第4話 32

 スクォールと名乗ったその魔道士は、三十代前半に見える顔立ちに反して、老人のようなくすんだ白髪を長く背中まで伸ばした男だった。


 数年前、外交でアグルス帝国を訪れていたリグルド候と出会い、そのまま研究の後援を受ける形でローダイン王国にやってきたそう。


 彼が優れた魔道士なのはすぐわかった。


 瞳が赤化していたから。


 魔獣同様、人もまた強い魔動を持つ者は瞳に変化が現れる。


 ベルノール家のレイリアお姉様は生まれつき赤かったという。


 その妹であるエレ姉も、先日会った時には碧から紅玉みたいな赤に染まっていた。


 おそらく目の前の人物は、あのふたりに匹敵する魔道士なのだと、あたしは直感的に理解したよ。


「私は昔から、魔道――魔法や刻印術を医療に転用できないかと考えていてね」


 孤児院の応接室で互いに挨拶を交わすと、彼はさっそくそう切り出した。


「若い頃はその術を求めて、各国を転々としたりもしたんだ」


 アグルス帝国を越えた遥か海の先――西方群島にまで旅をしたのだとスクォールは語る。


 人を阻む密林に覆われた西方群島は、一部こそ冒険者によって切り拓かれて入植がなされているものの、その大半は未開の地なのだという。


 それでも多くの冒険者達が彼の地を訪れるのは、密林の中に手付かずの古代遺跡が無数に点在しているから。


 赤眼が雑魚と言えるほどに強力な魔獣――恐らくは攻性生体兵器だと思うけど――が徘徊し、外界とは異なる生態系が構築されたその地では、各国から訪れた腕自慢の冒険者達によって、日々、新発見が成されているのだとか。


 そういった新発見を調査、研究する為、多くの学者や魔道士もまた彼の地を訪れていて、スクォールもまた、そんな魔道士達の一人だったというわけね。


 ただ彼の場合、現地に赴いた多くの魔道士達と異なり、冒険者として実際に遺跡に潜って探索活動もしていたらしい。


 だからなのか、アイリスがあたしを冒険者と紹介しても、騎士や魔道士にありがちな見下した態度を取るような事はなかった。


 彼の話題に合わせて、あたしもカイルやレントンの鍛錬の為に、領都近郊の遺跡に潜っているという話をすると、彼は興味深そうに会話に乗ってきた。


「この辺りの遺跡は探索され尽くしたと聞いているが、機会があったら私も連れて行ってほしいものだね。

 ひょっとしたら西方群島での知識で、まだ未発見の区画を見つけられるかもしれないよ?」


 と、彼は人好きのする微笑を浮かべた。


「ああ、そういう事もあるみたいね」


 一見、行き止まりに見える通路が、実は魔道認証によって開閉する隔壁だったりするらしい。


 ただ、太古の昔に放棄された西方群島の遺跡と違って、国内に存在する遺跡はすべてアジュアお婆様の管理下にある。


 だから未発見区画が見つかったとしても、新発見と呼べるような成果は上がらないとあたしは断言できる。


 もちろんそんな事はおくびにも出さないけどね。


「スクォールさんは西方群島で、そういう発見をしたんですか?」


 と、あたしはやんわり話題の修正を試みる。


 今のあたしの目的はカイルとレントンの育成で、魔道士の知識探求に付き合う事じゃないからね。


 するとスクォールは赤い目を細めて、口角を持ち上げる。


「……私はね、彼の地で古代の……いいや、ひょっとしたら神代のものかもしれないが、魔道の深淵――神の叡智の一端に触れたんだ」


 そうして語られた話を理解できたのは、たぶんこの場ではあたしだけだったと思う。


「現代の人類の魔道器官にはね、ある種の制限がかけられているのがわかったんだ」


 息を呑みそうになったのは、気合いで堪えた。


 あたしの表情は、兜に隠されていて彼には伝わらなかったはずだ。


 アイリス達は意味がわからないというように首を傾げていて、あたしもそれを真似て頭を傾ける。


「ああ、あまり知られていない話だけどね、古代人は現代人と違ってずっと長生きで強大な魔道器官を持っていたと言われているんだ。

 現代でも時々――そうそう、数年前に戦没なされた王太子ミハイル殿下のような、先祖返りとも言える存在が生まれる事があるんだけど、古代では殿下のような存在がそこらにいたみたいなんだ」


