第4話 37
「……あんた、まさかその領主とやらを潰そうとしたんじゃないでしょうね?」
「――そ、そんな事してないよ!?」
マリ姉にジト目を向けられて、アリシアは慌てて首を横に振る。
「そ、そりゃあ確かに、はじめはそれもアリって思ったのは事実だけどさ、クローディア様がノーツ男爵は悪人じゃないって言ってたから、穏便に訪問することにしたんだよ……」
「待て、おまえが懇意になったのってクローディア殿下なのか!?」
「え、それ驚くトコなの?」
ラグドール領と王都しか知らない――他国の知識に疎いマリ姉が不思議そうに首を傾げる。
「クローディア様は次期大公位継承順位一位と目されている方よ」
と、エレ姉が呆れ気味にマリ姉に説明する。
「……ご本人は、まだ幼い弟君――ディオニス殿が元服するまでの繋ぎだと仰っているようだがな」
以前会談した際に、クローディア殿下ご本人がそう仰っていた。
……そりゃもう、皮肉たっぷりに。
なんでも大公陛下がウチの爺様をマネて、彼女に執権を預けて隠居暮らしを始めたらしく、ネチネチと……直接的な物言いこそなかったが、遠回しな言葉遣いで延々と爺様を批難されたんだよ。
どうも俺より二つ年上の彼女は、女の身という事もあってミスマイル宮廷では俺以上に苦労しているらしい。
爺様から執権を預けられたばかりだった俺は、初の王族外交という事もあって、彼女の苛立ちが収まるのをひたすら待つ事しかできなかった。
口下手な俺が下手に反論して、国際問題に発展させるわけにも行かなかったしな。
あれ以来、どうにも俺はクローディア殿下を苦手としているんだ。
「おまえ、殿下におかしなマネしてないだろうな?」
俺がアリシアを睨むと、ヤツはコクコクと首を縦に振りたくった。
「勇者認定された時に身分がバレちゃったんだけど、問題にはしないって約束してくれたよ」
「……というか、クローディア殿下もよくおまえを勇者にしようと思ったもんだ」
勇者認定というのは、対象となる冒険者を国家が後援すると宣言するようなものなんだ。
アリシアがいかにミスマイル公国で四年もの間、冒険者として実績を積み重ねていたとはいえ、クローディア殿下はかなり判断に迷ったんじゃないだろうか。
アリシアを勇者認定するという事は、少なくともミスマイル公国内での一切の活動を許容し、他国においてはその活動にミスマイル公国が責任を持つと宣言する事になるんだ。
隣国の公爵家の跡継ぎ令嬢にして、王位継承権まで持つヤツに、俺なら間違ってもそんな権限を与えたくはない。
「ん~、あたしが勇者として帰国するなら、今のローダイン王宮に対して牽制となるからとか言ってたよ」
「ああ、なるほどな。現ローダイン政権に対して、グランゼス家が反対派の旗印になる事を期待したのか。さすがだな……」
異様にキレるあの方でも、まさか俺が生き延びてるとは思わなかったのだろう。
それでもローダイン王宮内の腐敗は、なんらかの手段で入手したんだろうな。
カイルが傀儡となっているのもご存知なのかもしれない。
ウチと同様にアグルス帝国の侵略に晒されているミスマイル公国としては、ローダイン王宮内が混乱してたり、国として弱体化するのは困るってわけだ。
そこでクローディア殿下は、アリシアを勇者認定する事でミスマイル公国として旗幟鮮明にしたという事か。
――ミスマイル公国は、現カイル政権を認めない。
暗にそう示してみせたんだ。
ミスマイル公国はグランゼス公爵家による政権転覆を支援する用意がある、と。
逆に反カイル政権の立場を取る者にとっても、これは一種の脅しだ。
――アリシアという旗印を用意してやってなお、カイル政権に好きにさせたままなら……
……クローディア殿下なら、表情ひとつ変えずにローダイン王国を切るだろう。
俺が彼女の立場なら、そうせざるを得ない。
「クソ! そういう話はもっと早く言っておけよ!」
思わず俺はアリシアに毒づく。
アリシアと再会できたのは、本当にギリギリの幸運だったというワケだ。
「……モントロープ女伯、宮中は……カイル達は殿下のこの思惑を理解できているのか?」
俺の問いに、女伯は首を横に振る。
「私が調べた限りでは、大臣達は反体制派であるグランゼス家が発言力を増す事を苦々しく思ってはいたようですが、ミスマイル公国がアリシアの後見となった意味にまで考えが及んでいる者は居ないようでした」
「――あ? リグルドもか!?」
なんだかんだ言っても、あいつはアグルス帝国を含む周辺国を弁舌で説き伏せてきた実績があり、カイルを使って俺からの王位簒奪すら成し遂げた男だ。
こういう腹芸みたいなのは得意分野だろうに……
自分の長男のレオニールをアリシアにあてがってグランゼス家を取り込もうとしたようだが、その思惑はミスマイル公国への牽制――いや、意趣返しだったのだろうか?
