第4話 18

「――なんだと!? 王宮が!? カイルは無事なのかっ!?」


 その報告を受けた瞬間、ワシが咄嗟に使者に訊ねたのはそれだった。


 侍女長達四人が反逆を企て、カイルを襲撃――その後、王宮内で戦略魔法を喚起して破壊活動を行ったというのだ。


「は、はい! リグルド宰相! や、いいえ、それが……現在、陛下は意識不明です。

 折れた肋骨が内臓に突き刺さっているそうで、現在、魔道局長以下、魔道士達が全力で治癒を施しているところでして……」


 この危急の状況の対処指示を求め、大臣達は慌ててワシに使者を寄越したというわけだ。


「それでなぜ目覚めんっ! 魔道局長ならば骨折などすぐに治せるだろう!?」


「お、お言葉ですが! 現在の魔道局にそれほどの治癒魔法の使い手はおりません!」


 ワシの怒声に萎縮しながらも、使者の男はそう反論した。


「ベルノール派の魔道士は領に引き揚げ、そうでない者は魔道局長――ノーリス殿の指示で、大侵災の対応の為に前線であるローゼス領へと配属されているのです!」


「ぐぅ……あの無能め……」


 政変の際に魔道局長に着いたノーリス・オルセンは、国内の魔道士序列では第二位――前魔道局長であったレイモンド・ベルノールの次ぐ実力の持ち主であるのだが、組織運営に関してはベルノールと比べるべくもないようだ。


「――ワシにはもう、カイルしか残されておらんのだ! ああ、クソ! こんな事ならばワシも登城しておれば……」


 髪を掻きむしってしまった為に、残り少ない毛髪がさらに指に絡んで抜けるのがわかった。


 その時だ。


「……ふむ。あの素体が失われるのは、わたしにとっても少々面倒か……」


 それまで寝台の横の椅子で大人しく話を聞いていたアイリスが――いや、アイリスの姿をした化け物が、ぽつりと小さく呟く。


「……な、にを……」


 ワシの喉から漏れ出た声は、自分のものとは思えないほどかすれていた。


 ヤツは……アイリスの皮を被ったアイツは、以前のアイリスそのままの愛らしい笑みを浮かべて椅子から立ち上がり、ワシの元にやってくる。


「――お父様、陛下の元に参りましょう。あたくしも治癒魔法なら使えますわ。あの方の妻として、微力ながら魔道士様達にお力添えできればと……」


 そう告げてワシを支えようとして見せるアイリス。


「おお、さすが王妃様!」


 ヤツの芝居がかったセリフに、使者は感じ入っているようだ。


 だが、使者から見えていないアイリスの表情は、それまでのものとは違い、暗い愉悦の笑みに変わっている。


「……安心しなよ。あの子はわたしが治してやろうじゃないか」


 そっとワシだけに聞こえるように、ヤツはアイリスの声で――素の口調に戻してそう告げてくる。


「きさっ――」


 と、大きくなりかけた声にワシは歯噛みし、声を抑えて続ける。


「おかしなマネをするつもりではないでしょうな?」


「やだなぁ。おかしなマネってどういう事だい? わたしはあくまで善意で言ってるんだよ?

 ……それともあの子を見捨てるのかい?」


「ぐぅ……助けられるのですね?」


 今、カイルを失う訳にはいかん。


 アレはもはや、ワシと父上の宿願を果たす為の最後の希望なのだ……


「これでもわたしは魔道医学の学位だって持ってる専門家だよ? 即死してないのなら、こんな原始的な場所でだって生かしてみせるよ」


 ヤツはそう告げて、ワシから身を離す。


「さあ、それではあたくしは登城の用意をしてきますわ。

 ――誰か、お父様にも支度を!」


 そう言って退室して行くヤツの後ろ姿は、そうと知らなければアイリスそのものだ。


 王宮にワシとアイリスの登城を報せる為に、使者もまた退室して。


 ひとり残されたワシは、枕に拳を叩きつける。


「――クソっ! なぜこんな事に!」


 噛み締めた唇を噛み破ってしまって、口の中に血の味が広がる。


 王太子夫妻――ミハイルらを亡き者としたところまでは上手く行っていたはずだ。


 いや、いまにして思えば、決してうまく行っていたとはいえないのは理解している。


 前王太子妃――レリーナ・ベルノールがミハイルと婚約するのを防ぐ為、アグルス帝国から流れてきたという大魔道士ドニールを雇い、ベルノールの領都で侵災を発生させてもらったが、ミハイルや当のレリーナに阻まれた。


 ドニールはその際に殺されて、当時のワシはかなり荒れたが、それでも彼が残した高度な――それこそ神器級のものさえあった――魔道器を手中に収められたのだと、なんとか自分を納得させたものだ。


 数ある計画のひとつが潰されたに過ぎないのだ、と。


 ベルノール領での侵災発生は表向きなかった事にされたものの、大魔道士ドニールの存在はミハイルによってアルサス王に報告され、ワシはしばし表立った行動を制限される事となった。


 あの時も、内心でははらわたが煮えくり返る思いだったが、ドニールが遺した魔道器を研究する時間ができたのだと、自分に言い聞かせて堪えた。


 まだ希望は潰えたわけではないのだと、何度も何度もそう言い聞かせた。


 ――だからこそ!


