第4話 20
「――さあ、かけてかけて!」
と、エルザはワシをソファに座らせ、自分も対面に腰を降ろした。
それから彼女は、魔道塔で聖杖を顕現した時のように虚空に手を差し入れ、不思議な光沢を持った手の平ほどの大きさの物体をふたつ取り出した。
「はい、お茶代わりだ」
そう告げて差し出されたそれは、見た目通りにツルツルした手触り。
布のように柔らかいのに、布特有の織り目がまるで見当たらない不思議な素材だった。
透明なその中には濃い茶褐色の液体が入っていて、下の方に親指の爪ほどの物体が沈んでいた。
「……あの、これは?」
「ああ、飲み方がわからない? こうするんだ」
エルザは底に沈んだ物体を指先で押し潰した。
どうやら物体は小さな容器だったようで、二つに割れてその中身を液体の中に放出し――途端、茶褐色の液体に小さな気泡が無数に発生した。
「で、こう」
エルザが物体の上部にある円柱状の部位を捻り、その付け根にあるツマミを左に滑らせた。
空気が噴き出すような音がして、エルザはそのまま円柱部を口に含む。
「ん~! これこれ! やっぱりこれだよねぇ。合成品じゃあ、こうは行かないよ。やっぱり天然モノ……残り少なくなってきてるし、早くプラント造って、量産体制を構築したいねぇ」
ワシは勧められるがままに、エルザの仕草を真似た。
よく冷えた液体が口に流れ込んでくる。
「――む……」
発泡酒のような舌触り。
だが、見た目の苦そうな色味に反して、恐ろしく甘い。
泡の刺激と強い甘みが相まって、素直に旨いと感じた。
知らず、二口、三口と飲み進めてしまう。
「……かつて……」
ワシの反応に目を細めながら、エルザが語りだす。
「――そう。長命種属達ですら生まれていないほどの大昔。
人類起源種がまだホームにあった頃――彼らはこういう炭酸飲料を宇宙でも愉しめないかと、多くの知恵と労力を費やしたそうなんだ。
一時は――当時はこういうパックじゃなく、缶だったそうだけど――これくらいの量を宇宙で愉しむ為に、庶民の年収くらいのコストがかかったそうだよ」
彼女の語る言葉は理解できない単語が多く、ワシは首を傾げる。
「それが今ではたった一〇シーシーで買えちゃうんだから、人の進歩ってすごいよねぇ」
エルザは液体を一気に飲み干し、長いげっぷを吐き出して笑う。
娘の顔で、娘が決してしないような下品なマネをする彼女に、ワシは顔をしかめた。
「おっと失礼。淑女がする行いではなかったね」
と、吸口を咥えたまま告げる彼女に、ワシは首を振る。
「それより早く本題に入って頂けませんか……」
なぜ、貴様はワシの娘の身体に入っている?
……返答しだいによっては……
「やだなぁ、そんな怖い顔で睨まないでおくれよ。
もうすでに説明してるんだよ?」
「今の話のどこが!? ただ飲み物の話をしていただけではないですか!」
ワシの言葉に、エルザは溜息を吐いて首を振る。
「ああ、ゴメンね。君らの常識――この星の文明レベルを考慮してなかった。あと、君自身の知能の低さもか」
「――なっ!?」
ワシらを隔てるローテーブルに両手を着いて身を乗り出したが、エルザは笑みを浮かべたまま人差し指を立ててワシの口を塞ぐ。
「良いかい? わたしが言いたかったのは、こういう事さ。
――人類っていうのはね、大昔から願いを叶える為に多大な労力を払い、やがてその願望を実現してきた……逆に言えば、人が願う事は――想像できる事は、いつか実現されるものなんだ」
と、彼女は咥えていたパックと彼女が呼んだそれを指先で摘み、ヒラヒラとワシに振って見せる。
「コレを作り出したように、ね」
そうしてパックをローテーブルに置き、エルザはワシを見つめる。
「さて、リグルドくん。わたしがいた世界の人類は、そうして様々な願望を実現してきたワケなんだが……多くの人が行き着く、普遍的な願望ってなにか知ってるかい?」
この問いは、ワシにも理解できた。
いや、ワシにとっては恐ろしく身近な話だ。
子供の頃、何度もお祖父様に聞かされている。
――おまえはそうなるな、と戒めを込めて。
「……不老不死、ですか?」
アグルス帝国の天帝は、何代もそれを求め続けているのだと、お祖父様は幼いワシに語っておった。
ワシの答えに、エルザは目を細めて笑みを作り、手を打ち合わせる。
「そう。せいか~い! あらゆる願いが叶うと、人はそれを維持し、あるいはより素晴らしいものをと願うようになるんだよね。
そうして望みだすのは、自分という個の永続――つまりは不老不死ってワケ」
彼女は不意に窓の方――西に指を向ける。
「アグルス帝国って言ったっけ? あそこの王なんか、その典型だね。
旧い長命化装置を改造して、もう千年以上生きているって言ってたよ」
「――なっ!? 天帝陛下は二十年前に代替わりされたはず!」
「そういう設定で、皇子の身体を乗っ取って、生き長らえていたのさ。
ホラ、あの国ってやたら皇子が多いだろう? アレは彼にしてみたら、残機を造ってるようなものなんだ。死にたくないからって、必死すぎるよね」
エルザは口元を手で隠して、天帝陛下を嘲笑う。
そこでワシはふと気づく。
……気づいて、しまった。
「……まさか……あなたは――」
「あ、この話の流れだと、そう思っちゃうよね? わたしも同じ手を使って、アイリスちゃんになったんじゃないかってさ」
「――違うというのか?」
唸るように尋ねるが、エルザは意にも介さず肩を竦めて哂って見せた。
「当たり前だろう? 選べるのなら、誰が好き好んでこんな貧弱な躯体に宿るものか。
たかだか骨折治すのに、デバイスを使う必要があるなんて、前の躯体じゃ考えられなかったよ。
……いや、掌握者リストの中では、こんな身体でも最上位だったんだっけ。娘をバカにしてゴメンね。
でも、安心しなよ。わたしがこうしているのは、天帝くんのとは別の技術だ。
ん~、どう言ったら、君に理解してもらいやすいのかなぁ?
