイルは君の弟じゃない。
それはもはや揺るがしようのない事実で。
――それでも、もし君が……一度でもあの子を弟と信じてくれた情があるのなら……
きっとそれは母親としての切なる願い。
――一度だけで良い。立ち直る機会を与えて欲しいんだ。
死を目前にして、それでも叔母上は我が子の明日を願ったんだ。
――勝手な願いだというのはわかってる。けれど、どうか……どうかこの記憶をあの子に……わたしは確かにカイルを愛していたのだと、そう伝えて欲しい。
「……うあ……ああぁぁぁ……」
アイツが……カイルが羨ましくて堪らない。
あのバカには、こんな立派な母親がいて……死してなお、気にかけてくれているじゃないか。
「……母上、父上ぇ……」
地面を掻いて、もはや薄れつつある両親の面影を脳裏に描く。
「……なぜ! なぜ、俺を置いて逝ってしまわれたのですか……」
ずっとずっと押し殺してきた感情が――二人の葬儀の時ですら、誰にも漏らさなかった言葉と共に溢れ出た。
父上も母上も、多くの兵を逃すために前線で戦い続け――その遺体は帰ってくる事がなかった。
葬儀は遺品を棺に納めて行われたんだ。
だから、俺の知っているふたりの最後は、出陣式で兵騎で見送る城下の民に手を振る姿で。
――別れの言葉なんて、当然なにもなかったんだ。
叔母上を見つけ出してくれたアリシアの気持ちは、素直にありがたいと思う。
けれど……彼女はカイルの母親で――
アリシアの記憶を通して、俺を優しく抱き締めてくれた叔母上の温もりが蘇る。
「……あれもまた、本当ならカイルに向けられるべきものなんだ……」
俺なんかが甘えて良い人ではない。
「――クソ! クソぉ……」
改めて思い知らされる。
「俺は……俺は――」
もうとっくに自覚していたはずなのに、いまさらのように思い知らされて絶望して。
俺は決定的な言葉を声に乗せる。
「……やっぱり俺は独りなんだ……!!」
もはや止めようもなく溢れ出る涙と共に、絞り出すように呻いて。
俺は拳を地面に叩きつける。
「――いいえ! いいえ!」
――と、俺は背後から抱き締められていた。
柔らかな感触と共に届く、ほのかな緑と土の香り。
「あなたが独りなんてウソです! 絶対に絶対、そんな事ありません!」
振り返れば、肩越しにボロボロと涙をこぼしたリディアの顔があった。
「……リディア……帰ってたのか……」
その名を呼べば、彼女はよりいっそう俺を強く抱き締める。
「アリシアから聞きました。叔母様の事を教えられたのですね」
俺の背に顔を埋め、くぐもった声でそう告げるリディアに――
「知ってたのか……」
俺は涙声で呟く。
「はい。グランゼス領での夜に……」
思わず乾いた笑いが漏れた。
「ハハ……なら、さぞかし滑稽だったろう? 俺は……あんな目にあってもなお、実の弟のした事だからと許そうとしていたバカな王子だ!」
実際のところカイルは従弟で――王族の資格を持ちえない混ざり者だったというのに……
「――滑稽なんて思わない!」
リディアは顔をあげて、思いの外強い力で俺の両肩を掴むと、自分の方に向かせる。
「あなたは……ただただ、家族が恋しかっただけでしょう!?
ご両親を失くしてさえ、ずっとずっとその想いも悲しみも押し殺して――王太子として、民の為に生き続けてきたんだもの!
唯一残された血縁を大切に想う事のなにが滑稽なの!?
敵であっても、生きていてくれるだけで嬉しいって気持ちは……わたしにだってわかります」
……リディアもまた、両親を早くに亡くしているもんな……
「あなたは自分が想うより、ずっとずっと優しくて――そして家族の愛情に飢えているだけなんです……
――だから……」
リディアは俺の肩から手を離し、すくりと立ち上がる。
そして、月明かりが照らす中、両手を広げて俺に微笑む。
「――だから、わたしがあなたの家族になります!」
「……は?」
衝撃的な言葉に、思わずうわずった声が漏れ出た。
知らず、涙も胸の奥の仄暗い感情もどこかに消え去っていて。
「わたしもあなたも、どうしたって両親は帰ってこないんです。
……でも……それでも! 新たな家族を作っていく事はできます!」
「……そ、それって――おまえ……同情とかなら止めとけ」
下心なしに俺を慕う女なんていない事は、宮廷生活でイヤというほど思い知らされている。
リディアだって――優しい彼女の事だから、打ちひしがれた俺を放っておけずに出た言葉で……きっと同情から来る一時の気の迷いだ。
そう考えた俺は、立ち上がって鼻を鳴らし、肩を竦めて哂ってみせる。
――けれど。
「――同情でこんな事が言えますか!」
リディアが俺の胸に飛び込んできて、拳を振り下ろした。
「――バカ! アルのバカっ! こんなボロボロの心を抱えて、なんでもないフリをし続けて! わたし達がどんな気持ちで、あなたのそばにいたか……知りもしないで――勝手にわたし達の感情を決めつけないで!」
二度、三度と振り下ろされる拳は大した強さではなかったのだが、そこに込められた想いは、感情は、殴られるより強い衝撃で俺の胸を打った。
「――そうね……」
背後からの声に顔を向けると、納屋の壁に背を預けたイライザの姿があった。
「ウチはアリーやリディアと違って、王族ってワケじゃないから、家族にして欲しいなんて言えないけどね……」
溜息を吐きながら、彼女もまた俺のそばにやってきて、俺の手を握る。
「それでも、そうなりたいと考えるくらいには、アーくんの事を想ってるのを……知ってて欲しいわ……」
額を俺の肩に押し付け、イライザは消え入りそうな声で告げた。
「――そしてそして~!」
ひどく場違いな楽しげな声が納屋の上から響く。
「――ミ、ミリィ!? おま、そんなとこでなにを……」
ヤツは月光を背負って屋根に仁王立ちになり、胸を張って高らかに告げる。
「ローゼス商会を陰から支える万能メイドたるこのわたし。主の意向に先んじて動くのは朝飯前なのです!
