第4話 39
イリーナ様はノーツ男爵に支えられ、杖を突きながら小屋の中に入って行った。
これでもあたしはグランゼスの娘。
領民との触れ合いの中で、引退した元騎士――アグルス帝国との戦や魔獣との戦闘で、身体の一部を失くした人達とも交流があるから、それ自体に衝撃があったわけじゃない。
――ただ、イリーナ様がそうなっていたという事に……衝撃を受けてしまったんだ。
マッドサイエンティストに利用され……ノーツ男爵の話では、その後十年以上を呪法刻印によって身体の自由を奪われていたというイリーナ様。
あたしはさ……彼女はノーツ男爵に助け出されて、ようやく平穏を手に入れられたんだって……今は幸せになれたんだって、勝手にそう思い込んでたんだ。
だというのに……イリーナ様のあのお姿――ッ!!
――なぜ、彼女だけがこんな苦難に見舞われなくてはいけない!?
この世の理不尽に……それに対してなんら抗う力を持ち合わせない、あたし自身に腹が立つ。
零れそうになる涙を堪え、拳を握り締めて立ち尽くしていると――
「待たせたね。良いよ。どうぞ中へ」
ノーツ男爵が入り口から顔を覗かせて、あたしを招く。
小屋の中は質素だけどよく整えられていた。
中央に応接用のテーブルが置かれ、部屋の隅には寝台があった。
室内にはインクと薬草の匂いが籠もっていて。
「……アジュアお婆様の庵みたい……」
思わず呟くと――
「――そうでしょう? あんな雰囲気にしたいなって、いろいろ工夫してるの」
隣へと続く開口部から、トレイにティーセットを載せたイリーナ様が姿を現して、微笑と共にそう教えてくれる。
「――イリーナ様!? そ、その手……」
トレイを持つ左手を指差して、あたしは驚きの声をあげる。
ううん。左手だけじゃない。
よく見れば左足も、銀色をしたそれが伸びていて。
「義肢よ。ラウールに協力してもらって、先日、ようやく完成したの」
そう告げるイリーナ様の銀色をした右手は、まるで本物の手のように滑らかに動いてお茶の用意を進めている。
右目にもまた、銀色の義眼が収められていて――魔道器なのか、虹色の刻印が瞳のようにきらめいていた。
「協力なんてとんでもない! ベルノールの魔道技術を学ぶ機会を与えられて、僕の方が感謝したいくらいだよ!」
と、ノーツ男爵はイリーナ様が用意したカップを受け取り、あたしに椅子に座るように示して、手にしたカップをテーブルに置く。
「あらあら、貴方はそう言うけれど、あたしではこれだけの銀晶はおろか、光曜樹の枝や葉脈なんて一生かかっても入手できなかったわ。それにあなたが考案した構造干渉技術は、たぶんベルノールが保有するものより上だもの。これでも感謝してるのよ?」
そうノーツ男爵に告げながら、イリーナ様はあたしの正面に座る。
「それだって、学生時代の君との語らいがきっかけになって思いついたものだ」
ノーツ男爵は椅子が足りないからか、イリーナ様に断りを入れて寝台に腰を下ろす。
この短いやりとりだけで、ふたりが本当に親密で……信頼しあっているのがわかって、あたしは胸の奥でわだかまっていたもやもやとした想いが、少しだけ和らぐのを感じた。
少なくとも今、イリーナ様は不幸ではなく――むしろ日々の暮らしに安らぎを感じているように思える。
今は……それがわかっただけで良い。
「いやあ、ごめんなさいね。さっきも言ったけど、この屋敷にお客様が来る事自体が珍しいのに、それがわたしのお客様なんて思わなかったのよ。
しかもローダイン王族――グランゼス家の響きを持った子だったから、わたしはてっきりいつもの防衛関係のお話だと思っちゃっててね」
彼女がそう考えたのも不思議ではない。
ミスマイル公国の東北部に位置するノーツ男爵領の南側は、森林とアージュア大河を挟んでグランゼス領と接している。
ううん、そんな事より。
「さっきも仰ってましたけど、イリーナ様は魔動が聴こえるのですか?」
「ええ。先生が仰るには、ハイソーサロイド――万象騎の特性なのだそうよ」
――ハイソーサロイド。
それはアジュアお婆様やクロがよく口にしていた、人類の上位種を示す呼び名。
ということは彼女が先生と呼んだのは、アジュアお婆様の事だろう。
「たしか、わたしのような騎種は精霊と霊脈を五感で感知し、自在に操るって言ってたかしら」
銀色の人差し指を口元に当てて、天井を見上げながらイリーナ様は告げる。