「それが……彼は長男、次男を相次いで亡くした心労から臥せってしまい、出仕しなくなっておりましたので……」
「あー……」
どういう思惑があって、リグルドがレオニールとアリシアをくっつけようとしたのかまでは、モントロープ女伯でもわからないということか。
「……アリシア、とりあえずおまえは後でクローディア殿下に鳥を飛ばして現状を伝えろ。
俺の生存を含めて、しっかりな」
現在進行系で意思疎通を可能とする<
グランゼス公爵領が侵災に侵されている今、ミスマイル公国から見たらカイル政権の制御役が失われたように見えるはずだ。
王宮が大侵災で混乱している現状、いつクローディア殿下が大侵災調伏支援という名目で我が国に介入して来てもおかしくない。
あの方はいずれは弟君に立場を譲ると公言してはいるものの、はっきり言って為政者としての能力は俺より上なんだ。
俺程度が思いつく策なんかより、よっぽど有効で効率的な方策を思いついていても不思議でじゃない。
だからこそ、打てる手は早急に打っておくべきだ。
今の俺の目的は王位奪還だが、それを他国の支援を受けて成し遂げては後々まで介入を許す事になってしまう。
ミスマイル公国が手を出したなら、きっとアグルス帝国もまた介入しようとしてくるだろう。
そうなればもう泥沼だ。
もはや内戦は避けようがないが、他国に介入させるのは絶対に避けたい。
「ああ、最悪、ウチを舞台にミスマイルとアグルスが戦争始める事もあるのか。それはダメだね」
そんな思惑を説明すれば、アリシアは素直にうなずきを返した。
安堵しつつ、俺は話を戻す事にする。
「――で? おまえはそのなんとか男爵のトコに向かって、どうしたんだ?」
「ノーツ男爵ね。ラウール・ノーツ男爵」
一応、俺は王太子として隣国の有力貴族の名前は記憶するようにしていたが、その中にその名はなかった。
だが――モントロープ女伯は、その名に覚えがあったようで。
「彼が……ラウール殿がイリーナを買った?」
信じられないとでもいうように目を剥く。
と、そんなモントロープ女伯にアリシアは首を振ってみせた。
「ああ、えっとね、ノーツ男爵はイリーナ様を保護する目的だったそうだよ。大使としてアグルス帝国を訪れてたから、事を荒立てられなくて――イリーナ様の事を奴隷商にあれこれ詮索されないように、購入って形を取るしかなかったんだって」
「女伯、知り合いなのか?」
俺の問いに、女伯はうなずく。
「学園時代の級友です。
彼はミスマイル公国からの留学生で――御家が特殊な立場の為、貴方の両親が世話役として付く事になって、その繋がりで私も友人となりました」
「特殊な立場、とは?」
「ノーツ家は陞爵を断り続けているだけで、公国建国以前――アグルス帝国が王国だった時代から存在する、いわゆる旧い御家なのです。
そして、現在に至るまで彼の地の霊脈整調を司る祭家でもあります」
女伯の言葉に俺は両親が世話役を務めていたという話に納得する。
ミスマイル公国内部での祭事の扱いは詳しくはわからないが、霊脈を司る旧家という事は、恐らくは俺達――ローダイン王族の同類のはずだ。
現在に至るまで霊脈整調を滞りなく行ってきたのなら、少なくともベルノール侯爵家級の知識や技術は保有していると考えて良いだろう。
男爵という下級爵位で軽んじられないよう、父上達が世話役になったというわけだ。
「うん。男爵もそう言ってた。
レリーナおば様を通してイリーナ様とも顔見知りで、だから帝都で奴隷として売り出されてるのを見て驚いたんだって」
……なんでも、ベルノール家出身の母上は、男爵に霊脈についての知見を求められて返答に困り、魔道に長けている自身の妹を紹介したらしい。
「彼が善意からイリーナ様を保護したのは、すぐにわかったよ。
冒険者として現れたあたし――アリーをすっごく警戒してたからね」
だからアリシアは正式に名乗り、身分と――イリーナ殿の保護という目的を明らかにしたんだという。
「お父さんの事もご存知で――あと、あたしが学生時代のレリーナおば様に似てるとかで、すぐに信じてくれたんだ」
「そうね。生き写しとまでは行かないけど、あの頃に面影や雰囲気は似ていると思う」
と、モントロープ女伯が同意する。
「まあ、婆様――先代のベルノール夫人はグランゼスの出だしな」
グランゼス公である大叔父上の妻の妹に当たる。
俺にとって母上は母親としての穏やかな人柄しか知らないから、アリシアと似てるとは到底思えないのだが、友人だったという女伯やノーツ男爵から見れば……納得はできないが、どうやら似ているらしい。
「……そうして、ようやくあたしはイリーナ様と出会ったんだ」
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