第4話 22

「――そもそもの話、俺は別にカイルの事は殺そうとまでは思っていないんだ……」


 テーブルを叩いた為に全員の注目を集めてしまい、俺はやや怯んで声を落として告げる。


「――え?」


 全員が全員、驚きの表情を向けてくる。


「いや、そうだろう? あいつはババアの――いわゆる魔神教育を受けられず、そこをリグルドに付け込まれただけの傀儡……見方によっては被害者だ」


 大侵災が発生したあの日――グランゼス公城で玉座奪還を目指す決意をしてから、ずっと考えてきた事を言葉を選びながら語る。


「実権を握っているリグルドを取り除く為には、カイルを廃位しなければならない。だからそれは絶対だ。

 ……だが、カイルは――あいつは政に関する知識がないだけなんだ」


 俺と対峙した時のあいつの言葉は、決してウソではないと思う。


 ――民の為。


 俺が悪政を敷いているのだ――と、そうリグルドらに思い込まされていたのだとしても、俺を排除して民の為の政をしたいという決意と意思は本物だろう。


 その点に関しては、俺はあいつを評価してるんだ。


 ……なによりも……


「おまえ達が王宮で多大な苦労をし、憤りを感じているのはよくわかっている」


 ――それでも……そう、それでも、だ。


「アレは俺に残された……血を分けた弟なんだ」


 これはずっと考えてきた事だ。


 俺の前に現れるまで、アイツがどんな生活をしてきたのかを俺は知らない。


 だが、生まれてすぐに隠されたというのなら、きっとロクな生活ではなかっただろう。


 アイツの今の治世が間違っているというのなら、それはアイツを隠した爺様やそれに従った連中の責任だし、知識を与えないままにアイツを玉座に着けたリグルドの責任だ。


 だから、俺は侍女長達に頭を下げる。


「……甘い、と思うかもしれないが……

 ――アイツの兄として頼む!

 俺はもう家族を失いたくない……アイツの命だけは助けてやってくれ」


「アルくん……」


 エレ姉が気遣わしげに俺を呼ぶ。


「……アルベルト……」


 マリ姉の鼻声で俺の名前を呼んだ。


「あ、あわ……わわわ……」


 なぜかアリシアは慌てた様子で。


「――は?」


 と、疑問の声をあげたのは、モントロープ女伯だった。


「――は?」


 またなにか言葉を間違えてしまったのだろうか?


