第4話 10

 ――ババアや長老達が語るには……


 ヨークス王子が興した傭兵団――<狼の口>団は、魔獣討伐の専門家としてローダイン各地を回っていたらしい。


 拠点を持たず、依頼を受けては各地に出向き、報酬を受け取るとまた次の依頼地に向かう。


 基本的には魔獣専門だったが、過去には侵災調伏を成し遂げた団長もいたらしい。


 その戦力を見込まれて、何度かアグルス帝国との戦に参加するよう、領主に請われた事もあったそうだが、初代団長であるヨークス王子が定めた「大賢者に救われ、育まれた我らの力は民の脅威にのみ振るわれるものである」という掟により、<狼の口>団は人との争いには決して参加しなかったそうだ。


 そうして<狼の口>団――ヨークス王子の一族は、決して歴史の表舞台に上がる事なく、まるで贖罪のようにひたすら庶民の刃として働き続けたらしい。


 そんな<狼の口>団だったが、リディアの祖父――先々代バートン男爵ヨウラン殿が団長に就任した頃、ひとつの選択を迫られる事になったそうだ。


 ヨウラン殿の父を含む団の主力陣が、国境近くで行っていた魔獣討伐任務の最中、侵攻してきたアグルス帝国兵に急襲されて壊滅させられたらしい。


 ヨークス王子の掟を頑なに守り、襲い来るアグルス帝国兵に防戦を貫いた結果だったという。


 父の急逝を受けて団長を継いだヨウラン殿は、当時若干十八歳――今の俺と同じ年だ。


 その年齢で、傭兵団としての主力を失った一族――およそ四百人を背負って、今後、どうやって生きて行くのかという、重い選択を迫られたヨウラン殿は途方に暮れていたそうだ。


 爺様やババアが、<狼の口>団の事を知ったのは、そんな時だった。


 ヨウラン殿の父達は、アグルス帝国兵に急襲されつつも、依頼主である近くの村を守り切っていたのだという。


 彼らがその地でアグルス帝国兵の侵攻を食い止めてくれたからこそ、領騎士団の派遣が間に合ったのだ。


 主力が壊滅してもなお村を守り切った傭兵団の話は、やがては王都の爺様の耳に届き、爺様は褒賞を与え――可能なら叙爵して国に仕えさせようと、使者を送ったのだという。


 だが、ヨウラン殿は何度使者が訪れても、国に仕える気はないと頑なに拒んだそうだ。


 長老達が言うには、ヨウラン殿は祖先の贖罪が済んでいないのに、国に仇なした自分達が、国の世話になれるはずもないと考えていたらしい。


 団の戦力を壊滅させられているにも関わらず、なお頑なに国からの褒美を受け取ろうとしないヨウラン殿に、爺様はだからこそ強く惹かれたそうだ。


 当時は爺様も即位したばかりの頃で、信頼できる人材を求めていた為、権威になびかないヨウラン殿を好ましく感じたようだ。


 だから、爺様が城を抜け出して直接赴いたのは当然の成り行きで。


 興味を惹かれたババアもまた、その護衛と称して爺様に同行したんだそうだ。





「――いやあ、あの時ゃ驚いたよ。

 まさかヨークスの子孫が純血を保ったまま、あんなに増えてるとは思いもしてなかったからね」


 ババアが扇子で口元を隠しながらそう告げると、ゴリ爺様は神妙な顔で頷いた。


「父祖ヨークス様が定めた掟は、決して他国の血の入った者を一族に迎えぬようにとありましたので、我らはその掟を守り続けて来たまでです」


 それはヨークス王子がババアの元で学んだ知識を元に定められたもので、大枠は王族がババアに教育されるものと同じものらしい。


「それを守って、一族滅亡の憂き目に遭ってんだから、バカな子達だよ」


 と、ババアは寂しげな笑みを浮かべて鼻を鳴らす。


 爺様とババアが<狼の口>団の野営地に赴いた時、団は老人と女、そして幼い子共達ばかりで、働き盛りの男はほとんど失われていたのだという。


 もはや傭兵団の体を成していない流浪の集団。


 それでもヨウラン殿は、一族の長として一族の力だけで生き延びる術を模索していたらしい。


「だから、あたしゃあの頑固者に言ってやったのさ。

 これまでの――民の為にと生きてきた一族の働きを以て、ヨークスの父が成した罪を赦す、とね」


 それは他でもない――彼の愚王を廃したババアだからこそ言える言葉だ。


「……今でもはっきりど思い出せるんず。ヨウおじちゃんが泣ぐどご見だのは、わたし、初めてだったはんでな……」


 シノ婆が目元を拭いながら呟く。


 俺には想像しかできないが……そりゃあ嬉しかっただろう。


 一族が代々背負って来た業を――誰からも省みられることもなく、この先も続くと思っていた贖罪の日々が、それを課した当人によって終わりを告げられたのだから。


 きっと……報われた、と。


 連綿と贖いの人生を続けてきた祖先を、ヨウラン殿は誇らしく思えたに違いない。


 それを想像して……俺は目頭が熱くなるのを目を伏せて堪えた。


「……お祖父様……」


 初めて聞く話なのだろう。


 俺と同じく当時に思いを馳せているのか、リディアの目元が涙に濡れている。


「そんなやりとりがあって、ヨウラン殿はようやくアルサスから褒美を受け取る気になってね」


 その褒美というのが、男爵への叙爵と新恩給与――領地の下賜だ。


 本来は<狼の口>が守ったチュータックス領の一部が割譲される予定だったそうで、当時のチュータックス家当主も<狼の口>団の行動に恩義を感じ、同時に多くの犠牲者を出してしまった謝罪も込めて、それを希望していたそうなのだが、どこまでもヨウラン殿は高潔な人物だったようだ。


