第4話 45

 わたしの出産には、フローラが立ち会ってくれた。


 自身も出産したばかりだというのに、彼女は動けるようになってすぐに娘を背負いながら、わたしの元に通う日々を再開したのよ。


 破水に気づいたのも彼女だったわ。


 わたしは呪具に縛られて身体の自由が効かない為、本来は魔道士達の念動の魔法によってカイルを取り上げられる予定だったそうなのだけれど……


「――あなた達に産後の処置ができるのですかっ!?」


 普段のおっとりした雰囲気からは信じられない剣幕で、彼女は退室を促す魔道士達に食って掛かっていたわ。


「産婆を呼ばせないのなら、せめてわたくしを立ち会わせなさい!」


 そうして彼女はたじろぐ魔道士のひとりにリグルドを呼びに行かせ、やってきた彼に娘を預けると、わたしの手を握ってくれた。


 魔道を通して彼女が心からわたしを案じてくれているのが伝わってきて――もうなにも感じられない身体だというのに、確かに胸の奥が温かくなるのを感じたわ。


「良いこと? この方になにかあったら赦さない! 必ず母子共に無事に終わらせなさい!」


 フローラに気圧されて、部屋に残った魔道士は後ずさりながらうなずく。


 こうしてわたしの出産は行われ――


 やがて室内にわたしの子――カイルの産声が響き渡った。


 カイルを抱き上げたフローラは、必死の形相で魔道士に追加の指示を出して、産後処置を行っていた。


「……ずいぶんと手慣れてらっしゃる……」


 出産にともなう出血に、魔道士が真っ青な顔で呻くようにフローラに呟く。


「わたくしの出産に際して、産婆に教えてもらって学んだのです。こういう状況になるのは、目に見えていたもの……」


 フローラがカイルを産湯に浸けているのが見えた。


「よく生まれてきたわねぇ。偉いわ」


 優しい声色でカイルに語りかけながら、フローラは丁寧に丁寧にカイルの身を清め、やがて産着で包んで抱きとめると、わたしによく見えるように身を寄せてくれた。


「イリーナ様、あなたのお子さんですよ。こうして無事、生まれました」


 フローラに抱かれながら、すでに泣き止んだカイルはまん丸な青い目をきょろきょろ動かしながら、その小さな手をわたしに向けて笑顔を浮かべた。


「そうよねぇ。お母さんのところが良いわよねぇ」


 そうカイルに語りかけ、フローラは魔道士に指示してわたしの身を起こさせ、カイルを抱かせてくれた。


 ああ……カイル、カイル!