 我が家の魔道士達が、魔道器官に干渉する術を開発した時は歓喜した。


 試作品を庶民にバラまいて実験を繰り返したのだが、それがアルサス王の知る所となり、呪具として禁止令が出されてしまった為、ワシは外務大臣という立場を利用してアグルス帝国に実験の場を移す事にした。


 祖父の実家という伝手を使って、後ろ暗い想いを抱えた帝国貴族達に売り出すと、それはもう飛ぶように売れた。


 魔動の弱い庶民と違い、貴族ならでわの問題点も洗い出す事ができたのは僥倖だったな。


 そうして我が家の魔道士達の呪具開発技術は高められていき―――ついには刻印として、ミハイルの戦面に呪いを……魔道封じを刻み込む事に成功したのだ。


 折よくアグルス帝国が攻め込んで来てくれた時は、笑いが止まらなかった。


 魔道器官を封じられていると知らぬまま、ミハイルは側近を率いて先陣を切り――そして妻レリーナ共々に討ち死にした。


 あの時は本当に、世界がワシを祝福しているとしか思えなかった。


 ミハイルだけではなく、レリーナまでもが死におったのだ!


 幼いアルベルトを遺して!


 あの女の処遇が、当時のワシの悩みだったのだ。


 ベルノール侯爵家もまた、我がコートワイル家同様にかつて王女が降嫁した王族に連なる家だ。


 魔道狂いな彼の家門は、政治にさしたる興味は抱いていないものの、国内の魔道技術を担う大派閥であったため、貴族院における発言力は多大なものがあった。


 レリーナが生きていた場合、実家の発言力を持って王太子は順当にアルベルトのものと主張する――そう思っていたからこそ、レリーナもまた討ち死にしたと聞いた時は、秘蔵の酒を開けて祝ったものだ。


 ワシは派閥の者達と共にアルサス王に申し入れた。


 ――アルベルト王子はまだ幼く、ミハイル殿下の子とは思えないほどに凡才。ゆえに王太子には不適格だ、と。


 議会工作を行い、成人している王族の中から立太子させるべきだという世論も作った。


 父上の悲願を果たす、絶好の機会だと思った。


 当時、成人していた王位継承権者はアルベルトを別とすれば、その筆頭がグランゼス公爵とその嫡男なのだが、当の嫡男――サリュートが、ミハイルとレリーナを守りきれなかったのだ。


 もし二人が挙げられても、その責を追求して追い落とせる自信があった。


 レリーナの弟も王位継承権を持っていたが、当時、ベルノール侯爵家を継いだ際にそれを放棄していた。


 ラグドール伯爵家の当主もまたその権利を有してはいたが、領内に魔境を抱えて魔獣討伐に忙殺されている彼の家が、王太子に名乗り出るとは思えなかった。


 つまり! アルベルトを立太子しないのならば、次の王太子はワシしかおらんかったのだ!


 アグルス帝国の血を引いて生まれたという――そんな些細な理由だけで冷遇されてきた父上。


 王族が、貴族が軽んじてきたその血が、玉座に手をかけるのだと――あの時はそう信じて疑わなかった。


 ――だが……


「――孫可愛さに目が眩んだ愚王め!」


 枕にアルサス王の顔を思い描き、ワシは拳を叩き込む。


「なにが王規に従い、アルベルトを王太子とするだ!」


 ワシを推す貴族院の議決をよそに、あの愚王はみなの前でそう宣言したのだ!


 ……王印の継承こそ、アルベルトが王太子にふさわしい事を示しているのだ、と。


 だが、あの時は引き下がるしかなかった。


 下手に食い下がっては、ワシに叛意ありと見なされかねない。


 王印の継承は、王位継承権よりも優先される絶対的な王権の証なのだから。


 あの時点で、ワシはもはやワシが王位に着くのは諦めた。


 父上の願いを叶えるのは、ワシでなくても良い。


 大事なのは、父上の血がローダイン王家の血脈を染める事なのだ。


 だから、ワシはあの子を――もはやワシに残された、最後の希望であるカイルを使う事にした。


 母親から引き剥がし、我が領の孤児院に預けて、決してその素性が知られんように秘密裏に育てた。


 アレはワシが睨んだ通り、アルベルトそっくりに育ってくれた。


 なにせアレの母親が母親だ。と思っていたのだ。


 問題はどうやって貴族達を納得させるかだったが……そこにあの女――ドニールの師を名乗るエルザが現れた。


 ドニールの魔道の痕跡を追ってやって来たのだと告げたあの女は、しばらくワシの屋敷に滞在し、その間にドニールの記録を――ワシにはよくわからなかったが、霊脈を操作したのだと言っていた――読み取り、なにを思ったかワシへの協力を申し出て、ドニールを凌駕する魔道技術を与えてくれた。


 そうしてワシらはアルベルトに親しい者達を王城から遠ざけ――カイルをアルベルトの前に連れ出したのだ。


 計画は見事に成功した――はずだった。


 あの日、玉座のそばに隠れたエルザによって魔動を阻害されたアルベルトは、カイルに抵抗すらできずに敗れ、我らの派閥の騎士達に取り押さえられた。


 それから二年――ワシはカイルを介して、このローダイン王国を思うがままにしてきたというのに!


「……どこで間違えたのだ……」


 何度考えてもわからない。


 魔神の復活。


 そして大侵災の発生。


 もはや呪われているかのような、大事件ばかりだ。


 挙げ句に息子は二人とも死に、愛しいアイリスまでもがエルザに成り変わられた。


「……おお……カイル……お前だけは……」


 うめくように呟き、そこでワシは気づく。


「そうだ。こうしている場合ではない……」


 あの子の元へ向かわなければ。


 ワシは寝間着を脱ぎ捨て、声を張り上げる。


「――礼服の用意をしろ! 登城する!」


 アイリスの呼びかけによって待機していたのか、ワシの声に応じてメイドが入室してくる。


「ええい、急げ! 髪などどうでもいい! 早く礼服を持ってこい!」


 ……待っていろカイル。


 今、父さんが助けてやるからな……

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