 ――それならば未開の地である、チュータックス領の西の土地を開拓するので、その支援をしてください。


 ヨウラン殿は、爺様やババア、チュータックス当主にそう告げたのだという。


 それは血脈を守る為という思惑もあったのだろうが、きっとすでにその地で暮らしている民の生活を混乱させたくないという想いもあったのだと思う。


「……バートン領の成立に、そんな逸話があったなんて、わたし知りませんでした」


 リディアの言葉に、三長老がしわくちゃな顔を綻ばせる。


「ヨウおじちゃんが言ってだんだ。

 先祖の罪がもうねぐなったんだば、これ以上、子に罪の記憶を引き継ぐべきじゃねってさ」


 シノ婆の言葉に、リグ爺とゴル爺様がうなずく。


「あん時わらす子供だった、ぉわんどワシらおべじゃばって覚えてるけどほんど本当はこのまま黙って墓まで持ってぐつもりだったんだ」


「掟も、ヨウさんが領主になってこの村造った時に、たげだいぶ緩くしだんだ。

 ワシわらす子供の時だっきゃ、のっつものすごい鍛錬で戦闘術だの叩き込まれだんずや」


 ああ、道理で長老達は、老人とは思えない膂力なわけだ。


 あんな小柄なシノ婆でさえ、騎士並みの腕力持ってるもんな……


「長老方、ひょっとして村のみんなが優れた肉体性能を持っているのは……」


「ああ、遺伝だべな」


「んにゃ、体操が利いでんじゃねが? あれ、開拓するのにわらす子供の時分がら身体鍛えられるように鍛錬の型を簡単にしたって、ヨウさん、喋っちゃっきゃ」


「霊脈を農地に引き込んだのが良がったんじゃね? あれがら病にかかるわらす子供減ったべさ?」


 お、おう……城の騎士や魔道士が聞いたら跳び上がって驚きそうな事を、長老達が当たり前の事のように言っている……


 思わずリディアに顔を向け、長老達を指差したが、彼女は困ったように首を振って。


「ええ。正直、わたしも王宮に上がるまでは、自分の体力が人より多いとは思っていませんでしたし、霊脈の流れくらい、どこの領でも操作していると思っていたのです」


 恐らく<狼の口>団は閉鎖的な環境を維持してきたからこそ、ヨークス王子がババアから教わった技術や魔道を現代にまで受け継げたのだろう。


「まあ、そんな連中が領民だからこそ、あたしとアルサスはゆくゆくはバートン家を陞爵して、南の辺境伯にしようと考えてたのさ」


 と、ババアは閉じた扇子で口元を抑えながら、満面の笑みでとんでもない事を告げる。


「はあっ!?」


「――は、初耳です!」


 俺とリディアは驚きの声をあげた。


「そりゃ、外じゃ言ってないからね。すぐって話でもなかったしさ。

 <狼の口>壊滅以降、アグルスは南回りルートを使う事がなくなったけど、長期的に見たら備えるべきだろう? いずれはって話しさ」


 そうしてババアは喉を鳴らして笑い、扇子で村に張り巡らされた灌漑をぐるりと示す。


「そもそも考えてごらんよ。いかに王太子のお気に入りの領地の話とはいえ、いち開拓領の利水事業にガキが口出しして、わざわざ王が貴族院を抑え込んで裁可を下すものかい?

 アルサスはそこまで孫に甘いのか?」


「爺様がそんな人なら、俺はもっと甘ったれに育ってただろうな……」


 つまり爺様は、元々この地に気を配っていたのだろう。


 利水事業の必要性を感じつつも、貴族院の目があって表立って支援できずにいたところに、俺がバートン男爵と出会い、珍しくゴネたものでこれ幸いと乗っかったってワケだ。


 いずれ、この地を我が国の南の要衝とする為に。


「さて、バカ弟子の話はさておき、だ」


 ババアは再び三長老を見回す。


「あんたらが掟を大事に思っている事は、よぉっくわかってる。でも、あたしからも頼むよ。どうか難民達を受け入れてやっちゃくれないか?」


「お、あ……頭をお上げ下さい!」


 ぺこりと頭を下げたババアに、長老達は慌てて声をあげた。


「他のみんなも頼むよ。あの子達はさ、この国の為に棲み家を捨ててくれた者達なんだ。

 だから……せめてちゃんとした暮らしをさせてやりたいじゃないか……」


「みんな、わたしからもお願い!