 思わず俺は彼女の言葉をそのままオウム返ししてしまう。


「え? だって……え?」


 モントロープ女伯は戸惑ったように、俺とアリシアに交互に視線を走らせる。


「――ア、アリシア。ひょっとしてあなた、あの事をまだ殿下にお知らせしていないの!?」


 問われたアリシアは顔を背けながら、両手で手遊びを始める。


「だ、だって……タイミングがなかったっていうか……きっかけを見計らってたら、大侵災が起きてバタバタしちゃって……」


「む? なんの話だ? おい、コラ。こっちを見ろ」


 明らかになにかをごまかそうとしている時のアリシアだ。


「それにアジュアお婆様もおじいちゃんも、改まって話さなくても、時期が来たら伝える機会も来るだろうって言ってたし……」


 と、ヤツはゴニョゴニョと両手の指を絡ませながら、言い訳を続ける。


「――なら、今がその機会でしょう!?」


 テーブルが叩かれ、モントロープ女伯は声を張り上げる。


 そのあまりの剣幕に、アリシアだけじゃなく、俺もエレ姉達も椅子から飛び上がった。


 ヘッケラー嬢なんて、ビビって半べそになってるぞ……


「モ、モントロープ女伯? なにをそんな……」


 つい先程までの態度がウソのように豹変した彼女に、俺は恐る恐る声をかけた。


「――ヒッ! も、申し訳ありません!」


 途端、彼女はまた俺に萎縮し、顔を青くしたのだが、テーブルを叩いた手をぐっと握りしめると、唇を噛んで俺をまっすぐに俺に顔を向けてきた。


「……アルベルト殿下。恐れながら申し上げます。

 殿下は大きな思い違いをなさっておいでですわ」


 その視線には、確かな決意――それも命をかけるほどの――が見てとれて、俺は居住まいを正して彼女に向き合う。


 きっと彼女は、俺の間違いを正そうとしてくれているのだ。


「……続けてくれ」


「ありがとうございます。では、結論から。

 ――カイルは殿下の弟では、決してありません」


「……は?」


 その言葉に、俺は頭を殴られたような衝撃を受け、思わず間の抜けた声をあげてしまった。


「や……いや、だがアイツは王印を継承していたんだぞ……」


 喉の奥が張り付いてしまったかのように、声がかすれる。


 しかし、モントロープ女伯は感情を抑えた声で続ける。


「……殿下も鬼ババ様の教育を受けたならわかるでしょう? 王印は所詮、後付のしるしです。

 あの者に王印を刻んだ選定の宝珠は、コートワイル家にあったのですよ?」


 俺の仮面に、ババアでさえ目を瞠るような刻印を刻んだのは、コートワイル家――いや、ひょっとしたらマッドサイエンティストかもしれない。


 なら、選定の宝珠だっていじれたとして不思議ではない。


「……失礼を承知で申し上げます。

 殿下は幼くしてご両親を失くされた為、カイルに――唯一の血を分けた兄弟という存在に、目を曇らせていらっしゃいます」


「……だ、だが……ヤツは俺と顔もそっくりで……

 ああ、そうか! おまえ達にとっては、アイツが生きていたら将来への禍根になるもんな。

 ――大丈夫だ。俺がなんとかする。だから……」


 なにか……なにかあるはずだ。


 カイルが俺の弟だという証が……


 そうでないと、俺は本当にひとりという事になってしまうじゃないか。


 アイツがどれだけ俺を憎んでいたとしても、それは仕方のない事だ。


 きっとそうせずに居られないような人生を送ってきたんだろう。


 それでも俺は、アイツが――弟が遺されていた事実に、安堵を覚えていたし、恨まれていたとしても、俺からは憎むまいと思っていたんだ。


 ――ひとり切りじゃなかった。


 そう思う事で、俺はいくらでも耐えられた。


 アイツが王宮で暮らすのに俺が邪魔なら、俺はいくらでも姿を消そうと思っていた。


 なにかの……ほんの些細な違いで、アイツの立場になっていたのは、ひょっとしたら俺だったのかもしれないのだから……


 ……だから!


 だから、アイツがどれだけ愚かだろうと……今は亡き両親に代わって、俺だけはアイツを――


 千々に乱れた思考を映して魔道も乱れ、身体がふらついて視界が歪む。


 ――その時だった。


「――アルベルト・ローダインっ!」


 いつの間にかそばまでやって来ていたモントロープ女伯が、俺の頬を両手で掴んで間近で俺の名を呼んだ。


 彼女は……手を震わせながらもまっすぐに俺を見つめて、さらに続ける。


「目を開き、現実を受け入れなさい、アルベルト。

 ――ローダイン王家直系は……ミハイルとレリーナの子は、誓って――本当にあなたしか遺されていないの……」


 間近にあるモントロープ女伯の両目からは、いまにも涙が零れ落ちそうだった。


「ふたりを失って――祖父といえどアルサス陛下に甘えることもできず……だから、あなたが家族への愛にかつえている事は、よくわかってる。

 ――でも、だからこそ私達王族に連なる者達は――いいえ、私は! レリーナの親友として、それに目が眩んだあなたを、そのままにしておくわけにはいかないの!」


 彼女は俺の頬を左右から挟んだまま、吠えかかるように訴える。


「……アルベルト。いい加減、目を覚ましなさい。

 再び玉座に着くと決めたのでしょう? ならば、あなたは王子として――ローダインの末裔として真実を見極め、公平に判断する必要があるのよ」


「……あ、あのね、アル……」


 と、アリシアが俺の手を握る。


「クレリア姉様の言う事はホント、なんだよ……」


 モントロープ女伯が俺から身を離し、深い溜息を吐いた。


「そもそもあなたがさっさと説明していれば、殿下がここまでアレに入れ込む事もなかったのよ……」

 

 途端、アリシアのヤツが俺の胸に飛び込んできた。


「ゴメン! ごめんね、アル! あたし、何度も話そうとしたんだけど……アルはアイツを弟だって信じてて――アルがおじさま達を失くして泣いてたの覚えてるから……カイルに追い出されたクセに、アルがアイツの事を心配してるのがわかって、あたし、あんたに言い出せなかったんだよぉ……」


「……アリシアも知ってたのか?」


 モントロープ女伯に一喝されて、少しだけ冷静になった頭で、俺は尋ねる。


「ええ。むしろアリシアの帰還で、私達はアレが王子ではないのだと確証を得たのです」


 アリシアが俺の胸からゆっくりと顔をあげる。


 ヤツは涙と鼻水にまみれた顔を袖口で拭うと、深い深い溜息を吐いた。


「あたしが……旅に出ようと思った理由から説明しなくちゃなんだけどね……」

 

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