第4話 24

 クレリア様の言葉に、食堂にいる全員が息を呑んだ。


「……マッドサイエンティストに惹かれた?

 母上の双子の妹――ベルノールの直系なら、その方もババアの教育は受けていたのだろう?」


 アルくんの疑問は当然の事。


 わたくしだってお父様からこの話を聞かされた時は、同じように訊ねたわ。


 クレリア様は溜息と共にうなずき、それからゆっくりと首を横に振る。


「ええ、あの子も確かに鬼ババ様の教育を受けています。

 ……ですが――」


 そう前置きして、クレリア様はイリーナ伯母様について語り始める。


 ――イリーナ・ベルノール。


 アルくんのお母様であるレリーナ伯母様の双子の妹。


 お父様が言うには、レリーナ伯母様がグランゼス公爵家から嫁いできたお祖母様の気質を色濃く受け継いでいたのに対して、イリーナ伯母様はお祖父様のベルノールの気質が濃く顕していたのだという。


 そっくりな外見なのに、性格は正反対。


 レリーナ伯母様がグランゼスの屈強な肉体と魔道器官を持って生まれたのに対して、イリーナ伯母様は、グランゼスとベルノール両家の魔道をかけ合わせた――それこそお師匠にさえ匹敵するような魔道器官をもって生まれたのだという。


 ――イリーナの肉体は、万象騎ハイウィザード級の魔道器官を収めるには、あまりにも貧弱だったのさ……


 お師匠はそう語っていたわ。


 彼女という前例があったからこそ、お師匠はそういう子の対策を立てるようになって、ウチのレイリアお姉様は今も元気に魔道器製作に没頭していられるのよね……


 ……そう。イリーナ伯母様は、その強大な魔動に身体が耐えられず、幼い頃から床に伏せがちで、活発なレリーナ伯母様と違って、ひどく内向的な性格をなさっていたそうよ。


 お師匠は教育を受けさせる為、その都度、ベルノールの城から庵まで転移で招いていたと言っていたわね。


 当時、イリーナ伯母様と共に魔神教育を受けていたのはミハイル前王太子殿下とレリーナ伯母様、サリュートおじ様にウチのお父様――前例がないほどに、生徒数が多くて、お師匠はずいぶんと難儀したそうよ。


「――<影>という御家の性質上、私は他の魔神教育受講者と別に教育を受ける事が多く、だから、同じように体調を崩しがちで別講習を受けるイリーナとは席を共にする事が多かったのです」