アルのお母様――レリーナ様もよくそんな仕草をしていて、そんな些細なところに血の繋がり――姉妹なのだと実感させられる。
「貴女はたぶん、サリュートくんのお嬢さんよね? グランゼス特有の澄んだ鈴の音なのに、ローダイン王家の激しい律動がそっくり。
どう? 正解?」
両手を胸の前で合わせて首を傾げる仕草まで、レリーナ様にそっくりで……あたしはにじみ出そうになる涙を拭って、椅子から立ち上がる。
「申し遅れました。あたしはアリシア・グランゼス。
仰る通り、サリュート・グランゼスの娘です」
すっかり着慣れた
「あらあら、ご丁寧に。
わざわざ訪ねて来てくれたということは、もう知っていると思うけど、わたしはイリーナ。
あえて肩書で名乗るなら、ノーツ家の魔女、かしらね?」
イリーナ様がベルノールの姓を名乗らなかったのは、たぶん自分が居なかった事にされているのを知っているからでしょうね。
だから、あたしもそこは深く追求しない。
立ち入った話をするには、あたし達はまだお互いを知らな過ぎる。
それよりも彼女が名乗った肩書が気になった。
「ええと、魔女、とは?」
「ふふ。森の庵に引き籠もって、妖しい魔道研究に打ち込んでるのだもの。それっぽい肩書でしょう?」
と、イリーナ様は銀色の右手をアゴに当てて、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「いや、村のみんなはそんなつもりで呼んでないからね?」
すかさずノーツ男爵が否定した。
なんでもノーツ邸のある村で流行り病が蔓延した際、イリーナ様が薬を処方した事で救われた事があり、それをきっかけにイリーナ様はお手製の薬を村に提供しているんだとか。
あくまでノーツ男爵を介して提供しているようだけど、村人達は会った事はなくてもイリーナ様に感謝していて、尊敬の念を込めてノーツ家の魔女様と呼んでいるのだとか。
大昔は魔道に長けたノーツ家の女子や夫人がそう呼ばれていたそうだけど、そんな慣習は忘れ去られて久しく、敬うべきものとして名前だけが残ったらしい。
「わたしはそんな大それたものではないし、できる事をしてるだけ――いいえ、一種の罪滅ぼしみたいなものだと思ってるのだけどね」
「……罪滅ぼし?」
あたしの問いに、彼女は首を横に振る。
「いつもそう言って、なんの事かは教えてくれないんだ」
「……理解の外にあるものは説明のしようがないもの。
わたしは世界に……この星だけじゃなく、
苦笑するノーツ男爵に応えたイリーナ様に、あたしは既視感を覚える。
これは……アジュアお婆様やクロと話している時に感じる印象と同じだ。
彼女だけにしか理解できない――譲れない決意があって、他者には理解できないからこそ、その決意は決して揺らがない。
あたしはこの段階で、自分の目的が決して果たせないのを自覚してしまった。
彼女はきっと、ここを離れたりはしないだろう。
今も王宮で孤独に勤めを果たそうと奮闘しているはずのアルを想うと、自分の不甲斐なさに泣きそうになる。
でも泣いたところで、彼女を納得させるだけの言葉を、今のあたしが持ち合わせないのは紛れもない事実。
なら、あたしの決意とイリーナ様の決意の妥協点を探り、少しでも最善を辿るのがグランゼスの――あたしのやり方だわ。
「――そんな事より、アリシアちゃんはどうしてここに?」
ちょうどよくイリーナ様が、話題を変える為にあたしに話を振ってくれた。
あたしは出されたお茶を一口含み、必死に言葉を手繰り寄せる。
本当は一緒にローダインに――アルの元へ行って欲しい。
けれど、それはもう無理とわかってしまったから。
ノーツ男爵には本来の目的を話してしまっている。
だから、決して無理やりのつもりはないのだとわかってもらう為にも、慎重に言葉を選んで――
「――なっさけない弟分が泣きじゃくるもので、お母さん代わりを探そうと思ったんですよ」
「――まあっ」
と、イリーナ様が目を丸くして、それからクスクスと笑い出す。
事情を知ってるはずのノーツ男爵も大爆笑してる。
「……あ、あれ?」
どうやらあたしは言葉選びを間違えたらしい。
……アルの気持ちがなんとなくわかったわ。
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