第4話 27

「……とある人物?」


 首を傾げるあたしに、アイリスは柔らかな微笑みを浮かべてうなずく。


 王宮ではいつも、相手を見下すような冷笑や高慢な高笑いをしていたから、あたしは驚いたよ。


 あたしの表情が兜に隠されてアイリスに伝わらなくて助かった。


「彼の素性は詳しくは言えないのだけれど、とある高貴な家柄の子なの」


 高位貴族――侯爵家のアイリスが『高貴な』と言うなら、その人物は同等の家柄という事なのかな?


 伯爵家の子にすら横柄に振る舞っていたアイリスだから、それより下の爵位って事はないと思う。


 詳しく聞きたかったけれど、素性を詳しく言えないと釘を刺されている以上、ただの冒険者という立場を装っているあたしには追求なんてできない。


「その子はね、生まれの所為で命を狙われていて……本当はお父様も屋敷に招きたいみたいなんだけど、居場所がバレるとダメだからって、この街の外れにある孤児院で匿う事にしたのだそうよ」


「……御家騒動という事ですか?」


 あたしは訊ねながら、コートワイル家と交流のある高位貴族を思い出そうとした。


 ……したのだけれど、アルをボコったあのお茶会以降、あたし、社交をおろそかにしてたから、まるで思い出せなかった。


「――んんっ!!」


 アイリスの背後に立った執事長が咳払いする。


 どうやらその辺りは訊いちゃいけない事だったみたいね。


「――お嬢様も仰ったが、彼に関する詳細は明かせない」


「……それじゃあ依頼を受けて良いか判断できません。

 命を狙われてるって――護衛任務も含まれるなら、料金が変わってくるんですよ?」


「いや、護衛は基本的には考えなくて良い」


 あたしの言葉に、執事長は首を横に振る。


「過去はともかく、今の彼は世間的にはあくまでただの孤児だ。これまでも襲われたりはしていないから、護衛までは考えなくて良い」


 つまりその人物の詳細を知るのは、アイリスや執事長を含めた、本当に一握りだけって事なんだろうね。


「……基本的に、というのは?」


「突発的な事故が起きた場合などは守って欲しい。

 そのような事態が発生した時は申請してくれ。追加報酬を出そう」


 ……うーん。


 今は命を狙われていないって事なのかな?


 いや、それだけ「彼」の隠匿に自信があるって事なんだろうね。


「ああ、そうか。孤児院に匿っているからこそ、教師を雇う事ができなくて……だから冒険者ってワケなんですね」


「そうだ。読み書きや加減計算などの基礎学習に関しては院長が行っているのだが……」


 執事長は困ったようにアイリスに目を向けた。


「――彼はあくまで孤児のフリをしてるだけだもの! 高貴な血にふさわしい教育を受けるべきなのよ!」


 高貴な血を強調して告げるアイリスに、執事長は渋面になる。


 なるほど。


 今回の依頼は、ほぼアイリスの独断なんだろうね。


 一応、冒険者ギルドでお貴族サマ案件として扱われてるから、執事長を通してコートワイル候も知っていて、認めているんだろうけど。


「――サントスから聞いたわ」


 と、アイリスは執事長を振り返って言う。


「上級冒険者って平民でも、貴族に近い教育を受けているのよね?」


 事実だ。


 上級は貴族と接する以上、政治に影響するような依頼に関わってしまう場合もある。


 依頼の受諾判断が冒険者に委ねられている以上、その善悪を判断するのも冒険者自身がしなければならない。


 だからこそ冒険者ギルドは上級への昇級試験を厳格に行うのだし、試験に落ちた者には希望者を募っていろんな分野の教習まで施しているんだ。


 政治の知識を与える為に、法務官や司法官を招いて講習してもらったりもしてるんだよね。


「はい。上級昇級試験は王立学院の卒業試験と同等と冒険者ギルドで教わりました」


 学院の卒業試験は、元服以降に貴族の子供達が王宮に立ち入る為の官位試験でもある。


 元服前なら親立ち会いの元、特十位が無条件に付与されるんだけど、元服を迎えた成人となるとそうはいかない。


 そこで王立学院では、卒業試験で十位を付与して、卒業者が王宮で開催される宴に参加できるようにしているんだ。


 ちなみに官位十位というのは、下働きや見習いの子供達に与えられるのと同じ位階で、だから王立学院を卒業して十位しか持っていないというのは、社交界では恥ずかしい事とされてる。


