第4話 36

「私の報告を受けた鬼ババ様は、スクォール導師を――この世界で自然発生した、一種のマッドサイエンティストと認識したようなのよ……」


 モントロープ女伯のその言葉に、俺達は息を呑んだ。


「……ババアがそう判断するだけのなにか――根拠があったということか?」


「はい。鬼ババ様が言うには――」


 マッドサイエンティストという存在は、覆しようのない定義がいくつかあるのだという。


 それはその人物が存在する環境ではありえない発想力を持っているという事であったり、文明水準からかけ離れた研究成果物を生み出したりというものだそうで。


 中でもババアがスクォールがそうだと断じた根拠は、マッドサイエンティストがマッドサイエンティストと呼ばれる最たる理由故にだった。


 ――すなわち。


「彼は、この星――世界に構築された独自法則ローカルルールのひとつを、自らの発想と研究によって打ち破っているからだそうです」


「……魔道器官の封印解除……」


 エレ姉の呟きに、モントロープ女伯はうなずいた。


「そう。魔道器官を霊脈に接続して精霊を抽出し、自身の魔動へと転換する機能――鬼ババ様はエスエスコンバーターと呼んでいたけれど――そこに施された封印に人類が気づくまでには、今の魔道技術の発達速度から考えて、鬼ババ様の想定ではあと二百年はかかるはずだったそうよ」


「つまりスクォールの研究は、ババアにとっても想定外だったって事か……」


「はい。それだけならば鬼ババ様の想定を上回る発想ができた魔道士――賢者候補と捉える事もできたそうなのですが……

 ――自身の研究成果を守る為ならば、かつての仲間達と敵対する事すら厭わないというその在り様こそ、なにより鬼ババ様が彼をマッドサイエンティストであると判断した根拠だそうです」


 実際にエルザというマッドサイエンティストを目の当たりにしたからこそ、俺はその言葉にうなずく事ができる。


「……カイル達、孤児院の子供達に封印解除を施して、魔法を使えるようにしたのはあくまで研究の延長ってわけか」


 グランゼス領で対峙したエルザは、レオニールを異形の怪物へと変えた時も、俺やクロと対話していた時も、ひどく興味深そうに――まるで実験動物を見るような目をしていた。


 侵災を引き起こした時でさえ、ヤツの表情からは悪意など感じられず、ただ実験の一環で行っているという印象を受けたのだ。


 ――マッドサイエンティストの行動に善悪の別はない。


 ならば、スクォールの行動もまた、善悪では判断できないという事なのだろう。


 捕縛した魔道士が真実を語っているとして、スクォールが孤児達を守り、そしていずこかへと連れ去ったのは恐らくは善意からではなく、証言にある通り――実験体を守りたかったという事か。


「……ババアはスクォールの処遇に関して、なんと言ってるんだ?」


 モントロープ女伯によれば、スクォールの派閥の者と魔道士達が争っていたのは、記録器でわかっていたようだが、彼が孤児達を連れ去ったと判明したのはつい最近――俺がトランサー領でビクトールを殺した事がきっかけで、恐らくアグルス帝国で魔道士を捕縛できたのは、俺がグランゼス領に滞在していた頃の事だろう。


