第4話 48

 イリーナ様の戦闘術は圧巻としか言いようがなかった。


 波濤のように押し寄せる魔物に大して一歩も退かず――むしろ押し返してさえいた。


 グランゼスが長年培ってきた剣術や格闘術、そしてアジュアお婆様によって植え付けられた八竜戦闘術をわたしの記憶から読み取り、わたしより洗練された正確な動作で実行。


 加えてベルノール辺境伯領が誇る<竜尾>騎士団の魔道剣術まで組み込んでいる。


 ――イリーナ様は剣術を学んでいないんじゃ……


 身体が弱くて、魔道に特化した教育しか受けていないと聞いていたのに、イリーナ様の戦い方はあたし以上――かつて見た、レリーナおば様を彷彿させるほど。


「――あなたの記憶と鍛え抜かれた身体のお陰ね」


 と、あたしの疑問にイリーナ様は双剣で魔物を斬り飛ばしながら応える。


「それと、姉さんとの思い出。あの人の鍛錬をずっと見てたもの……」


 不自由な身体だからこそ、自在に剣を振るって見せるレリーナおば様に憧れ、そして羨望したのだと、イリーナ様は呟く。


「――姫様っ!!」


 その時、マリーが警告の声をあげた。


 あたしとの短いやり取りの隙を突いて、魔物の遺骸の影から蟹のような魔物が飛び出して来たんだ。


 腹からいびつに伸びた大鋏が、地面を抉りながらイリーナ様に迫る。


 イリーナ様はあたしがいつもするように双剣を交差させてそれを受け止め――


 ――ダメっ! イリーナ様!!


 あたしは叫んだ。


 冒険者として単独で魔獣討伐をするようになって、自分自身の欠点――弱点はよく思い知らされた。


 騎士と言っても女で、体重の軽いあたしは――


「――くっ!!」


 魔物の攻撃を受け止め、その衝撃にイリーナ様が呻く。


 そして、あたしの小柄な身体はすくい上げるような魔物の大鋏の一撃によって、宙に打ち上げられた。


「――姫様ッ!!」


 マリーの悲鳴。


 そう。


 体重の軽いあたしは、中型より大きな魔獣を相手にすると簡単にふっ飛ばされちゃうんだ。


 だから、基本的には防御は回避に専念。


 イリーナ様もあたしの戦い方を読み取ったなら、わかっていたはずなのに……


 真っ赤に染まった空をクルクルと舞うイリーナ様。


 魔物達はそれを見上げながら咆哮をあげて、イリーナ様の落下を待ち受ける。


「――覚えておきなさい、アリシア」


 呟くイリーナ様は、けれど、一切の焦りを見せず――それどころか笑みを浮かべてさえいた。


ハイソーサロイドわたし達のような存在はね……」


 不意に――まるで空中に縫い留められたように、回転も落下も制止されて、上下逆さまの体勢になる。


 まるでそこに見えない地面があるかのように!


「――魔法や精霊を用いず、想いの力でのよ!」


 イリーナ様はその身を屈め、次の瞬間には、弾き出されるように真下に殺到した魔物の群れに突っ込んだ!


 魔道制御の鍛錬でドラゴンの尾に叩き潰されてたアルみたいに――巨大ななにかに叩き潰されたみたいに、魔物の群れが一斉に圧し潰され、次の瞬間には吹き飛ぶ。


 残されたのは、膝を突いて着地姿勢を取るイリーナ様。


「――さすが戦斗騎素体ね。物理干渉は万象騎素体わたしの身体よりやりやすいわ」


 そう呟きながら立ち上がり、舞うようにステップを踏んで身を回し、クルリと双剣を一閃する。


 それだけで、イリーナ様とは入れ違いに宙に舞い上がった魔物達が真っ二つに斬り裂かれ、ドス黒い粘液を撒き散らしながら瘴気となって霧散した。


 お父さんやミハイルおじ様がやってたような、剣閃を飛ばすとかいうやつじゃない。


 練習したからわかるけど、あれはあんな風に斬れたりしない。


 飛ばすのはあくまで斬撃で発生する風圧だから、相手は吹っ飛ぶだけなんだ。


「――そうそう。その理屈でを飛ばすのよ。簡単でしょう?」


 ……かん、たん?