 それが正しい事を、アジュアお婆様に教えられて、あたしは知っている。


「私が発見した遺跡はね、そんな古代人がなぜか為の――一種の封印術を研究をしていた施設だったようでね……」


 現代に生きる純血種は、その昔――それこそ初代アベル陛下の御代から見ても太古と呼ばれるほどの大昔に、再生人類や混血種と共生する為に寿命の調整を行い、この世界で生きるのに不要な能力が封印された状態にあるんだと、アジュアお婆様は言っていた。


 とは言っても封印は完璧なものじゃなくて、遺伝異常とかいうので時々、ミハイルおじ様やイリーナ様、そしてなによりあたし自身もそうらしいんだけど、封印が緩んだ状態で生まれる者がいるらしい。


 余計な事を言ってしまわないように、機動鎧パワード・アーマーの中で冷や汗を流しながら表情を強張らせるあたしをよそに、スクォールは愉しげに続ける。


「あの遺跡にあったのは、いわば古代人の生体情報――封印前と後両方が完璧に揃ったものだったんだ。

 いやあ……あの情報のおかげで私の研究は一気に進んだと言っても良い」


「……というと、魔道を医療に用いるという?」


「ああ! 君も上級冒険者なら知っているかもしれないが、魔動が強い人は病気にかかりづらいし、かかっても弱い人より治りが早い。あとは……治癒魔法の効きも良いだろう?」


 あたしはうなずく。


 これも事実だ。


 アジュアお婆様が言ってたっけ。


 常に魔道器官から漏れ出る魔動が無意識の結界を構築して、病の元から身を守ってるからとかなんとか。


 治癒魔法の効きが良いのは、現在、世の中に出回っている治癒魔法の構造が、受ける側の魔動も利用して傷の再生を行っているからって言ってた。


 もちろん喚起者の魔動が強いに越した事はないんだけど、同じ喚起者が異なる人に治癒魔法を喚起した場合、受ける側の魔動の強さによって効果は分かれるらしい。


 だからリンガート魔道士長の治癒魔法で、あたしが馬から落ちて骨折した時には数時間で治ったのに対して、アルが山岳訓練で骨折した時には完治まで一晩もかかったのは、アルの鍛錬が足りなかったって事なんだよ。