 温もりを感じられないこの身でも、あなたの魔動はたしかに感じるわ。


 だから、わたしは精一杯の想いを込めて、カイルの魂――まだまっさらなローカル・スフィアに、音にならない声を響かせる。


 ――生まれてきてくれてありがとう、と。


「――なっ!? 涙だと? 呪具に縛られているんだぞ!?」


 魔道士が驚愕の声をあげた。


 どうやらわたしの身体は涙していたらしい。


 自由にならないはずのこの身体が、今だけはわたしの感情を表してくれた事がたまらなく嬉しい。


「良いから貴方は退室なさい! イリーナ様はこれからお乳をあげなくてはならないのです」


 と、フローラは戸惑う魔道士に退室を促し、ドアが閉じるのを待ってから、わたしの寝間着の合わせを開いた。


 途端、カイルは最初から教えられていたかのようにわたしの胸に顔を寄せ、お乳を吸い始める。


 ああ……ああ……もしこの手を動かせたなら……いいえ、せめて温もりだけでも感じられたなら……


 カイルへの愛おしさと、自由にならない我が身への焦燥がないまぜになった感情の中で、それでも唯一感じられるカイルの魔動に魔道を絡めて、わたしは涙を流し続ける。


 フローラはそんなわたしの隣に腰掛けて、優しく背中をさすりながら涙を拭い続けてくれた。


 やがてカイルは満腹になったのか、わたしの胸の中でウトウトとし始めたようで。


「あらあら、イリーナ様。ちょっとごめんなさいね」


 と、彼女はわたしの腕の中からカイルを丁寧に抱き上げ、優しくその背を叩く。


 けぷり、とカイルがげっぷしたのを見届けて、フローラは再びわたしの腕の中へカイルを戻してくれた。


「さあ、わたくしがついておりますので、イリーナ様もお休みください」


 フローラにそう促されて。


 すやすやと眠るカイルの寝顔を見下ろしながら、わたしの意識も遠くなっていく。





 どれくらい眠っていたのだろう。


 近づいてくる激しい足音に気づいて、わたしは目を覚ました。


 窓の外はすっかり暗くなっている。


「――父上、お待ち下さい!」


「ええい! うるさい! 無能が親に指図するのかっ!?」


 廊下からリグルドとコートワイル候の怒鳴り声が聞こえてきて、直後、乱暴に部屋の扉が開け放たれる。


「――ご当主様っ!? 赤子が眠っているのですよ!?」


 フローラがコートワイル候からわたしを守るように、腰掛けていた椅子から立ち上がって彼の元に向かう。


「その赤子に用があって来たのだ!」


 コートワイル候の怒声に、わたしの腕で眠っていたカイルが目を覚まし、火が着いたように泣き出し始める。


「――灯せ、光精」


 喚起詞と共にコートワイル候の手の上に光球が喚起されて、暗い室内を照らし出す。


 老人の血走った目が、泣きじゃくるカイルを捉えて――


「――クソが! 本当に金髪ではないかっ!!」


 絶叫したコートワイル候は――狂気の滲む目をギラギラと光らせながら、足音荒くわたしの元へと歩み寄ると、その手にした杖を振り上げる。


「――父上っ!? ぐぅっ!!」


 とっさに飛び出したリグルドが、怒り狂った老人によって振り下ろされた杖に額を打ち据えられる。


 けれど、リグルドは一歩も退かずに両手を左右に広げて、コートワイル候の前に立ちはだかった。


「――父上があれだけ望んでいた、私とイリーナの子ですよ!? なにをなさるのですかっ!!」


 いつもコートワイル候に怯えているリグルドが発したとは信じられない剣幕の怒声。


 打たれた額が割れて血が筋を引いているのが見えた。


 そんなリグルドの胸ぐらを掴み上げ、コートワイル候は負けじと声を張り上げる。


「――その出来損ないがかっ!? この程度の魔動が待ち望んだ第九世代型だと!? ふざけるな! これならまだレオニールやビクトールの方が優れているではないか!

 しかも金髪だと!? ふざけるな!!」


「金髪はコートワイル家の色ではないですか! 何が問題なのです!?」


 リグルドに強い口調で怒鳴り返され、コートワイル候はリグルドから手を離すと、癇癪でも起こしたように頭を掻きむしって地団駄を踏む。


「ああ! ああ、そうだ! そしてミハイルもレリーナも金髪だからこそ、入れ替え計画はうまく行くはずだったのだ!