 領の仕事に専念してるとか――特殊な理由がある場合もあるけど、普通なら学院を卒業したら官位試験を受けて九位として王宮勤めになるからね。


 冒険者の上級昇級試験が学院卒業試験と同等なのは、貴族からの護衛依頼で、王宮やそれに準じる施設に立ち入る場合もあるから。


 内務省の役人立ち会いで行われるから、試験を突破すると自動的に特十位が付与されるようになってるんだ。


 つまり依頼主の貴族立ち会いの元なら、王宮にも立ち入れるってワケ。


「確か学院の騎士科や魔道士科の生徒は、学年ごとに冒険者階級が付与されるのよね?」


 学園の話が出たからか、アイリスが訊ねて来る。


「はい。その二科は有事の際に冒険者との連携を求められる場合もあるので、教育課程の中に冒険者試験が含まれているのです」


 と、あたしは実家の騎士達が言っていた事を思い出しながら答える。


 ――たしか……


「一年の前期試験を修了すると初級冒険者資格が与えられ、二年の前期試験で下級資格が、三年の前期試験修了で中級資格が与えられますね」


「あら、それなら卒業試験で上級になるの?」


 アイリスの無邪気な問いに、あたしは首を横に振る。


「いえ、中級までは実習を行う事で、ギルドに活動実績と認定されるのですが、上級の認定に関しては、基本的に学園では教えられませんから」


「そうなの?」


「ええ。上級は個人の武――単独での赤眼以上の魔獣の討伐も条件になっているのです」


 それができて初めて、上級昇格試験を受けられるんだよね。


「まあ! それじゃあ、おまえはひとりで赤眼の魔獣を討伐した事があるのね?」


 アイリスは両手を合わせ、キラキラした目であたしに問いかけてくる。


 その表情は、素直に冒険譚に興奮する女の子のもので……


 ……う~ん。本当にこれがあのアイリスなの?


 あたしの知ってるアイツと違いすぎてて、なんだか混乱してきたよ。


「はい。むしろその所為で上級にさせられたと言いますか……」


 モゴモゴと呟くと、アイリスもサントス執事長も首をひねる。


「よくわからないけど、まあ良いわ。大事なのはあなたが強いかどうかだものね。

 あの方――カイルはね、あたくしを守る騎士になりたいのですって。

 だから、あたくしを守れるように強くなりたいって、いつも言ってるの!」


 どうやらカイルというのが、あたしに教育を任せたい子の名前らしい。


「……ふむ」


 騎士になりたい子と聞いては、自他共に認めるローダイン最強騎士団<竜牙>を擁するグランゼスの娘として、放っておくワケには行かないかな。


 その子の素性は気になるけど、誰かを守る為に騎士を目指すっていう志は悪くないと思う。


 ――だから。


「一口に騎士と言っても、才能がなければ鍛錬は無駄になりますし、場合によっては別の道を行った方が良い事もあります。

 ともあれ判断は実際に会ってみてからでも、よろしいでしょうか?」


 あたしはアイリスの勘に触らないよう、慎重に言葉を選んで応える。


 最終的な判断は、当人を見てから。


 まあ、よっぽどおかしな子じゃなければ、あたしはこの依頼、受けてみても良いんじゃないかと思い始めていた。


「ええ。構わないわ! せっかくだし、これから行くわよ! サントス、馬車の用意を!」


 執事長が一礼して<囁き鳥ウィスパー・バード>を取り出し、馬車の用意をするよう吹き込んで、窓の外へと飛ばす。


「さあ、それじゃあ行きましょう!」


 アイリスは嬉しそうな笑みを浮かべたまま、あたしの手を取って立ち上がらせると、そのまま部屋の外に向かってズンズン歩き始める。


 ……本当に、影武者とかじゃないんだよね?


 アイリスに手を引かれて彼女の後に続きながら、あたしは心の中で首を傾げた。

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