……あたくしはアイリスであって、エルザでもあるって言って伝わる、お父様?」
「――こんな時にふざけて、アイリスの真似をするのはやめてください!」
ワシが怒鳴った途端、エルザは溜息を吐く。
「あ~、やっぱり君、エルザがアイリスの身体を乗っ取ったと考えてたんだ?」
「違うというのですか!?」
「ぜんぜん違うよ。
――言ったろう? アイリスであってエルザでもあるって……
転生って概念なんだけど、わかるかな?」
……それは境界の女神を祀るサティリア教会が伝える、生と死の法則。
いずこかで死んだ者が、まったく別の者に生まれ変わって、新たな人生を営むという――死後の安堵を保障する為の詭弁だ。
「……つまり、あなたはアイリスに生まれ変わったと?
だが、アイリスとあなたは別個に存在していたではありませんか!?
年齢が合わない!」
サティリア教会の教えに従うなら、エルザはアイリスに生まれ変わる事はできないはずだ。
「リグルドくんさ、人の話はよく聞きなよ? わたしは一言も生まれ変わったなんて言ってないよ?
わたしは転生って言ったんだ。
ん~、そうだね、ちょっと良いかい?」
そう言って、エルザは不意に手を伸ばしてきて、ワシの胸に振れた。
……熱いなにかが流れ込んでくる感覚。
「あ、あああ……」
得も言われぬ快感に、ワシの口から吐息が溢れ出す。
「さあ、これで視えるはずだ」
エルザの手がワシの胸から離れる。途端――
「……これは?」
視界の中――そこらに色とりどりに発光して流れる極小の粒が見えた。
触れようと手を伸ばしたが、その光の流れは靄のようにたゆたって、触れられなかった。
「ユニバーサル・スフィア……この星だと霊脈と呼ばれているんだっけ?
――人の魔道器官が発する、魔動の残滓によって織りなされた巨大な魔道回路さ。
人類はね、このユニバーサル・スフィアを無数に――それこそ数え切れないほどに集積して、グローバル・スフィアという
「……霊脈を?」
「そう。通信に使ったり、<
――まあ、それは置いといて、今重要なのはこのユニバーサル・スフィア……霊脈は、記憶媒体として、非常に優れているという点なんだ。
なにせ物質に依らず、人類が存在する場所ならばどこにでも存在するからね」
そう言ってエルザが手を伸ばすと、ワシが触れられなかった光の流れ――霊脈は、まるで引かれるようにまとわりつき、その手の平の上でくるくると渦を巻いて球状となった。
「……ここまで話せばわかるかな?
わたしはね、霊脈に全人格と記憶を常時記録し、躯体――身体を破壊された時に備えているんだ」
パン、と――エルザが両手を打ち鳴らした。
途端、あれほどハッキリと見えていた霊脈が霧散して、影も形も見えなくなる。
「――つまり、ね。
君がエルザと呼んでいた個体は完全破壊され――その際に、霊脈に記録されていたわたしが、たまたまアイリスちゃんのローカル・スフィア……魂に転送保存されたんだ。
だから、わたし――あたくしはエルザの記憶と人格も持った、アイリス・コートワイルってワケなのよ、お父様?」
「――待ってくれっ!!
頭がどうにかなりそうだ!」
大魔道士ドニールが遺した魔道器を解析、研究していた魔道士達によって、霊脈の記録を抽出して過去を映し出す魔道器が生み出されている。
つまり霊脈は、エルザが言う通り記録媒体としても使えるのだろう。
だが、人格や記憶を他人の魂に書き込まれるだと?
「まあ、アイリスとして生きてきた記憶を辿る限り、ここは本当に文明レベルが低いようだからね。すべてを理解しろとは言わないよ」
そう言いながらエルザはソファから立ち上がり、ワシの隣に腰を下ろす。
「……でもね、お父様」
その細く白い手がワシの手に重ねられて――
「わたしはあたくしでもあるというのは、わかって欲しいの。
他ならぬお父様だからこそ……
……だって、お兄様達が亡くなって、もう家族はあたくし達だけなのでしょう?」
その姿、口調はアイリスそのもので……
――そうだ。この子は言っていたではないか。
あくまでエルザの記憶と人格を移されただけなのだと。
元の記憶や人格もまた、まだここにあるのだ。
「……アイリスは……失われていない?」
「――そうよ、お父様!
あたくしが十歳の時に、お父様にプレゼントしたペンを今も大事に使ってくれているのも、ちゃんと覚えてるわ!」
「あああ……」
それはワシとアイリスしか知らない思い出だ。
エルザでは知りようのない、大切な家族の記憶だ!
「――ああ、アイリス! ワシは、ワシはぁ……」
視界が歪み、涙が滂沱となってこぼれ落ちる。
「……大丈夫よ。お父様。あたくしはここにいるわ」
アイリスはワシを優しく抱き締め、耳元でそう囁く。
……ああ、運命を司る三女神に感謝を!
父上……まだ、希望は失われていなかったのです……
――これで、ワシは諦めずに済む……
その心の内での歓喜の言葉に気付かぬまま、アイリスはワシの背を優しく撫で続けてくれた。
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