「最後に連絡を取った際――私達が王宮を出る数日前の段階では、すでに手を打ったと鬼ババ様は言っていました」


「最近、クロと一緒にあちこち飛び回ってて忙しそうだとは思っていたが、そんな事にまで手を出してたのか」


 俺の言葉に、モントロープ女伯はチラリとアリシアを一瞥し、それから俺にうなずいた。


「ええ。現状は任せるように、と……」


 ああ、これは恐らくモントロープ女伯やババアは、スクォールの所在をすでに掴んでいるのだろう。


 それを今この場で告げないのは、アリシアが知ったら飛び出して行きかねないからだろう。


 スクォール以上の驚異――真性のマッドサイエンティストであるエルザの生存が想定される今、ヤツを殺せるアリシアは自由に動かせるようにしておきたいというわけだ。


「――アジュアお婆様が動いてくれてるなら、いずれあの子達の居場所もわかるはずね」


 と、アリシアはそう安堵の言葉を口にして、幸いな事にモントロープ女伯の目線の意味には気づかなかったようだ。


「まあ、そっちはババアに任せるとして、だ」


 俺はモントロープ女伯の意向を理解した事を示す為、彼女にうなずきを返す。


 それから話題を逸らす為にアリシアに顔を向けた。


「――そろそろ聞かせてくれ。おまえ、さっきイリーナ殿に会ったって言ってたよな?」


 ……話の流れから察するに、カイルが王子ではない証拠とは、彼女に関係する話なのだろう。


「うん。そうだね。そもそもその話をしてたんだった」


 アリシアがカイル達に鍛錬を施していたというのには驚かされたがな。


「……コートワイル領を旅立った後、あたしはグランゼス領に立ち寄ってから<影>の情報を頼りにアグルス帝国に渡った」


 その時にマリーが専属従騎士として随行するようになったようだな。


「現地の<影>と合流して、すぐにイリーナ様を売り出していた奴隷商会を襲撃したよ。あの人を買った奴の情報を入手しようと思ったんだ」


 ババアの教育を受けたらしいモントロープ女伯は別として、<影>は基本的には諜報工作員であって、戦闘能力に長けているとは限らない。


 アグルス帝国でアリシア達が合流した<影>もまた、情報収集能力を買われて現地に潜伏していた人物だったようで、イリーナ殿の足取りを掴めたのも偶然――奴隷にされたトランサー領民を捜索していた過程での事で、潜入捜査によって得た名簿情報だけだったそうだ。


 だから、アリシアは奴隷商会を襲撃し、直接会頭に問い質したのだという。


「でも、奴隷取り引きって、売る側も買う側も後ろ暗い者同士で、互いの素性を詮索しないのがルールらしくてさ……すでにわかってた、ミスマイル公国から来た人物って事以外は、外見の特徴とその人物が乗って来た馬車が紋章を隠してた事から、貴族じゃないかって事くらいしかわからなかったんだ。

 ――だから、あたしはそのわずかな情報を頼りに、ミスマイル公国に向かう事にした」


 仮にイリーナ殿を買ったのが貴族なら、入出国の記録が残っているはずだと、そう考えたらしい。


 イリーナ殿が買われた時期は、奴隷商会への襲撃でわかっていたから、同じ時期にアグルス帝国に出入りした人物を絞り込めるというわけだ。


「いや、たかが冒険者が行政文書――しかも貴族の入出国記録なんて閲覧できるわけがないだろう?」


 件の貴族が外交名目で入出国していた場合、それを探ろうとする理由を問われるだろう。


 場合によっては他国の工作員を疑われてもおかしくない。


「まさかアリシアちゃん、真っ正直に公爵令嬢を名乗ったりしてないわよね?」


 エレ姉も顔を引きつらせて訊ねる。


「や、それも考えたんだけど、マリーに止められたんだよ。他国の公爵家の者だとバレたら、それこそ記録は見せてもらえなくなるって」


 マリーが同行してくれていて、本当よかった……


 ヘタをしたら、国際問題になっていたところだ。


 安堵しつつ、俺はアリシアに訊ねる。


「じゃあ、どうしたんだよ?」


「ん。公爵令嬢と名乗らずに――冒険者としてお城に入る方法なんて、あとは限られるでしょ?」


「まさか……」


 俺だけじゃなく、エレ姉もマリ姉も頭を抱えたくなったに違いない。


 モントロープ女伯は首を振ってため息を吐いていた。


「貴族の目に留まるように依頼を受けまくって、上級冒険者として正々堂々と登城したんだよ」


 どうやらアリシアはイリーナ殿の足取りを追いながら、冒険者アリーとしてミスマイル公国で名声を高めて行ったらしい。


 普通は思いついても、実際に達成できるもんじゃないのだろうが……そこはアリシアだ。実力で道理をねじ伏せたというわけだな。


「四年もかかっちゃったけど……お陰で公女様から直接依頼を受ける事ができてね」


 その報酬として、アリシアは入出国記録の閲覧を希望したらしい。


「事情を説明したら、公女様は全面的に協力してくれてさ。だから、そこからイリーナ様を買った人の事がわかるまでは、すぐだったよ」


 その人物は、公国の小領を治める領主だったのだと、アリシアは語る。


「――公女様が紹介状を用意してくれて、あたし達はすぐに彼の元に向かったんだ」

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