 だというのに――あろうことか……生まれた王子は赤毛だとぉ!?」


 涎を撒き散らしながら老人は再び杖を振り上げたけれど、リグルドはその手を掴んで押し止める。


「王子の取り替えなど、土台無理な話だったのです! なぜそれがわからないのです!?」


「――貴様にっ! 貴様になにがわかる!? そもそも貴様が無能でなければ――」


 瞬間、コートワイル候は激しくむせて、血塊を吐き出す。


 膝を折ってうずくまる老人に、リグルドはなんとも言えない――諦めと哀れみがないまぜになった表情を浮かべて。


「……父上、もう良いでしょう? 貴方の恨みを……怨讐を私達に押し付けるなっ!!」


 そう吐き捨てると、彼はフローラに顔を向ける。


「……フローラ。ここに居てはカイルが危ない。本館に連れて行くんだ。私もイリーナを連れてすぐに向かう」


「――わかりました」


 リグルドに促されて、フローラはわたしの腕の中からカイルを抱き上げると、足早に部屋の外に駆け出した。


 それを横目で見送り、リグルドはわたしの首にはめられた呪具に手を伸ばす。


「――父上、呪具解除の喚起詞は?」


「……なぜだ。なぜこうもうまく行かぬ? いつもそうだ……世界はワシに期待させてはいつも裏切る……」


 リグルドに訊ねられても、老人はうつむいたままブツブツと呟き続ける。


「……母体はベルノールの姫だぞ? なぜあの赤子は……その素養を受け継がなかったのだ……」


「……わからないのですか!? 呪具などで身体を、魔道器官を縛り上げて――本当に彼女の素養が受け継がれるとでも!?」


 その瞬間のコートワイル候の表情に、わたしは感覚がないはずなのに背筋が寒くなるのを感じた。


「ああ、そうかぁ……そうだなぁ」


 まるで天啓でも受けたかのような、喜悦と狂気をたぎらせた異形の笑み。


「……父上? ガァ――ッ!?」


 ゆらりと、コートワイル候は立ち上がると、虫でも払うかのように杖を横薙ぎにし――リグルドが宙を飛んで壁に叩きつけられ、そのまま意識を失ったのか床に倒れ伏した。


「そうだそうだ。無能もたまには役に立つものだ。確かにそうだなぁ……

 ――おい! 誰か!」


 老人はうわ言のように呟きながらわたしを見据えると、不意に大声で魔道士達を呼ぶ。


 そうして、駆けつけた魔道士達に狂える老人は告げた。


「……貴様らに新たな呪具の開発を命じる。

 人の魔道器官を他者に移す呪具をなぁ!」


 告げられた魔道士達が驚愕の色を浮かべた。


「――ど、どうしてそれを?」


 魔道士達が驚くのも無理はないわ。


 一般的に魔道器官とは形而上の存在で、魔道という感覚で胸の奥――心臓の裏側に捉える事はできるものの、物質として存在しているものではないとされているもの。


 それを他者に移植?


 頭のネジを二、三本失くしてるとしか思えない先生からだって、そんな狂った発想が出た事はなかったわ。


 狂気に囚われた老人は、身動きできないわたしのアゴを掴んで顔をあげさせる。


「コレの魔道器官を移す為よ。

 王位への道が閉ざされた今……ワシに残された時間すべてを使って、証明せねばならんのだ……」


 喘鳴を漏らしながら、老人は魔道士達を見据えて続ける。


「従順な者にコレの魔道器官を移植し、今度こそ次世代型を……ワシが不良品などではないことを証明するのだ……」


 その異常な雰囲気に感化されたかのように……魔道士達の目が狂気に塗り替えられていく……


 誰も成し遂げた者のいない魔道研究。


 だからこそ、それは魔道士達の知識欲と好奇心を刺激したのでしょうね……


「な、ならば……」


 上擦った声で魔道士の一人が告げる。


「その娘を使っての実験は必須かと……」


「ああ。ただし殺すなよ。もし死なせようものなら……」


「ぞ、存じ上げております! ですが、死ななければ良いのですね?」


 ゴクリと生唾を呑み込み、魔道士は続けた。


「……最悪、魔道器官さえ無事なら、なにをしても良い、と」


「ああ。それが必要な事ならな」


 わたしを見つめる魔道士達の目が、完全に狂気と熱狂に染まった。


「……では、さっそく本日より新研究所に持ち帰って、取り掛からせて頂きます」


 そう告げた魔道士達は、わたしを抱え上げると床に儀式魔芒陣を描きだす。


 ――長距離転移陣。


 陣の構成を読み取ってそう気づいた時には、わたしの視界が白に染め上げられ、次の瞬間には見知らぬ小部屋へと転移していた。


 ――そして……その日から、気が狂うような悪夢の日々が始まった……

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