――カモン! 皆の衆!」
パチンとヤツが指を鳴らすと、どこに潜んでいたのやら、バートニー村の面々が次々と姿を現した。
……グランゼスの連中と交流するようになって、村のみんなの人外っぷりに磨きがかかっているような気がする。
「――アル兄ちゃん!」
「――アルお兄ちゃん!」
ダグ先生とマチネ先生が俺に抱きついて来た。
「独り切りなんて言うなよ! 兄ちゃんはとっくにオイラ達の兄ちゃんで――」
「――この村の仲間……家族でしょう!?」
涙を浮かべて訴えるふたりに、村人達も強く同意を示す。
「だ、だが……この村が俺を受け入れてくれたのは、俺が王族だからだと……」
「――ハッ!
リグ爺様は鼻を鳴らす。
「
シノ婆は皺くちゃな顔をさらにしかめて笑みを浮かべた。
「みんな、
ゴル爺様の言葉に、村人全員が微笑みを浮かべて俺にうなずく。
俺は思わず涙が溢れそうになって、顔を夜空に向けた。
「……こんな――俺なんかに、こんな事があって良いのかな?」
家臣に裏切られて玉座を追われ、流れに流れて辿り着いたこの村で……
「――良いに決まってるでしょう?」
いつの間にか、<竜牙>の連中までやって来ていた。
ヘリオスが皮肉げな笑みを浮かべて続ける。
「バートニー村のアル。アニキはオレらにそう名乗ったんだ。そして、村のみんながそれを認めてる」
リディアとイライザが俺の手を強く握り締めた。
「――みんな、アーくんの事を大切に想ってるのよ」
「だから……だから、あなたは決して独りなんかじゃない!
わたし達がさせません!」
リディアの宣言に、全員がうなずいた。
「――アル坊よぉ、そもそもおめえ、呑みが足んねんだっきゃ。んだはんで、くだらねえことでウジウジ悩むんだべさ!」
と、ゴリバ爺が酒瓶片手にそう告げて、周囲に声を張り上げる。
「――んだ、呑み直しだ!」
ゴリバ爺の言葉に、酒豪達が酒瓶を突き上げる。
「若い衆は寄り合い所から椅子と卓運べ! 今日はここで朝まで呑むぞ!」
勝手に盛り上がって酒宴を始めようとする村人達に、俺の隣でリディアとイライザがクスクス笑う。
「どうです? これでもまだ言いますか?」
いたずらめいた表情でリディアに訊ねられて、俺は首を横に振った。
「……きっと、ひとりになったらまたウジウジと考えてしまうのかもしれないが……」
俺の両手を握り返してくれる温もりは、確かに今、俺の手の中にあって。
それはアリシアが見せてくれた記憶の――叔母上の抱擁にも負けないくらい、確かに俺に安心と心地よさを与えてくれているんだ。
「それでも……今は――これからは、独りじゃないと信じられる気がする」
バートン屋敷の前庭で、思い思いに焚き火を始め、騒ぎ始める村人達。
そのささやかな明かりは、けれど、アリシアの記憶の中で、叔母上が見せてくれたグローバル・スフィアの輝きにだって負けないくらい、強く頼もしく俺には思えたんだ。
――君が認めさえすれば……それらは君の輝きを映してスフィアとなって……君自身の輝きとなるだろう。
叔母上の囁きが聞こえた気がした。
――それこそが君の……
「俺達の魔法……」
小さく呟き、焚き火を囲んで酒杯を傾ける村人達を見回す。
「――みんなに頼みがある!」
きっとみんなは――俺なんかを家族と呼んでくれたみんななら、力になってくれる。
そう信じて。
俺は思いの丈をぶちまけた。
「――カイルを……弟を助ける為に、力を貸してくれ!」
係累なんて知るか!
みんなが俺を家族と呼んでくれるなら!
アイツだって――一度はそう信じたのだから、俺の家族だ!
――見てろ、カイル。
自分の高すぎる理想に惑わされ、多くのしがらみで身動きができなくなっているおまえを、俺達が救い出してやる!
★――――――――――――――――――――――――――――――――――――★
以上で4話終了となります~
長くなってしまって申し訳ありません。
途中、何度も長期のお休みを頂いたりして、本当にご迷惑をおかけしました。
試行錯誤の結果、このような形でお届けする事になりましたが、如何でしたでしょうか?
終盤へ向けて、アルに覚悟を決めさせる必要がありまして、こんな感じになりました。
ただ玉座を奪還する為ではなく、明確なアル自身の意思を示させたかったのです。
面白い、もっとやれと思って頂けましたら、作者の励みになりますので、フォローや★をお願い致します~
応援コメントなども、ネタバレにならない限りはお返事しますので、どうぞお気軽にお寄せくださいませ~
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