第4話 28

 家紋の入っていない使用人用の馬車に乗り、あたしとアイリスは孤児院へと向かった。


 コートワイル領都は西部へと続く西アベル渡河街道と、北部へと続くアンジェリカ魔境開拓記念街道、そして南東の王都へと続くローダイン誓約街道の三つの主要街道が交わる位置にあるから、多くの人々が行き交っていてすごく賑わっていた。


 魔獣の少ない土地柄だけあって防壁がない造りをしていて、城塞都市として発展したグランゼス領都ウチと違って、すごく空が広い印象。


 街を囲う壁がない分、土地に余裕があるからか、建物と建物の間も広く取られていて、だから細かい路地がたくさんあるのが特徴かな。


 元々は宿場町から発展した歴史を持っていて、昔は木彫り人形なんかを特産品にしていたそうなんだけど、今は北部や西部から仕入れた品々を商う商業都市になっていた。


 領主屋敷や役所が建ち並ぶ街の中央区画には大きな円形広場があって、三つの主要街道はそこで合流する。


 あたし達を乗せた馬車は屋敷を出ると、その円形広場から主要街道には入らず、南へと続く大路に入った。


 領都の南側は住宅街になっていて、中央から離れるほど建っている家は小さく、質素になった。


 そんな街並みの外縁――農家が集まっているのだという集落に、目指す孤児院はあった。


 周囲を小麦や豆の畑に囲まれ、統治上の区分では領都の一部となっているけれど、ほぼ独立した村のようにも見える。


 馬車は村の中央を貫く道を抜けてさらに南側へと駆け抜けた。


 孤児院は村の端――草原に囲まれた丘の上にポツンと建っていた。


 背後に雑木林を背負った煉瓦造りの大きな建物。


 同行した執事長のサントスが言うには、コートワイル領都は西部北部から続く主要街道の合流地点であるからこそ、昔から難民や孤児が多かったんだって。


 西部からはアグルス帝国の侵略で焼け出された人々が流れ着き、北部からは強力な魔獣に村を滅ぼされ、泣く泣く故郷を捨てて逃れてきた人達がやって来くる。


 彼らは商業都市であるこの都で再起を図るのだけど、中にはうまく行かない人も居て……


 何代か前のコートワイル家当主がそんな彼らを支援する為にこの集落を造り、遺された孤児を保護する為に孤児院を建てたんだって。


 孤児院の前に馬車は横付けされ、まずサントスが馬車を降りて、立派な造りの木扉をノックした。


 あたしとアイリスが馬車を降りていると、木扉が開いて初老の女性が顔を覗かせた。


「――まあ、サントス様!? どうなさいました?」


「突然ですまないな。院長。お嬢様が訪問したいと仰せでな」


 途端、院長を押し退けて、幼い子供達が跳び出して来た。


「――アイリス様来たの~!?」


 木扉が全開に開け放たれ、子供達は歓声をあげて嬉しそうにアイリスに駆け寄る。


「あ――」


 王都でのアイリスの振る舞いを思い出し、あたしは思わず声をあげそうになった。


 彼女はお茶会なんかで、同年代や年下の子が粗相した時には、それはもう苛烈に怒鳴り散らしていた。


 だから、孤児にも同じような態度だと思ったんだ。


 あたしが止める間もなく、子供達はアイリスに飛びつく。


 怒鳴るだけで済めば良い。


 もし、子供達に手をあげるようなら、その時は……どうしよう?


