第4話 40

 あたしはイリーナ様を連れ帰るのは諦めたものの、少しでも彼女の人柄をアルに伝える為、ノーツ男爵に滞在を申し入れる事にした。


 アルも興味を持ったら、ミスマイル公国に外遊した際に会おうと考えてくれるかも知れない。


 だから、少しでもイリーナ様の事を知ろうと思ったんだ。


 ――ううん。それは建前だね。


 いつだって肝心なところで踏み出せない、心の弱いあたしは……人生の大半を苦難に苛まれてきたにも関わらず、穏やかでいられるイリーナ様の強さに強く惹かれたんだ。


 一緒に過ごす事で、彼女の強さを欠片だけでも分けてもらえたら……あたしはもう一度、アルとちゃんと向き合えるかもしれない。


 そんな下心があったのは、素直に認めるよ……


 マリーと一緒にノーツ男爵の手伝い――主に村に駐留する衛士達の教練だったけど――をしたり、村のみんなに害獣魔獣退治を頼まれたり。


 あと、イリーナ様に魔道を教わったりもした。


 攻性魔法じゃなく、刻印とか魔道器についてね。


 イリーナ様の専門がそれだったし、スクォールの研究成果を知った後だったから興味があったんだよね。


 スクォールと出会った時は知識がなさすぎてイマイチ理解できなかった事も、イリーナ様が基礎から教えてくれたから、ああ、あの時の言葉はこういう意味だったんだなぁってわかってさ。


 そうして気づけばイリーナ様と出会ってから、三ヶ月が過ぎてて――





「――え? 封印解除の発案者、ですか?」


 あたしはいつものように、イリーナ様の小屋の前で、課題である精霊への刻印――魔芒陣の宙図構築とその積層化鍛錬を行っていた。


 イリーナ様は出会った時のように、デッキに出した安楽椅子に腰掛けてあたしの鍛錬を見守ってくれていて。


 宙図の途中で声をかけてくるのもいつもの事で、よそに気を取られていても魔芒陣を構築できるようにする為の鍛錬の一環だった。


「そう。魔道器官ソーサル・リアクターに施された封印リミッターを解除するなんて、貴女が思いついたものじゃないでしょう?

 でも、先生から教わったものでもない。

 ……先生はむしろ、封印アレを施した側だものね。時代に則さないそんな技術を、あの人が広めるはずがない」


「え? そうなんですか? というか、イリーナ様は封印についてご存知だったんですね」


 あたしの問いかけに、イリーナ様はうなずく。


「ええ。わたしは体質の問題があったから、魔神教育を受ける事になった段階で、先生が特例として解除してくれたの。その時に説明を受けたわ」


 イリーナ様はそう告げると、あたしに休憩するようにと、安楽椅子のかたわらに設けたテーブル席を銀色の左手で示した。


 テーブルの上で勝手にティーセットが宙を舞い、あたしの分のお茶が用意される。


 念動の魔法だ。


 アジュアお婆様も庵で同じ事をよくやってる。


 あたしはお礼を言ってテーブルに着き、カップを傾ける。


「お陰でわたしは溢れ出る魔動を霊脈に流し込む事で、ある程度は日常生活を送れるようになったの」


「……魔動を霊脈に流し込む……」


「そう。竜の顎たるグランゼスで行われてる春風祭――アレと一緒」


 イリーナ様の説明は、アジュアお婆様と違って具体例を挙げてくれるからわかりやすい。


「グランゼスの春風祭は、年末にベルノールで整調・浄化されて勢いを失った霊脈に、再び勢いを付ける為に行われるの。

 その時に用いられる祭器は、対象の魔道器官を一時的に霊脈に接続する機能を持っていてね」


「へぇ……あたし、ボロい鐘としか思ってませんでした」


 イリーナ様が仰るには、あの鐘の音を聞いた者の魔道器官は霊脈に接続し、少しだけ魔動を霊脈に乗せるのだという。


 なんでもグランゼス公都自体が、城の一番高い尖塔に設置されたあの祭器の音色を反響しやすいように設計されてるんだって。


「そもそもあたし、霊脈ってよくわかってないんですよね。アジュアお婆様の説明もよくわからなかったし」


 たしか人の意思の流れ――とか、そんな事を言ってたように思う。


 説明がわかりやすいイリーナ様なら、あたしにも理解できるように教えてくれるんじゃないかないかと期待の目を向けてみる。


「……貴女、それでよく紅竜だけとはいえ皆伝まで行けたわね?

