第4話 12

 大人数人が足を伸ばしてくつろげるほどに広い浴槽に注ぎ込まれ、縁から溢れて流れ出るたっぷりのお湯が湯気を放って浴室を白く染め上げている。


 アルくんに案内された大浴場は、王宮にある使用人用のそれと同じくらい広くて、わたくしは思わずため息を吐いたわ。


 王宮の大浴場は給湯の魔道器によってお湯が溜められているだけだから、こんな風に視界一面が白く染まる事はないのよ。


 遅い時間だと、お湯が冷めてしまっている事もあるくらい。


 一方、目の前に広がっている浴室は、地下から天然のお湯を引き揚げて注ぎ込んでいるそうで、常にたっぷりのお湯が使い放題なのだとか。


「ふへぇ……贅沢な話だねぇ……」


 わたくしの後に続いて脱衣所から出て来たマリエールもまた、目の前の光景に驚いたみたい。


 壁際に並んだ鏡の下には、水とお湯を放出する魔道器の蛇口が設けられている。


 それらの前には洗面器が立てかけられていて、腰掛けて身体を洗えるようにという配慮なのか、木製の椅子も置かれていた。


 そして洗面器の横には、お師匠の庵でよく使っていた、シャンプーやコンディショナー、ボディソープのボトルまである。


「……これ……お師匠様、遠慮なさ過ぎでしょ……」


「外でも生活水準を下げたくなかったんでしょうね……」


 まあ、そのお陰でわたくし達は、ゆっくりと疲れた身体を癒やす事ができるのだから、感謝こそすれど不満などあるはずもない。


 ふたりで並んで身体を洗い、それから波々とお湯を湛える浴槽に身体を沈める。


「ふぅ~」


 身体の芯まで染み込むようなお湯の熱さに、思わず吐息がこぼれた。


「――あっ、いちち~」


 と、わたくしと同じように浴槽に浸かろうとしたマリエールが、脇腹を押さえて顔をしかめた。


「んん? まだ痛むの?」


 治癒魔法をかけたのだけど、効きが甘かったのかしら?


「うん、まだちょっと。

 ……ちくしょう、アルベルトめ。ちょっとは加減しろっての」


 唇を尖らせてそう毒づきながら、マリエールはゆっくりとお湯に身体を沈めていく。


「アレはマリエールが――というより、わたくし達が悪かったわよ。

 もうちょっとちゃんと話を聞くべきだったわね」


「――だって、エレ姉さん! アイツ、あんなおかしな仮面着けてるんだもの! しかも空から降って来たし! てっきり親玉が出てきたって思うじゃない!?」


 拳を握り締めて反論するマリエールに、わたくしは苦笑しつつもうなずきを返す。


「まあ、行き違いがあっても仕方ない場面ではあったわよね……」


 わたくし達も王都から徹夜で駆け抜けて来たから、気分が昂ぶっておかしなノリになっていたと思う。


「そうそう。あんな格好した連中が、まさか領境を守る防衛隊だなんて思わないでしょ……」


 マリエールの言う通り、彼らの出現こそが行き違いの原因だったのよね……





 城門すべてが溶け落ち、大橋すらも崩されて王宮は混沌の坩堝と化した。


 誰もが悲鳴をあげて逃げ惑う中、外に向かうわたくし達を阻む者は誰ひとりとしていなかったわ。


 以前の騎士団なら、混乱を引き起こした原因が早急に調査されて、わたくし達に辿り着いたのでしょうけど、今の王宮にそんな判断ができる者はいなかったようね。


 そもそも官位による序列が乱れている所為で、指揮系統がぐちゃぐちゃになっているのだもの。


 騎士だけじゃないわ。


 文官も使用人も、家の力で役職についた者ばかりで――この事態に、彼ら彼女らは部下に指示を出すことなく、我先にと逃げ出したのでしょうね――、本来なら上役が部下を従えて動くべきなのに、彼らはその指示がない為に、好き勝手に逃げ惑っていたわ。