「そうよ。これはわたしだからできたんじゃなく、この身体が――あなたが持ち合わせた素質なのよ。

 わたしの――万象騎としてなら……」


 あたしに応えながら、イリーナ様は双剣を地面に突き刺して、両腕を左右に広げる。


 マリーの周囲に群がった魔物の群れが、不意にふわりと宙に浮き上がる。


「――こう、よ!」


 広げられた両手が胸の前で打ち合わされ、同時に魔物達が見えないなにかに押されたみたいに集められ――丸められて圧し潰される。


 魔物は粘液を滴らせて砕かれ、マリーの頭上で瘴気の霧が爆発した。


 なにが起きたのか理解できず、呆然とそれを見上げるマリー。


「――マリー! 結界を張って退避!」


 イリーナ様に警告されて我に返ったのか、マリーは慌ててイリーナ様の言葉に従う。


 その顔は汗まみれで、肩で大きく息をしていて。


「……彼女は限界ね」


 戦闘開始からもう四時間近く経つ。


 あたし自身、冒険者になってずいぶん経つけど、こんな長時間戦闘は経験したことがない。


 当然、マリーだってそう。


 依頼で遺跡や迷宮に潜った時だって、あたし達は万全で戦闘に望む為に、適宜に休憩をいれていたもんね。


 今のマリーはきっとグランゼス騎士として、そしてあたしの従騎士としての意地だけで戦い続けてる。


 イリーナ様はチラリと背後――侵源があるという方に視線を向ける。


 相変わらず濃密な瘴気が立ち篭める向こうに、おびただしい数の紅い眼光が見えた。


「……第二波には耐えられないか……」


 そう呟いたイリーナ様は、地面を蹴ってマリーの援護に向かう。


 進路にいた小型魔物十数匹が斬り飛ばされて、瞬く間に瘴気へと変わる。


「――マリー、一分稼ぐわ! 兵騎に騎乗なさい!」


 と、イリーナ様はさらにマリーの周囲の魔物を斬り捨てながら、マリーに指示を飛ばした。


「――ま、まだ行けます!」


「――復唱っ!」


 力不足を指摘されたと思ったのか、マリーが食い下がろうとしたけれど、イリーナ様は取り合わなかった。


「は、はい! 騎乗、急ぎます!」


 騎士として規律を叩き込まれているマリーは、イリーナ様に叱責されると反射的に即座に復唱し、行動に移した。


 自身の張った結界の中で、剣を鞘に納めたマリーは喚器をはめた左手を胸の前で握り込む。


「――来たれ……」


 喚起詞を唄えば、彼女の背後に転送陣が開いて、彼女の兵騎が這い出してくる。


 グランゼスの錬金鍛冶士達によって特注の外装を施された、マリーの為の兵騎だ。


 素体は制式騎のものなんだけど、グランゼス制式外装で冒険者をするわけにいかなかったから、おじいちゃんが用意してくれたんだよね。


 あたしの<竜姫>の外装を参考にして、戦装束バトルドレスによく似たデザインの外装を造ってくれたんだ。


 兵騎の無貌の面に、明るい青の紋様が走ってかおを描き出す。


 押し寄せる魔物を斬り伏せ、薙ぎ飛ばしていたイリーナ様は、それを確認してうなずきひとつ。


「――じゃあ、打ち合わせ通り、わたしは前進して第二波を迎え討つ! あなたはこの場で待機して討ち漏らしの処理を!」


『……ぐぅ……わかりました! この場で討ち漏らし処理します!』


 きっと従騎士なのに最後まで付き合えない事を悔やんでいるんだと思う。


 それでもマリーは、呻きながらもイリーナ様の指示に応じて復唱した。


 イリーナ様はそんなマリー騎のかおを眩しそうに見上げて。


「――ありがとう。アリシアを……わたしの教え子をこれからも頼むわね……」


 小さな声でそっと呟く。


『……姫様?』


「いいえ……なんでもない。行くわ!」


 不思議そうにマリーに呼びかけられて首を振り、イリーナ様は地面を蹴った。