 ただの冒険者が侯爵令嬢を制止なんてできるものじゃない。


 一瞬の葛藤と躊躇。


 ……けれど。


「あらあら、相変わらずみんな元気ね」


 アイリスは苦笑しながらも目元を嬉しそうに細めて、子供達を優しく抱きとめていた。


「……は?」


 あたしは目がおかしくなったのかと思ったよ。


「でも、おまえ達? それじゃあ、立派な紳士淑女になれないわよ?」


 と、彼女は驚くあたしをよそに、腰を折って子供達に目線を合わせ、人差し指を立てて子供達にそう告げた。


「あ、そうだった!」


 その言葉に、子供達は慌ててアイリスの前に整列し、男の子は胸に手を当てて、女の子はワンピースのスカートを摘み――


「――ようこそ、いらっしゃいませ。アイリス様!」


 揃って腰を折って見せる。


 しっかりと躾けられた礼法に、あたしは兜の中で驚きの表情を浮かべたよ。


 グランゼスウチにも孤児院はあるけれど、そこに居る子達に同じ事ができるとは思えない。


 あの子達は文字の読み書きより先に、武器を振る事を覚えてしまうような脳筋ばかりだもん。


「ええ、みんな。ええと、三日ぶりね」


 アイリスは愛おしげにそばの女の子の頭を撫でながら子供達を見回す。


 子供達の懐きようから、アイリスがこの孤児院に足繁く通っているのがよくわかる。


 見慣れないあたしを不思議そうに見上げてくる子供も居たけれど、護衛の騎士とでも思ったのか、特に声をかけてくる事はなかった。


 雇われた冒険者という立場だから、紹介されるまでは黙っていよう。


「今日もみんなにお土産を持ってきたわ。

 ――サントス、お願い」


 アイリスの指示に、サントスが馬車に積んでいた一抱えほどもある大振りの籠を降ろす。


「やった~!」


「パン!? あの甘いパンでしょ!?」


「果物かも!」


 子供達はきゃっきゃと歓声を上げて、今度はサントスの周りに集まった。


「ふふ、残念。ハズレね。

 今日は北部で食べられてるっていう揚げ菓子よ」


 アイリスの言葉に合わせるようにサントスが籠のフタを取ると、中からひとつひとつ丁寧に紙で包まれたドーナツが見えた。


 ベルノール侯爵家に遊びに行った時に、レイリアお姉様やエレ姉と一緒に食べた事がある。


 旅する料理人で有名な、ミナ・セグチが広めたお菓子だったはずだよ。


 粉糖で染められた白から覗くキツネ色の生地からは、揚げたてを示すようにふんわりと湯気があがっている。


「まあまあ、お嬢様。いつもありがとうございます」


 院長が恐縮したようにお礼を告げる。


「ウチの料理長が先日お休みで北部に旅行に行って、覚えて帰って来たのよ。

 美味しかったから、みんなにもって思ったの」


 アイリスは院長にそう応え、それから腰に両手を当てて子供達を見回す。


「おまえ達、紳士淑女は頂きますの前には、どうするのだったかしら?」


 その言葉に、子供達はピタリとサントスの周りで飛び跳ねるのをやめて。


「あ、そうだ! 手を洗わなきゃ!」


「そうだった! 洗い場に突撃ーっ!」


 きゃっきゃと楽しげに笑いながら、孤児院の右手側――きっとそちらに洗い場があるんだろうね――に駆けて行く。


「裾で拭いたらダメよ? ちゃんとハンカチを使いなさいね?」


 そんな子供達にアイリスもまた楽しげに声をかけ。


「はーい!」


 と、子供達はポケットからハンカチを取り出して旗のように振りながら、建物の向こうに向かった。


「では、私はお茶の用意をしましょうかね」


「手伝おう。今日は良い茶葉も持って来ているんだ」


 院長の言葉に、サントスが籠の中から茶葉缶を取り出して微笑んで見せる。


「まあ! サントス様がお持ちくださるお茶はどれも美味しくて、私、実は楽しみにしておりますの」


 などと話しながら、ふたりは孤児院の中に向かおうとした。


「――あ、あの、院長先生?」


 そんな院長に、アイリスがスカートを両手で握りながら、もじもじと声をかけた。


 慣れたやり取りなのか、院長は優しい微笑みを浮かべて振り返り、手を孤児院の左に差し伸べる。


「カイルなら畑ですよ。今年はレントンが来てくれたお陰で、去年より広く作付けができた分、お世話が大変なようなのです」


「じゃ、じゃあ、ふたりはあたくしが呼んで来てあげるわね!

 ――アリー、こっちよ」


 と、アイリスは再びあたしの手を取って、畑があるらしい孤児院の左手に向かう。


 孤児院の左――南向きの斜面を起こして、畑は作られていた。


「――洗い場のあるあっちの方が水遣りとか作業は楽なんでしょうけど、村のお百姓さんが言うには、こっちの方が日当たりが良いから畑に適しているそうなの。

 今年の種まきは、あたくしも手伝ったのよ?」


 ……野良仕事をするアイリス……


 想像ができなくて、あたしは顔を引きつらせた。


 ちょっと土が着いただけで、激しく怒鳴り散らす姿なら想像できるんだけど、子供達と接している様子を見る限り、ここでのアイリスはそんな真似はしていないように思える。


 農業は詳しくないから詳しくはわからないけど、青々と生い茂った作物は、時期的に多分、夏野菜だと思う。


 まだ実がる前で、陽光を浴びてぐんぐん伸び盛りといったところかな。


 そんな野菜の向こうに、金髪と黒髪のふたりの少年が見えて。


「あ、いたいた。カイル~、レントン~!」


 アイリスは嬉しそうに声をあげ、手を振って駆け出した。


「――アイリス様!?」


 声に気づいて、ふたりがこちらを見る。


 その金髪の少年の顔を見た瞬間、あたしは驚きの余り、その場に立ち尽くしてしまった。


「……アル!?」


 振り返った彼は、髪や目の色こそ違うけれど、あたしの大切で大事な、大親友の顔をしていたんだもん……

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