第4話 19
カイルは祭宮内に設けられた魔道局に運び込まれておった。
一階から最上階である九階までが吹き抜けになって、壁に沿うように螺旋回廊が通された塔内は、内部の精霊を高濃度に保つ為の刻印が内壁にみっしりと刻み込まれている。
そんな魔道塔一階は、様々な魔道儀式を行う為のホールとなっておる。
直径五〇メートルほどの円形となっておって、床一面が組み換え可能な汎用儀式魔芒陣が敷かれておるのだ。
その魔芒陣の中央に、カイルは寝かされていた。
周囲を魔動増幅の喚器杖を手にした魔道士達が囲み、床の魔芒陣が喚起されて虹色に発光しておる。
彼らに魔動の補助を受けて、カイルに治癒魔法を喚起しておるのは魔道局長のノーリス・オルセンだ。
奴は汗がびっしり浮かんだ顔を歪めながら、カイルの身体に治癒光を放つ手をかざしておった。
「……ねえ、お父様。アレはなにをやっているのかしら?」
アイリスの口調で、エルザは心底不思議そうに訊ねてきた。
「なに……とは? 陛下に治癒を施しとるところだろう……」
「あれが?」
そう首を傾げて、エルザは周囲を見回す。
「……お隣の国でも、もうちょっと魔道医療はまともだったはずだけど……
この国が未発達なだけ? 未熟にもほどがあるでしょう……」
と、エルザは呆れたように呟き、ワシの耳元に顔を寄せる。
「あの程度がこの国の魔道士の長だというのなら、やはり任せておけない。
――わたしがなんとかするから、君は余計な事は言わず、口裏を合わせてくれ……」
そう囁くと、エルザはヒールを鳴らして魔芒陣の中へと突き進んだ。
「ア、アイリスっ!?」
ワシもその後を追う。
「あなた――オルセン魔道局長? そのままじゃカイル様は死ぬわよ?」
アイリスにそう告げられて、ノーリスは顔をあげた。
「王妃様、我々は全力で陛下をお救いしようとしているのです。邪魔なさらないでください!」
ノーリスはそうエルザに応え、再び魔法に集中しようとしたのだが――
「そのやり方が間違ってると言ってるの!」
エルザは両手を広げ、必死の表情を浮かべて反論した。
「あなたが今行っているのは、治癒魔法じゃなく陛下の治癒能力を強化しているだけでしょう!?」
「そうです! 我ら魔道士達が一丸となって、陛下の魔道器官を活性化させ、回復力を後押ししているのです!」
途端、エルザは胸の前で両手を組み合わせて上を仰ぎ、その場に跪いた。
「――ああ、神よ! だから、あたくしをカイル様の元へ急がせたのですね!?」
涙までこぼして訴えるにエルザに、ノーリスはおろか周囲の魔道士達まで魔法を止めて戸惑いの表情を浮かべる。
「――コートワイル宰相、王妃様はなにを……」
「む……いや……それが……」
「――神があたくしに、カイル様を救う術を与えてくださったのですわ!」
言い淀むワシの言葉を遮って、エルザが涙を拭いながら立ち上がる。
「……開け、<
聞き慣れない喚起詞を唄ったかと思うと、奴の手が虚空に差し込まれた。
周囲の景色が波打つ。
初めて見る現象なのか、周囲を囲む魔道士はおろかノーリスまでもが目を見開く。
そんな魔道士達の反応など意にも介さず、エルザは差し込んだ手を引き抜いた。
「――これこそ、神がカイル様を救う為に与えてくださった神器……聖杖よ!」
その手には彼女の背丈ほどもある白銀色の杖が握られていた。
魔道に疎いワシだが、杖のその表面に施された刻印が、現在の刻印術では再現不可能なシロモノだという事ははっきりと理解できる。
いや……ミハイルを陥れる際に使ったあの呪具を作った魔道士達なら、あるいは理解できたかもしれんが――ヤツらは、すでにこの世から去ってもらっておる。
証拠を残さん為とはいえ、早まったかもしれん……
そんなワシの内心をよそに、アイリスの姿をしたエルザは周囲に告げる。
「神はこの杖と神々の世界の優れた魔道知識をあたくしに与え、仰ったのです。
――カイル様を救え、と!」
エルザが杖の石突を床に振り下ろした。
乾いた音がホールに響いて、エルザを中心に虹色の波紋が広がり、床の魔芒陣が書き換えられて行く。
描き出された魔芒陣は、元のそれとは比べ物にならないほど精緻で複雑なものだった。
「……目覚めてもたらせ、ビルド・コンバーター」
エルザの喚起詞に応えるように、魔芒陣が虹色に瞬いて、周囲で精霊が純白に発光して舞い踊る。
「お、おお……」
魔道士達が驚愕の声をあげた。
魔芒陣の中央に横たえられていたカイルの身体が浮上し、光の繭に包まれる。
誰もがその幻想的な光景に魅入っていた。
だからこそ、誰も……アイリスの正体を知っておるワシ以外は気づけなかった。
杖を両手で掴んで魔道を振るうアイリスが、愉悦に満ちた表情を浮かべているのを。
――あやつ、なにを……
若い頃に戦時交渉で戦場に出向いた事があるから知っておる。
たかだか骨が内臓に刺さった程度の怪我を治すのに、ここまで大掛かりな魔法は必要ないのだ!