 ――おっと、それは今はどうでも良い事だった。


「ん? ああ、話の繋がりがわからないかい?」


 あたしが余計な考えを巡らせて黙ってしまったからか、それともすっかり理解を放棄してお茶菓子をパクついているアイリス達に対してなのか――スクォールは苦笑を漏らす。


「つまりは現代人の魔道器官を古代人のそれに等しくできれば、病に苦しむ者や大怪我した者をより多く救えるはず――と、いうのが、私の研究でね」


「――なっ!?」


 今度こそあたしは驚愕を隠せなかった。


「人の魔道器官に干渉する魔法なんて存在しないはずじゃないの!?」


 物語に出てくるような、精神に――魂に干渉できないのも、それが魔道器官の内側に内包されているから。


 少なくともあたしがアジュアお婆様に植え付けられた知識には、他人の魔道器官をどうこうするような……そんな魔法は存在していない。


 あたしの問いに、スクォールは自嘲気味に笑ってうなずいた。


「そう。私もあの遺跡の情報を見るまではそう思っていた。だが、そもそも発想自体が間違っていたんだ!」


「……発想が? あっ!」


 あたしは彼の言おうとしている事が理解できてしまい、声をあげた。


「ふふ。気づいたかい? さすが上級冒険者だ。柔軟な発想力を持っているのは職業の別なく、良い事だよ」


 彼は楽しげな微笑を浮かべて、お茶を一口。


「……魔道器官に施された封印術に対して、干渉するのね?」


 魔道器官の封印は、血によって継承される刻印の一種だと、あたしはすでに教わっている。


 王太子に発現する、王印の原型となる技術が用いられているんだとか。


 実際は純血を維持している王族はみんな、王印を発現させる因子を持っていて、王太子とアジュアお婆様に認められた者が、鍛錬の修了時に王印を発現させられるんだ。


「その通り! とはいえ、まだまだ研究途中なんだけどね。

 それでもいくつかの成果をコートワイル閣下が評価してくださってね」


 そうして彼はコートワイル侯爵に誘われて帰国し、領内にある魔道士達の研究所で探求の日々を送るようになったのだという。


「だからカイルくんとレントンくんの魔道を強化をして欲しいという閣下の頼みは、私にとって閣下への恩返しの良い機会なんだ」


 と、スクォールはあたし達の会話を聞いているフリをしながら、お菓子を頬張る事に余念のないふたりに視線を向ける。


 あたしはそれを遮るように、右手を伸ばした。


「――待ちなさい。ふたりを被検体にしようっての? ふたりはあたしの大事な弟子よ?」


「ああ、済まない! 誤解させてしまったようだ。

 被検体なんてとんでもない。そんな事はコートワイル閣下が赦さないよ。

 ふたりに施そうとしているのは、私自身が試し、すでにしっかりと安全性が確立されたものなんだ」


 スクォールは慌てたように、そう弁解した。


「……具体的に、なにをしようというの?」


 あたしは声を低くして、威嚇するように問いかける。


「君は賢明なようだから、こう言えばわかってもらえるかな?

 ――霊脈への接続機能の回復」


 そう応えた彼の表情は、心底誇らしげで。


 そこには一切の邪な考えも悪意もまるで感じられず、ただただカイルとレントンの魔道器官を強化してやりたいという想いだけが感じられて。


「……そんな事が……できるの?」


 アジュアお婆様に植え付けられた知識のせいで、彼のやろうとしている事がわかる。


 理解できてしまう。


 つまりは魔道器官に本来備わっている機能――霊脈に接続して魔道器官の魔動出力を強化するという機能を取り戻そうという話だ。


「封印に用いられている刻印は強固だから、時間をかけてゆっくりと解きほぐし、書き換えていく必要があるけどね。

 ――アグルス帝国でこの刻印術を施した人は、今は特級冒険者として西方群島に派遣されてるよ」


「――特級!?」


 その言葉に、半分聞き流していたカイルとレントンの目の色が変わる。


「もちろん魔道器官が強くなっただけじゃ身体がついていけないから、彼はしっかりと肉体の鍛錬はしていたよ。

 そこはアリー殿が仕込んでくれるのだろう?」


 彼は信頼のこもった――真摯な眼差しをあたしに向けてくる。


 確かに魔道器官の問題が解決されるなら、ふたりの鍛錬はいくらでも先へ進められる。


 ……問題はこの方法が正しいものなのかどうか。


 ううん……少なくともスクォールは、古代遺跡に遺された資料を参照しているとはいえ、この魔道技術を自らの手で生み出しているんだ。


 アジュアお婆様は人が自らの知恵で生み出した技術を否定はしない。


 そして本当にまずいモノなら、なんとしてでも世に出る前に叩き潰しているはず。


 つまりスクォールが今も生き延びて研究を続けられている事が、外道ではないと判断されている証明だと思う。


「……ふたりが望むなら、あたしは反対しないし、より高みに至れるように導こうと思う」


「――師匠っ!」


「ありがとうございます!」


 あたしの返答に、カイルとレントンは焼き菓子のカスがこびりついた口元を拭って立ち上がると、まずあたしに頭を下げて――


「――僕らの魔道を鍛えてください! スクォール先生!」


 それから声を揃えて、スクォールに頭を下げた。


「――請け負った。これからよろしく頼むよ。カイル、レントン」


 そうしてその翌日から、スクォールによるふたりの魔道器官の封印解除が始まったんだ。

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