 グランゼス領から逃げ出す時、わたし、騎士の皆さんには魔物から守ってもらって、本当に良くしてもらったの!

 それにローゼス領はイライザの実家がある領地よ! バートニー芋でローゼス商会には、みんなもお世話になったでしょう? いま、恩返ししないでどうするの!?」


 リディアもババアに並んで頭を下げた。


「俺からも頼む。俺を受け入れてくれたように……」


 俺もまた、みんなに向けて頭を下げれば……


「……な、ジジババよぉ」


 ゴリバ爺が長老達の横にしゃがみ込んで、声をかけた。


「さっきおめだづ、先々代が喋ってだつってたべ? 子に罪を負わせる必要はもうねってさ」


 ゴリバ爺は、漁師らしいたくましい腕を持ち上げて、短く刈り込んだ頭を掻いて苦笑を漏らす。


あんただづがそう思っで黙ってけでらはんで、は先祖の罪だとか知らずに育ってこれたんだ」


 シノ婆の肩を叩き、感謝を表すようにゴリバ爺はうなずく。


「おかげではよそ者がそったにイヤってわげじゃねえ。干物売りにチュータックス領都に行く事もあるしな。

 だはんでリディアやアル坊がこったに頼むんだし、よそ者だって別に受け入れてもえんじゃねがって、思うんだばって……」


 ゴリバ爺はそこで長老達の後ろ――村人達の顔を見回した。


「――なんどおまえ達はどんだば?」


 ゴリバ爺に訊ねられて――


やんず親父に賛成だ」


 と、真っ先に立ち上がったのは、ゴリバ爺の息子――ダグ先生の父タウスだった。


「魔道器の鳥が届けでけだダグの手紙で、グランゼスの騎士にたげすごく世話になったって書がれじゃしな」


「僕も息子を――ルシオを無事に連れ帰ってくれた彼らに恩返ししたい」


 そう言ってタウスに続いて立ち上がったのは、ルシオの父、狩人のロディだ。


「食料なら、僕が頑張って大型の魔獣を狩ってくるからさ、受け入れてやろうよ」


「じゃあ、まま料理支度はあたしら女衆の役目だべね?」


 と、マチネとシーニャの母、エーリャが腕まくりしながら立ち上がり、女衆がそれに賛同して立ち上がる。


 それから村人達は口々に自分が担当する仕事を挙げながら、賛成を口にして立ち上がってくれた。


 そんな光景を眩しそうに見つめる長老達に、ゴリバ爺は再び語りかける。


わんど俺達がこういう風にできるのも、なんどあんた達わんど俺達を正しぐ導いてけだはんでだ。

 ――人の為にできる事しろってさ」


「ああ、んだったな……んだったじゃ……

 これも時代なんだべな……」


 長老達は長い……本当に長い溜息を吐いて、ババアに頭を下げる。


「大賢者様。我らはお召しに従い、難民達を受け入れ及び生活基盤の構築に協力致します」


 声を揃えてそう告げて。


 老人達は年齢を感じさせない流れるような動きで立ち上がり、賑わう村の衆達に振り返る。


「へば、おめだづは受け入れの用意だ! 宴の用意すっべ!

 何人が付いで来へ! 寝床用意してやんねばまねべ!

 他所様泊まらせるんだはんで、めぐせえ恥ずかしいフリこげねまねできないぞ!」


 最長老のゴル爺様の号令に、村人全員が拳を突き上げて応じる。


「……なあ、リディア」


 その光景に、俺の視界が涙に揺らいだ。


「はい」


 短く返事するリディアは、もう涙を溢れさせていた。


「俺、この村に来れて……ええと……」


 ……うまい言葉が見つからない。


 いや、ちがう。こういう時は下手に飾らなくて良いのだろう。率直な言葉を言ったって誰が咎めるというんだ。


「――俺、この村が本当に大好きだ!」


 その言葉に、リディアは一瞬、目を丸くして――


「ええ。村のみんなはわたしの自慢なんです!」


 そう言って涙に顔を濡らしながら笑うリディアは、月明かりに照らされて本当に綺麗だと思った。


「――よーし! 場所空ける為に、ん家とフォルん家の辺り、ぶっ壊すべ! あどで新しぐするはんで良いやな?」


「おう、やれやれ! 誰が、酒蔵から樽もってこい!」


「かまど組め! おう、ロディ! おめ、ちょっと今から肉取って来いじゃ! 焼き肉にするべ!」


「うん。難民のみんなが集まる頃には、戻るね」


 などなど――いざ動き出してしまえば、バートニー村の民は恐ろしくノリが良いんだ。


 月明かりの下、リグ爺に率いられた男衆が大槌を奮って、家屋を吹っ飛ばすのが遠目に見えた。


 そんな光景を目の当たりにして――


「んん? ぶっちゃけ今の段階でも十分、辺境騎士団作れるんじゃないかい?」


 ババアが驚いたように呟いたのが印象的だった。

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