第4話 46

 わたしと繋がったアリシアのローカル・スフィアが悲鳴をあげて揺らぎ、陰るのがわかった。


 ……あの日々を視てしまったのね。


 だから、不快なら目を閉じなさいと教えたのに……


 激痛を訴えるアリシアの意識が伝わってくる。


 絶え間ない悲鳴。


 やがて自分自身でもなにに対してなのかわからないまま、謝罪を繰り返すようになる。


 ……わたしもそうだったわ。


 魔道士達の研究所に移されたわたしは……文字通りただの実験体だった。


 実に十余年に渡って、日々、身体も魔道も隅々まで調べられたわ。


 きっと彼らは――先生を別とすれば、わたしの身体に関しては、わたし以上に詳しいに違いないわね。


 呪具に替わってこの身そのものに施された呪法刻印。


 あれは呪具と違って感覚を遮断するなんて生温いものではなく、魔道を介して人の感覚に干渉するというものだった。


 痛みも快楽も魔道士達の思うがまま。


 身体を切り刻まれて増幅された痛みに悲鳴をあげる一方、癒やされて再生された身体を同じように切り刻まれているというのに、それを快楽と認識させられて歓喜して嬌声をあげてしまう――そんな狂気の日々。


 頭を切り開かれて、脳を覗かれた事もあったわね。


 あの気が狂いそうになる日々の中で、わたしはいつしか意識を――ローカル・スフィアを霊脈に接続して退避する術を覚えたのよね……


 アリシア、あなたにあえてこの記憶を見せたのはね、まもなく始まる出来事に……それによって引き起こされる事態に、優しく、それゆえに脆いあなたが耐えられるように鍛え上げる為なのよ?


 きっとあなたはと嘆くでしょう。


 だから、あなたの記憶に、わたし自身の記憶を刻み込んでおくわね。


 これは……これから起こる事象すべては、わたし自身が必要と考えて、自ら選び取った未来よ。


 だからあなたが嘆く必要なんて、なんにもない。


 ええ、満足だわ。


 多くの人がわたしの人生を顧みて、哀れで報われないものだったと感じるのでしょう。


 でもね、わたし自身は不思議とそうは思えないのよね。


 ラウールに保護されて、ノーツ家の離れで隠遁生活を送り……本来なら、そのまま朽ちていくだけだったはずのわたし。


 その未来を打ち砕いて、強引に舞台に引き上げてくれたアリシアのお陰で、わたしは成長したカイルや、フローラの娘――アイリスの姿を見ることもできたわ。


 ふたりとも数奇で過酷な運命を歩む事になるようだけど……大丈夫。わたしがあなた達を救ってみせるわ。


 そして……わたしに呪法刻印を施した魔道士を知る事もできた。


 ……リグルドも哀れね。


 まさか自分がアグルス帝国から連れてきた魔道士が、父親の――レオンの犬として裏切っていたなんて、思いもしていなかったでしょう。


 いえ、彼は――スクォールは裏切ったつもりなんてないのかもしれないわね。


 純粋に自身の知識欲に従っただけ。


 魔道士ってそういう生き物だものね。


 スクォールに直接復讐してやれないのはちょっとだけ悔しいけれど、わたしにはもう視えている。


 ――彼がその行いにふさわしい報いを受ける事を。


 だから、この仄暗い想いはもうおしまい。


 わたしはアリシアのローカル・スフィアに繋がった、細い霊路レイ・ラインを辿って確率分岐ルートの先にある純白の輝きを見上げる。


 ――ねえ、君……


 わたしの息子が迷惑をかけたね。


 そしてこの先、あの子はもっと君を苦悩させる事になるだろう。


 だから、わたしはこの命をかけて、君の負担を軽くしてあげよう。


 それが……舞台から降りた癖に、恥知らずにも舞い戻った主役のなり損ないの――ううん、違うね。


 ――叔母として、そしてあの子の母として君にしてあげられる、最後の償いだわ。


 わたしは魔道を伸ばして純白の輝きを抱き締める。


 ああ、なんて孤独な心なんだろう……


 傷ついてボロボロで、誰も信じられなくなって……それでも自分の生まれを嘆くことなく、君はまた立ち上がろうとしているんだね……


 先生が……そして世界そのものが、アリシアじゃなく君を選ぶわけだよ。


 ――ねえ、アルベルト。君は決して独りきりなんかじゃないんだよ。


 ここからだって、君に繋がる――君を想う、たくさんの心が視えるよ。


 信じられないかい?


 まあ、君が辿ってきた事象を考えれば仕方ないのかもしれないけれどね。


 大丈夫。すぐに君は思い知る事になる。


 君を取り巻くみんなは、もう決して君を独りになんてさせないよ。


 あらゆる確率分岐ルートをぶち壊して、わたしの元までアリシアが辿り着けたのがその証拠さ。


 あの子は君を喜ばせたい一心で、運命さえ捻じ曲げて見せたんだ。


 アリシアだけじゃない。


 君を想って運命に抗う魂が、いまも君と繋がるのを待ってる。


 君が認めさえすれば……それらは君の輝きを映してスフィアとなって……君自身の輝きとなるだろう。


 それこそが原初の……そしてこの悲しみに満ちた世界を救う、唯一の魔法なんだ。


 ……これからそれを、君にも見せよう。


 ――あれをごらん? わたしの苦痛の記憶によって魔道を乱したアリシアによって、ノーツ領の霊脈が励起されているだろう?


 それに乗ったあの子の負の感情を嗅ぎ取って、連中が――ほら、世界が引き裂かれる。


 ……そう、侵災だ。


 ――アリシア、君もよく見ておくんだよ。


 君の身体の……いずれ戦斗騎となるはずの君の、真の使い方を――

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