だがこの場に集った宮廷魔道士――とは名ばかりの無能どもは、そんな事にさえ気付かずにエルザが生み出した光景に魅せられておった。
やがてワシらが見ている前で光の繭が解け――カイルの胸に吸い込まれるようにして消えた。
ゆっくりと床に降ろされたカイルの顔色は、先程までの土気色ではなく平時のものに戻っておった。
「さあ、これでもうカイル様は安心よ」
エルザがそう告げると、ノーリスがカイルに駆け寄って、なにか――おそらくは容態を確認する為だと思うが――魔法を喚起した。
そして、ノーリスは目を見開く。
「――治っています。すべて正常に!」
その言葉に、周囲の魔道士達が歓声をあげた。
「意識が戻るまでは安心できないわ。カイル様を寝室に運んであげて」
エルザの言葉に、入り口に控えていた近衛騎士達がやってきて、担架に乗せてカイルを運んでいく。
「――聖女だ……」
魔道士のうちの誰かが呟いた。
「そうだ、王妃様は聖女だ!」
それを聞きつけたのか、別の魔道士が声高に叫んだ。
「――聖女アイリス様の降誕だ!」
口々に魔道士達によって告げられる『聖女』の名に、エルザは満足げな笑みを浮かべて周囲を見渡す。
「いいえ、すべては神の思し召しのおかげよ」
そう言って微笑みを浮かべるエルザに、ワシは言いようのない恐怖を覚える。
なにか取り返しようのない間違いを犯してしまったような、そんな予感がしてならなかった。
「さ、さあ、アイリス。ワシらも陛下の元へ向かおうではないか」
ワシは魔道士達に称賛されているアイリスの手を引いて歩き出した。
「――カイルになにをなさったのです!?」
魔道塔から回廊へと出て、周囲に誰もいない事を確認してから、ワシはアイリスの姿をしたエルザを壁に押し付けて、抑えた声で尋ねる。
「ふふ、わたしがあの子になにかした、と?
安心しなよ。怪我を治したついでに、少しだけ肉体を再構築して強化しただけさ。
――いや、正確には再構築のついでに怪我も治ったんだけどね。
あの子は貧弱すぎるからさ。またわたしの目の届かないところで死にかけられたら面倒だからね」
と、エルザは愉しげな笑みを浮かべて、そう応えおった。
「感謝してよね。これであの子は帝国騎士――ああ、こういう言い方だと、ここではお隣の国だと思っちゃうんだっけ?
ええとね、今のカイルくんは肉体強度と魔道器官だけなら大銀河帝国の騎士並みに強くなったんだ」
――大銀河帝国。
その名は、今は亡きお祖父様から幼い頃に聞かされた事がある。
アグルス帝国の建国神話に出てくる、神々の国の名だ。
帝国を統べる天帝陛下は、その国の皇族の血を引いているのだとか。
「――たぶん今ならアルくんやアリシアちゃんとも、イイ線行けるんじゃないかな?」
そう続けられたエルザの言葉に、ワシは目を見開いた。
「――待て! アリシアは大侵災に呑まれたはずだろう!?」
「やだなぁ、わたしを滅ぼせるようなあの娘が、アレで死ぬわけないだろう? しかもアルくんも一緒にいるんだから、なおさらありえない」
「待て待て待て! アル、だと?」
「そう。君らが追い落とした、前王太子のアルベルトくん。
いやあ、あの子が青の実証実験体だって知ってたら、君らに任せずに直接確保してたのに。教えてくれないなんてひどいよ」
と、エルザはアイリスがよくしていたように、頬を膨らませ、細い人差し指でワシの胸を突く。
「――会ったのかっ!? いや、生きていたというのかっ!?」
「ああ。君の次男を殺したという魔神――アレがアルくんだったのさ」
「――なぁっ!?」
驚愕するワシに、エルザはさらに愉しげに続ける。
「あれれ? 言ってなかったっけ? じゃあ、これも教えてなかったかな? レオニールくんも彼に殺されたんだけど――知ってた?」
「――聞いておらん! なぜ教えてくれなかった!?」
ワシはエルザの肩を掴んで壁に押し付け、あらん限りに怒鳴った。
「だって訊かれなかったし。そもそも君、レオニールくんが死んだショックで、寝室から出てこなかったじゃないか。
いかにわたしが万能を目指す魔道科学の徒とはいえ、顔を合わせなきゃ伝えられないよ」
怒るワシを嘲笑い、エルザは肩を竦めてそう応える。
「ああ、そうだ! ワシは――」
長男、次男を失ったショックで、なにもかもを投げ出してしまっていた。
「クソ! まさか息子達を殺したのがヤツだったとは……」
噛み締めた唇が裂けて、口の中に血の味が広がる。
そこでふと、エルザが先程発した言葉を思い出す。
――わたしを滅ぼせるような……
「――そもそもあなたは、どうして……どうやってアイリスになったんだ?」
「お? ようやくそれが気になった?
いやあ、いつ聞いてくれるか楽しみにしてたんだよね。
せっかくの実験成功なのに、誰にも語る事ができなくて、もうず~っとウズウズしてたのさ!
ふむ、あそこの部屋は今は誰もいないようだから、あそこでゆっくり説明してあげるとしよう。
――さあ、来たまえよ、リグルドくん!」
愉しげにそう告げたエルザは、魔道塔を出る時とは真逆に、ワシの手を引いて近場の部屋に誘った。
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