 クレリア様はそう説明する。


 その顔に浮かぶ表情は、当時を懐かしむような優しい微笑み。


「――武にのめり込んだレリーナに対して、イリーナは魔道にのめり込み、鬼ババ様もあの性格ですから、惜しみなく彼女に知識を与えておりました」


 イリーナ伯母様は虚弱ゆえに八竜戦闘術こそ修められなかったものの、お師匠が保有する魔道知識の多くを習得したのだという。


「そうして彼女は元服を迎え、魔神教育は修了となりました。

 レリーナとはその後も学園で顔を合わせていたのですが、領から出られないイリーナとは時折交わす手紙だけの交流となってしまい……

 そんなある日、私は彼女の手紙でヤツの存在を知らされたのです……」


 ――マッドサイエンティスト、ドクタードニール。


 ヤツはある日、ベルノール領都にある魔道大学に忽然と現れたのだという。


 はじめは聴講生として。


 やがてその知識と魔道技術を買われて助教授、そして教授へとのし上がり、やがて研究員として大学に在籍していたイリーナ伯母様と接触するようになって……


「……ヤツの持つ知識と発想を、イリーナは手紙で絶賛しておりました。

 ですが、ヤツはマッドサイエンティストとしての本性を隠し、あくまで魔道士としてイリーナに接していたようなのです……」


 霊脈の大河が重なる為に、強大な魔獣が大量発生しやすいベルノール辺境伯領。


 それをどうにかしたいと、イリーナ伯母様は霊脈や魔獣を主なテーマとして研究なさっていたそうだわ。


「……ドニールの協力で、街や村を守る為の結界――空間刻印術が素晴らしく発展したのだと喜んでいましたよ……」


 そうしてドニールは、イリーナ伯母様の信頼を勝ち取り、イリーナ伯母様はドニールに――女性として惹かれてしまった。


「――ヤツの目的に気付かないままに……」


 そう告げるクレリア様のお顔には、明らかな怒りが浮かんでいたわ。


「……目的?」


 アルくんの問いかけに、クレリア様は鎮痛な面持ちでうなずく。


「……ヤツは――ドニールは……最初からベルノール家が鬼ババ様から託された神器――浄化の宝珠を目的として、イリーナ様に近づいていたのです」


 ――浄化の宝珠。


 それは我がベルノール侯爵家の家宝にして、領地安堵の為にお師匠に託された神器。


 ベルノール侯爵領は、ローダイン王国を流れる霊脈の大河の終点に位置するのよ。


 霊脈とは、人の魔道器官から発せられる魔動によって織りなされる無意識の大河。


 他の地域ならば、そこに込められた無数の意思は、現実に干渉するほどでもないわ。


 けれど、霊脈の終点が折り重なるベルノール領ではそうは行かない。


 積み重ねられた人々の無意識は穢れとなって、怪異という形で現実を侵し、他の地域ではありえない不可思議な現象を巻き起こすのよ。


 それ故に、霊脈の穢れを整調・浄化して精霊に還す事こそが、お師匠から我が家に与えられたお役目。


 年に一度、冬の終わりに行われる祭に合わせて、我が家は一門総出で浄化の宝珠を用いて儀式を執り行い、淀んだ霊脈を整調・浄化しているわ。


 その浄化の宝珠こそ、ドニールの目的だったのよ。


「……ドニールはイリーナを言葉巧みに欺き、ヤツを信頼し切っていたイリーナは、ベルノール城の宝物庫に彼を招いたのだそうです。

 ……そして、ヤツは本性を表した……」


 ドニールはその場で浄化の宝珠を強奪し、イリーナ伯母様をさらって逃亡したのだという。


「城に詰めていた<竜尾>騎士団が即座にヤツを追って、北の森に追い詰めたのだそうですが……」


 その段階で、追跡していた<竜尾>はおろか、誰もがヤツがマッドサイエンティストだとは知らなかった。


 あくまで高位魔道士――大魔道だという認識で追跡したのよ。


 ……だから、対処が遅れてしまった。


「……ヤツは浄化の宝珠を用いて、霊脈を操作し――侵災を発生させたのだそうです」


 クレリア様が悔しげに目を伏せ、拳を握り締めて告げる。


「――宝珠強奪の報を受けて、ミハイルをリーダーにレリーナ、サリュート、そして私がクロの背に乗って現場に急行しました」


「――父上が動いたのは、侵災調伏の為ではなく、宝珠奪還の為だったのか……

 考えてみればそうだよな。

 ベルノールには、魔道に優れた<竜尾>騎士団がいるのに、侵災発生でわざわざ王太子やその側近が動くなんて――いくら母上の実家があるとはいえ、おかしいもんな……」


 アルくんの言葉に、クレリア様がうなずく。


「この段階で、鬼ババ様は宝珠を盗んだのがマッドサイエンティストではないかと疑っていました。

 彼の神器は、ベルノールの血族以外にはただの銀晶珠でしかありませんから……」


 その価値を正しく認識して奪ったのだとしたら、それはお師匠に匹敵する魔道知識の持ち主――すなわちマッドサイエンティストに他ならない、というわけね。


「そうして私達は彼のマッドサイエンティストと対峙し、ヤツを討ち倒しました。

 ――ただ……」


 ドニールは、今際の際に悪足掻きをしたのだという。


「ヤツは複数の侵源を発生させて私達の注意を引き、その間に浄化の宝珠をいずこかへ転送しようとしました。

 ――イリーナはそれを防ぐ為に、ヤツが喚起した転移門に飛び込み……その後、行方知れずとなったのです……」


 イリーナ伯母様の捨て身の行動で、浄化の宝珠は守られた。


 けれど、引き起こされた事件の規模が余りにも大きく、マッドサイエンティストが絡んでいた事もあって、事件の全容は伏せられる事になったのよ。


「……元々、領城から表に出る事がほとんどなかったイリーナは、存在ごとなかった事にされて――事件は侵災の自然発生として処理される事になりました」


「……爺様が貴族院の主張を受け入れざるを得なかったのは――父上や母上が侵災調伏した事実もなかった事にされたのを受け入れたのは、それが理由か……」


 世間一般には、あの事件はそもそも無かった事にされているものね。


 王族に連なるベルノール家の不祥事。


 男に入れ込んだ次女が家宝を盗まれた結果、封領内で侵災を発生させられた。


 そもそも人が侵災を発生させられるという事自体が、表沙汰にはできない話だもの。


 アルサス陛下のご判断は、間違っていないと思うわ。


「――そんな話をね……あたしはお父様から聞かされて、知っていたのよ」


 と、アリシアちゃんがポツリと切り出す。


「……だからね。だから……アルが一人になってしまったって泣いたあの日に、あたしは決意したの。

 ――まだひとりじゃない。

 あんたにはまだ叔母様が残っているんだって――あたしが逢わせてあげるって……」


 その決意は固く、恐ろしく迅速だったわ。


 イリーナ伯母様の詳細を求めて、我が家を訪れたアリシアちゃんは、お父様に事件の詳細を訊ねて。


 冒険者になって国内を巡るのだと、レイリアお姉様とわたくしに告げた時の思い詰めた表情は、今でも覚えてる。


 ――アルの父親代わりは、ウチのお父さんができるけど、母親代わりができる人はいないでしょ?


 だから、まだ何処かで生きているかもしれないイリーナ伯母様を探すんだ、と。


 アリシアちゃんは出奔を周囲に納得させる為に、より一層、鍛錬に打ち込み、十二歳でお師匠に修了を認めさせるほど必死に打ち込んでいたわ。


 その意思の強さにお師匠までもが絆されて、様々な神器級魔道器を惜しみなく与え、特騎<竜姫>までをも建造するほどだったわ。


「……大伯父様――陛下の仲介で、クレリア姉様を紹介してもらって、モントロープ家の<影>にも助力を受けながら、本当に国内のあちこちを巡ったよ……」


「――私もあの子が生きていると信じて、あの事件からずっと家の者を使って捜索を続けていたのですが、一向に足取りは掴めずにいたのです。

 ですが……」


 クレリア様がアリシアちゃんに視線を向ける。


「うん。アレは本当に偶然。

 ――たまたま立ち寄ったコートワイル領都の外れで、あたしはアイツに出会ったの……」


「……まさか――」


 アルくんが呻く。


「そう。町外れの孤児院に預けられていたカイルに――あたしは出会ったんだ……」

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