 いえ……あ~、貴女もグランゼスだものね。姉さんやサリュートくん同様、自然にできちゃうタイプなのね……」


 驚き半分、呆れ半分という感じの表情を向けられる。


 それからイリーナ様は顎に人差し指を当てて宙を見上げて。


「そうねえ。まず貴女、魔動と精霊の関係については理解しているのよね?」


「ええと、人が魔道器官から意思を持って魔道――体内に巡らせるのが魔動で、無意識に放出されたその残滓が精霊、ですよね?」


 あたしの答えに、イリーナ様は満足げにうなずく。


「そう。そして霊脈っていうのは、そういう精霊――人々の無意識が集まって流れて巡る大河なの。

 大昔から様々な魔道儀式に用いられていたのは、霊脈の大本は魔動の残滓だからっていうワケ」


 大規模な魔道儀式を行う際は、霊脈をひとつの魔道器官に見立てて行うのだと、イリーナ様は説明する。


「たとえば祭を行って霊脈を活性化させることで作物の実りが良くなるのは、身体強化のようなものね。

 土地を身体に見立ててるのよ」


「つまり霊脈というのは、土地の魔道という事ですか?」


「おおよそ、その理解で間違ってないわ」


 カップを傾けながらうなずくイリーナ様に、あたしは質問を重ねる。


「じゃあ……魔道器官が霊脈に接続できるという事は、個人でその膨大な――儀式級の魔動を扱える事になってしまうのでは?」


 四年前に別れた切りの弟子達――カイルとレントンの事を思い出しながら、ちょっとだけ不安になって訊ねる。


 そんな強大な力を与えられて、ふたりは悪い大人に利用されてはいないだろうか?


「――あら、考えてもみなさい? 霊脈に接続できたとしても、それを魔法として喚起する際は人の魔道を通すのよ?」


 と、イリーナ様はあたしにティーポットを指差してみせる。


「ポットがいくら大きくても注ぎ口が細ければ、注がれる量もまた細くなる……祭規模の魔道儀式を主宰するのが王族に限られるのは、それだけ強く太い注ぎ口――魔道を持つからなの」


「つまり庶民がいくら封印を解除されたとしても、いきなり儀式級の魔法は使えない?」


「ええ。魔神教育のような、あたまおかしい鍛錬でもして魔道を強引に広げでもしない限り、混血種――それも庶民なら、霊脈に接続できたとしても、せいぜい普通の貴族程度の魔法しか喚起できないんじゃないかしら?」


 イリーナ様の説明に、あたしは安堵する。


 確かに別れた時の二人は、あたしの鍛錬によって中級攻性魔法を喚起できるようになっていた。


 中級なら魔道士を志す貴族の子が、学園でしっかり学べば使えるようになるものだから、なんにもおかしいことはないはずだよ。


 うんうんとうなずくあたしに、イリーナ様は微笑を浮かべる。


「それとね、霊脈にはもうひとつ――その、封印解除を見出した魔道士が知らないだろう効果があるの」


「へ?」


「その反応、どうやら先生は貴女にはまだ教えてないのね。いずれ必要になるでしょうに……

 クレリアには貴女くらいの歳にはもう教えていたのだけれど……またいつもの横着なのかしらね?

 きっと訊かれたら教えれば良いってお考えなのね……」


 銀色の義手を頬に当てながら、イリーナ様は深い溜息を吐く。


「どういう事です?」


「貴女のその瞳よ。元々は金色じゃなかったんじゃない?」


「あ、はい。生まれつきは紅だったんですけど、アルに付き合ってお婆様の鍛錬を受けてたら、いつの間にか変わってました」


 アジュアお婆様は、それだけ魔動が強くなった証だと言って、金色になった日にはお祝いにケーキを振る舞ってくれたっけ。


「……なるほどね。変わった時に居合わせてたのなら、あえて教えていないのだとも考えられるけれど――」


 と、イリーナ様は顎に指を当てて、宙に視線を彷徨わせる。


「――いいえ、そうね。たとえそうだとしても、ここでわたしが教える事は、世界にとって必要な事みたいね」


 イリーナ様は時々、こんな風に――アジュアお婆様のような事を仰る。


 この三ヶ月ですっかり慣れたけれど、時にはお婆様以上に――それこそ未来さえ見通しているんじゃないかって思うような発言をする事もあった。


 そんな時に決まって言うのが、「世界にとって必要な事」だ。


 まるで定められた流れがあるかのように――イリーナ様はそれを時には静観し、時には修正しようと努めているように思える。


「……イリーナ様は、未来がわかるんですか?」


 良い機会と思って、あたしがそう訊ねると、イリーナ様はいつもの微笑を浮かべてうなずいた。


「――近い事はできるわね。そして、それこそが今教えようと思っていた、霊脈のもうひとつの効果なのよ」


「ふえっ!?」


 あまりに自然に肯定されて、あたしはおかしな声をあげてしまう。


「……これは言葉にするのは難しいから、体感してもらった方が早いわね。

 ――アリシア、こちらへ」


 手招きされて、あたしは座ったまま椅子をガコガコと引き摺って、イリーナ様の隣へ移動する。


「いずれ至るあなたへ……先達にして、まもなく舞台を降りる、わたしからの手向けよ」


 そう微笑んで、イリーナ様はあたしの胸に右手で触れた。


「――目覚めてもたらせ。<救星竜姫ドラグーン・セイヴァー>」


 よく通るアルトで唄われる喚起詞。


 直後、あたしの意識は急速に――

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