 背後に大量の土砂が舞い上がる。


 大気を突き破って水蒸気の輪をいくつも潜り抜け、瘴気の靄を引き裂いて第二波の魔物の群れに突っ込む。


 ――接敵。そして急制動。


 ただそれだけで、引き連れた衝撃波が魔物の群れが吹き飛ばす。


 残った魔物達は、獲物が飛び込んで来た事に歓喜の奇声をあげて、イリーナ様に殺到した。


 けれど、イリーナ様はさっき見せてくれたみたいに斬撃を飛ばし、あるいは魔物を見えない手でまとめて掴み上げて圧し潰し、まるで近寄らせない。


 それどころか徐々に前進までしている。


 イリーナ様はマリーに討ち漏らしの処理を指示していたけれど、どうやら魔物にとってイリーナ様は極上の餌に見えるみたいで、魔物達のほとんどがイリーナ様に押し寄せる。


 一部の――人くらいの大きさの超小型に分類される魔物だけが、群れから押し出されてマリーの方に向かうのが見えた。


「――こいつらは魂……ローカル・スフィアが放つ魔動の輝きに惹かれて現れるの。

 だから、極上の餌ってのは間違ってないわ、ね――ッ!」


 兵騎サイズの中型魔物を微塵に斬り捨てながら、イリーナ様が応えてくれた。


 そうしてイリーナ様は戦い続け――もう何時間経ったのか……魔物の群れが何波になるかもわからないほど、魔物を狩り尽くした頃――それは現れた。


 それまでとは比べ物にならないほどの濃密な瘴気が、周囲に張り巡らせた結界に触れて紫電を放つ。


 震動で大地が揺れて、黒靄の向こうになお黒い巨大な影が見えた。


「――この規模の侵災なのだもの。そりゃあ侵源を護るヌシも居るわよね。待ってたわ」


 噴き出した汗を手で拭い、荒い呼吸でイリーナ様が呟く。


 ――イリーナ様、兵騎を――<竜姫>を喚んで!


 けれど、イリーナ様は首を横に振る。


「ふふ。そうしたいのは山々なのだけど……タイプ・セイヴァーカスタム――に見せかけた、タイプ・アロー、ね。

 先生はよっぽどあなたの事を気に入ってるのね。

 アークシリーズの新造なんて、<王騎>――初代様以来の事じゃない」


 溜息混じりに鋭く呼気をして、イリーナ様はあたしに顔を向ける。


「あの騎体はね、完全にあなたのローカル・スフィア専用に調整されているのよ。わたしじゃあ、喚起すらできないわ……」


 そう応える間にも、瘴気の向こうからヌシがその巨体をあらわにする。


 子供がデタラメに描いたサソリのようだった。


 鈍色の甲殻に覆われた胴から、人のそれをいびつに模倣したみたいな巨大な脚が八本生えている。


 毒針を持つ尾もまた、左右の区別がつかないほどにデタラメに指の生えた人の腕によく似た見た目をしていた。


 背中には巨大なまぶたのない眼球が無数に蠢き、空の深紅を映して不気味にぬめる大顎の向こうには二重に並んだ乱杭歯と、涎を垂らして糸を引く紫色の舌が見えた。


 体躯の高さだけで十メートルはありそう。


 感覚を確かめるかのように開閉が繰り返されている尾の先の拳なんて、家の兵騎蔵の高さほどもあるように見える。


 ――あんなバケモノ、兵騎なしでどうするんですかっ!?


 あたしの絶叫に、イリーナ様はフ、と笑って見せた。


「言ったでしょう? この身体の……ハイソーサロイドわたし達の使い方を見せると」


 そうして双剣を鞘に納めると、右の拳を胸の前で握り締める。


「……今こそ使うわ。わたし自身を――」


 あたしの身体の胸の奥で――イリーナ様の魔動が強く激しく燃え上がる。


「――応えなさい! <世界の法則ワールド・オーダー>っ!!」


 初めて聞く喚起詞に――世界が震えて唄い出す。

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