第4話 23

「……クリス。悪いけれど、お茶をお願いできるかしら?」


 わたくしはクリスにそう告げて、アリシアちゃんに歩み寄り、椅子に座らせて涙に濡れた彼女の顔をハンカチで拭う。


 これから彼女が語ろうとしている話は、アルサス陛下があの事件の話を含んでいる。


 クリスの事を信用していないワケではないけれど、彼女はローゼス一門の陪臣の<耳>で、わたくしは事件の渦中にあったベルノールの娘。


 あの事件の事は、なるべくなら知られたくないのよ。


「……はい。わかりました」


 クリスもまた独力で侍女長にまで上り詰めた実力を持っているから、わたくしの指示だけでを含む話になるのだと察してくれたみたいね。


 素直に従って、食堂の外に出ていく。


 クレリア様は、王城を脱出する時に、『カイルが王子ではない根拠』をアリシアちゃんが持ち帰ってくれたと仰っていたわ。


 ……となれば、それはきっとに関する話のはず――


 あの人の存在は、我がベルノール家からだけではなく、王国の戸籍からも完全に抹消されているわ。


 だからこそ、クリスには席を外してもらったのよ。


 アルくんも多少は落ち着きを取り戻したようね。


 ――カイルが弟ではない。


 そうクレリア様に告げられた瞬間のアルくんは、見ていられなかった。


 仮面に覆われていない下顔が青を通り越して土気色になるほどに血の気が引いて、荒い呼吸でよろめいて、椅子から今にも崩れ落ちそうだったわ。


 ……城を追われ、自身の身が不髄になるような目に遭わされたというのに――アルくんはそれでも、カイルに――弟という、唯一遺された近しい存在にすがっていたのだと、わたくし達は初めて気付かされたんだわ。


 アルくんは深い溜息を吐いてテーブルに頬杖を突き、硬い口調でアリシアちゃんに尋ねる。


「――おまえが旅に出ようと思った理由って……武者修行じゃなかったのかよ?」


 表向き、アリシアちゃんはそういう理由で冒険者になったのだったわね。


「……あの人の存在はにされちゃってたから、そういう方便を出すしかなかったんだよ

 それに……本当に居るかもわからない人の話で、アルに期待を抱かせるわけにもいかなかったし……」


 グランゼス公爵家直系の姫が動くのだもの。


 バカ正直に目的を告げていたら、貴族達からいらない勘ぐりを受ける事になるわ。


 だからアリシアちゃんは、奔放で身勝手という汚名を被ってくれたのよ。


「……あの人?」


 首をひねるアルくん。


「彼女については私が……」


 と、クレリア様がアリシアちゃんの言葉を継いで話し始める。


 そうね。それが一番だと思う。


 当時はわたくしも物心が付く前で、アルくんやアリシアちゃんは生まれてもいなかったもの。


 対して、クレリア様はあの事件にも関わった当事者。


 ――に関しては、この場では一番詳しく説明できると思うわ。


「アリシアが旅に出た理由は、アルベルト殿下……あなたの叔母――イリーナ・ベルノールを探す為だったのです」


 その言葉に、アルくんは明らかに狼狽したわ。


「――叔母!? いや、母上の兄弟はレイモンド叔父上だけだろう!?」


 アルくんは事実を確認するようにわたくしに顔を向けてくる。


 わたくしは首を横に振ったわ。


「いいえ。お父様には、二人の姉がいたそうよ。

 アルくんのお母様のレリーナ伯母様と、その双子の妹のイリーナ伯母様が、ね……」


「……そんな人が居たなんて、聞いたことがない」


「ええ。あの事件の為に、彼女の存在は戸籍も含めて抹消されましたから……」


 クレリア様の言葉に、わたくしもアルくんに頷いて見せる。


「――あの事件?」


「……殿下も聞いた事がありますでしょう? ご両親――ミハイルとレリーナが駆けつけた、ベルノール辺境伯領での侵災発生事件の事を……」


 ……あの事件の事は、わたくし自身もアルくんに訊かれるまで知らされてなかった話だわ。


 確か幼いアルくんに、サリュートおじ様が侵災調伏の経験を語った事で興味を持って、侵災発生地だったベルノール領出身のわたくしに、当時の事を訊ねたのだったわね。


 わたくし自身、当時の事なんて幼すぎて知らなかったから、アルくんに答える為にお父様に当時の事を訊ねたのよ。


 ――そして、わたくしは伯母様の事を知った。


「……あの事件は、イリーナ伯母様がきっかけとなって引き起こされたのよ」


 だからこそ、彼女の存在はベルノール家はおろか、ローダイン王国からも隠されている。


 いいえ、アルサス陛下のご配慮によって、事件そのものがなかった事にされているのよ。


「――あの侵災を引き起こしたマッドサイエンティスト……当時、奴は大魔道士を名乗ってベルノールに滞在していたのですけど――彼のドニールという男は、その持てる魔道技術と知性をもって、巧みにイリーナに近づいたのです……」


 クレリア様は当時を思い起こすように宙に視線を投げかけて、ゆっくりと噛み締めるような口調で語り始める。


「双子とはいえ、グランゼスから嫁いだお母上の血が色濃く出たレリーナと違って、イリーナはベルノールの血を濃く継いだようで、幼い頃から魔道にのめり込んでいたのです」


 ふっと、自嘲とも取れるクレリア様の吐息。


「だから……あの人がマッドサイエンティストに惹かれたのは、当然だったのかもしれませんね……」

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