第4話 16
そうしてわたくしはアルくんと再会を果たし、わたくし達とウチューカイゾク――領境砦の防衛隊だったらしい――達との間に生じていた行き違いも解消されて、バートニー村へとやってきた。
そうしてリディアとの再会の挨拶もそこそこに、アルくんやアリシアちゃんを交えてわたくし達が王宮を飛び出すに至った経緯を説明したのよ。
……まさかクレリア様があの時の状況を、お師匠製の映像記録用魔道器で保存してたとは思ってもいなかったけれど。
<影>として活動するのに役立てるようにと、クレリア様が元服を迎えた際、お師匠に贈られたのだという記録器は、霊脈に刻まれた事象を映像として抽出して、最大一ヶ月ほど保存しておけるらしい。
「……そもそもさぁ、兵騎に投げ飛ばしてもらって、村から領境砦まで移動するとか、頭おかしすぎるでしょ」
耳まで浴槽のお湯に沈んで天井を見上げながら、マリエールは蕩けた表情で告げる。
「アリシアちゃんや<竜牙>騎士もできるみたいよ」
「うへぇ……アリシアはともかく、<竜牙>もかぁ……あの人達、ますます頭のおかしさに磨きがかかってるじゃん……」
アルくんの説明によれば、領境砦は現在、わたくし達がウチューカイゾクと誤解した傭兵団――黒狼団とローゼス伯爵騎士団が交代で警備を担っているのだという。
彼らが対処できない脅威がやって来た時には、その脅威度に応じて<竜牙>騎士やアルくん、アリシアが対応するのだとか。
呼び出しの際には、村人達に不安を抱かせないよう「来客あり」とか「お客さん」といった隠語が用いられるのだと、アルくんが苦笑しながら教えてくれたわ。
そういう意味では、黒狼団の脅威認識能力は――あんなイカれた格好をしているのに――恐ろしく研ぎ澄まされていたと言って良いわね。
これでもわたくし達はお師匠の八竜戦闘術を修めているもの。
たとえグランゼスが誇る<竜牙>騎士が相手だろうと、決して負けない自信があるわ。
黒狼団はそれを察したからこそ、アルくんを呼んだのね。
「あいつがあんなおかしな格好してる理由は聞かされたけどさ……それで前より強くなってるのって、理不尽だと思う……」
お湯に顔をつけて、不平と共にぶくぶくと泡を吐き出すマリエールに、わたくしは苦笑する。
「まあ、前のあの子を知ってたらそうよね……」
以前のアルくんは、決して優れた魔道器官を持つわけでも、飛び抜けて武に秀でていたわけでもなかった。
恐ろしいまでの努力でお師匠の鍛錬と教育に食らいついて、ついには八竜すべてを修めるに至ったものの、はっきり言ってミハイル伯父様とは比べるべくもなかったし、なんならマリエールになんとか勝てるかどうかといった所だったわ。
アリシアちゃんとの掛かり稽古では、ほとんど勝てなかったと聞いている。
「でも、マリエール。あなた、アルくんと同じ事をしろと言われてできる?」
クロちゃんの心臓を移植され、乱れた体内の魔道を常に整調して操るなんて――正直、わたくしはできる気がしない。
いいえ、きっとそれができるようになる前に、頭がおかしくなってしまうと思うわ。
魔道の大家ベルノール家の娘として、より深くお師匠の元で魔道を学んだからこそわかる。
身体を常に魔道で動かすという事が、どれほど異常なことなのかということを。
一番近い感覚として、四六時中、兵騎と合一し続けるようなものかしら。
騎士は兵騎を駆る為に、幼い頃から魔道を鍛え、それだけしても数時間の合一で疲れ切って合一が強制解除されてしまう。
全力戦闘駆動なんてしようものなら、普通は一時間も保たないのが当たり前で、だからこそその駆動時間を伸ばす為に、騎士達は魔動の強化に努めるの。
わたくしの問いに、マリエールもまた悔しげに顔をしかめて首を振る。
「……不髄になってしまった身体に絶望して、自分で命を断とうとすると思う……」
自死を望むかはともかくとして、それが常人の発想ね。
そう。普通は降り掛かった状況を受け入れて絶望するのよ。
「……でも、アルくんは違った……」
あの子は、昔からそうだったわ。
ミハイル伯父様やレリーナ伯母様という秀でた両親と比較され、その期待に応えようと努力した。
両親を戦で失って、幼くして立太子された時だってそうだった。
あの子に降りかかる境遇は――本来は恵まれていて当たり前で、誰しもが羨むようなものであるはずの、王太子の人生としては、恐ろしく冷たく、残酷なものばかりで――心を歪めて折れてしまったって、決して不思議ではない事ばかりだった。