 そんな混乱する王城を、だからこそわたくし達は悠々と抜け出す事ができたワケなのだけれど。


 王都に降りたわたくし達は、使用人達に王都から逃げるよう伝える為に、一度、貴族街で別れ、各々の実家の王都屋敷に向かったわ。


 ローゼス家の陪臣家出身だから、領地を持たないクリスの屋敷の使用人には、ベルノールウチ侯爵領に逃れるよう、クリスに伝えてある。


 同じく、法衣貴族で領地を持たないクレリア様の屋敷の使用人達は、親戚筋の領地に逃す予定みたいね。


 そしてそれぞれが家人を王都を脱出させた後、わたくし達は再び合流してアルくんがいるバートン男爵領を目指した。


 足はクレリア様が用意した魔獣車。


 魔獣化した馬――魔馬は、夜通しアージュア大河河畔街道を駆け抜けてくれて。


 ――が見えてきた頃には、すっかり夜が明け切っていた。


「――クレリア様、エレ姉さん! なんか変なのが見える!」


 御者台かけられたマリエールの言葉に、わたくしとクレリア様は魔獣車の窓から身体を乗り出して前方を見た。


 そうして視界に飛び込んできたに、わたくしとクレリア様は絶句する。


「――なに、あれ……」


 ようやく絞り出した声は、自分のものとは思えなかった。


 草原を貫いて南へと伸びる街道の先――領境となっているはずの森の上にそびえるようにして、東西見渡す限りに漆黒の壁が屹立していた。


 たぶん、王都を囲う城壁より高いのではないかしら。


 それが見渡す限り――わたくし達の行く手を阻むように広がっているのよ。


 こんなことができるのは……


 車内に身体を引き戻し、クレリア様を見る。


 彼女もまた、表情を引き締めて、わたくしを見たわ。


「……この先はチュータックス子爵領、でしたよね?」


 チュータックス領にあんな防壁が築かれているなんて話は聞いたことがない。


「ええ。今の子爵は先代に比べて、ひどく愚かだと聞いているわ」


 その噂に関しては、わたくしも王宮の噂で聞いた事があるわ。


 宰相リグルドの子息であるトランサー伯爵に取り入って、王都で放蕩の限りを尽くしているのだという、すこぶる評判が良くない人物。


 そんな者があんな壁を建造するとは――できるとは思えない。


 と、なれば。


「……アレはマッドサイエンティストの仕業ですね?」


 王城では出てこなかったけれど、わたくし達がアルくんと合流するのを防ぐ為に、ここに来て妨害に出たのだろうか。


「そう考えるのが自然でしょうね」


 クレリア様も同じ考えに行き着いたようで、わたくしの言葉に頷いた。


「――戦闘態勢!」


 クレリア様が指示を飛ばし、窓から魔獣車の屋根に跳び上がった。


 わたくしも車酔いにうめいて横たわるクリスに結界を張って、その後を追った。


「――なにが来ようと、ぶっ飛ばすだけ!」


 マリエールもまた、御者台で斧槍ハルバードを手にして声を張り上げた。


 やがて街道の先に巨大な門が見えてきて――


「――ヒャッハー!! 止まれ止まれぇいっ!」


 赤く染めた髪を真ん中だけ残すという奇抜な格好をした男が、門の前で槍を構えて声を張り上げた。


 男が着ているテラテラとやたら光沢をもった黒いチョッキは、あちこちにトゲが生えていて――


「エレ姉さん、あれってお師匠様が言ってた、ウチューカイゾクじゃない!?」


 マッドサイエンティストはその尖兵として、主にウチューカイゾクと呼ばれる犯罪者を使うのだと、わたくしもお師匠から聞かされているわ。


 彼らは総じて、あんな感じの――やたらトゲを生やした、常人には理解できない奇抜な格好をしているのだ、とも。


「――止まれぇい! ここをタダで通れると思うなよぉ!」


 そう叫んだ、もうひとりの門番も、やはり赤く染め上げた髪をツンツンに尖らせていて、トゲだらけのチョッキに赤い肩当てを着けている。


「――確定ね。マリエール、御者を代わりましょう。先陣を頼みます。

 エレーナは支援を!」


「――はい!」


 クレリア様の指示に、わたくしとマリエールはうなずく。


「――押し通るっ!!」


 御者台に降りたクレリア様に手綱を預け、マリエールが高らかに叫んで魔獣車から跳び出した。


「――目覚めてもたらせ!」


 わたくしもまた、屋根に両足を踏ん張り、魔法を喚起する!

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