だというのに、あの子はいつだって歯を食いしばって涙さえ見せずに、何度だってただ真っ直ぐに立ち上がって見せるのよ。
「……アイツの……ああいうトコは、アイツだけの……誇れる才能よね……」
お湯をぶくぶくと泡立てながら、マリエールがそう漏らす。
「……そうね。それこそがきっと、あの子の……あの子だけが持つ力であり、才能なんだわ……」
誰しもが特異な才能に恵まれたローダイン王族の中で、これといって目立った才能を持たなかった故に、周囲に貶められてきたアルくん。
でも、わたくし達、お師匠の教育を受けた者達はみんな知っているのよ。
アルくんに才能がないからこそ、お師匠はわたくし達以上に苛烈な――それこそアリシアちゃんやロイド様でさえ、半べそで逃げ出すような常軌を逸した鍛錬を彼に課していたことを。
いくらお師匠が頭のネジが二、三本弾け飛んだ思考をしているとはいえ、わたくし達の鍛錬に、霊薬を要するような――それこそ数秒死ぬような過酷なものを課したりはしなかった。
そう。普通は魔道の制御を覚える為に、兵騎や大型魔獣の攻撃を生身で受けたりはしないのよ!
治癒魔法を覚える為に、自分の指を斬り落とさせたりもしないし、攻性魔法の鍛錬に実際にそれを生身で受けたりもしない!
そんな頭のおかしくなるような鍛錬を受けたのは、長いローダイン王族の歴史の中でも、アルくんと彼と張り合っていたアリシアちゃんだけなのよ!
そして、そのアリシアちゃんでさえも紅竜双剣術の皆伝を修めるまでが精一杯。そこで脱落したのよ。
お師匠は、あれだけの鍛錬を受けてようやく人並みかい――なんて言ってたけど、わたくし達、魔神鍛錬修了者は誰もが知っている。
あれだけの鍛錬を受け続け、八竜戦闘術すべてを修める事がどれだけ常軌を逸した事だったのかを。
「ぶっちゃけると、師匠もアイツがあんな風だからこそ、全力で鍛えたんだろうし――私らには最高傑作だって、自慢してたんだろうね」
「――その結果、期せずして
本人はどうやら、今の魔動の強さは彼がファントム・ハートと呼ぶ、クロちゃんの心臓のお陰だと思っているようだけど――あんな高圧な魔動を放つ器官を移植されて、平気でいられる時点で尋常じゃないのよ。
まして、それを常時制御し切っているなんて!
「あの子の人生は、なにかに呪われてるとしか思えないわね……」
確かに以前よりも――マリエールとクレリア様の攻撃をたやすくいなせる程にまで、強くなったけれど。
あの子本来の、王太子という立場を考えれば、そこまでの武を身につける必要なんて、なかったはずなのよ。
「――これも師匠がよく言ってた、『世界の法則』ってやつなのかな?」
「
わたくしはあの屁理屈、好きになれないのよね……」
この世のすべての因果は事前に決定づけられていて、些細な偶然の積み重ねも実は必然として成り立っている――すなわちそこに人の意思や努力なんて関係なくて、世界はただ決められた道筋を辿っているだけという、神々視点の傲慢な屁理屈。
それに当てはめるのなら、アルくんに降り掛かった不幸も、今の状況も、すべてが神々によって定められた脚本通りという事になってしまうわ。
――そんなもの、認めるわけにはいかない。
けれど、マリエールは首を振って。
「うん、私もアレは好きじゃない。そっちじゃなくさ、もうひとつの――なんて言ったっけ……そうそう、
「そっちもどうかと思うけどね……」
人の幸福の総量は決まっていて、幸福と苦難――不幸の振幅差があるだけという理論。
「でも、大きな不幸に見舞われた人はその分、見返りも大きいって分、救いがあると思わない?」
顔をお湯から上げてにやりと笑うマリエールに、わたくしも釣られて苦笑する。
「まあね。その理屈なら、これからアルくんは幸せな事ばかりが続くって考えられるものね」
「でしょ? アイツはずっと大変だったんだもん。少しくらいイイ目を見ても良いはずだよ」
「そうね。あの子がそう感じられるよう――幸せだと思えるように、わたくし達も尽くしましょう」
と、わたくし達がうなずき合った所で――
カラカラと乾いた音を立てて、硝子張りの浴場の入り口が開いて、クレリア様が姿を現した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます