第4話 9

 エレ姉達の来訪を知らされたのは、昼食休憩を終えて、午後の作業に取り掛かろうとしていた時だった。


 現在、バートニー村の南部には、グランゼスやローゼスから逃れて来た領民を受け入れる為の街が築かれてる。


 騎士達を総動員して兵騎で森を切り拓き、徹底的に地面を均した。


 グランゼスの騎士は臨戦即応の為に、陣地構築を訓練に組み込まれているから、開墾や整地はお手の物だ。


 ローゼスの騎士もまた、日頃から戦時想定で物資運搬に重点を置いた訓練をしていたそうで、切り倒された木材の運び出しなどで活躍してくれた。


 そうそう。ローゼス騎士と言えば、彼ら独自の装備には驚かされた。


 兵騎用の荷車なんてのがあったんだ。


 鉄製で強化刻印の施された頑丈な造りで、雨天に備えて屋根まで備えた――ちょっとした小屋くらいもある大きな八輪車だ。


 兵騎二騎で牽くこの荷車を使って、ローゼス伯爵は多くの領民や物資を領から持ち出していた。


 元々ローゼスは、グランゼス辺境伯領がアルグス帝国に侵攻された時に備えて、普段から多くの備蓄を保管している。


 大侵災対策にやってくる騎士達の為に一部は残してきたそうだが、それでも伯爵が持ち出してくれた物資は、逃れてきたグランゼス、ローゼスの領民達の生活を十分に賄えるほどだった。


 兵騎に牽かせる車――騎車の運搬力は目覚ましいものがある。


 いずれ様々な分野に応用が利きそうだから、落ち着いたら量産させたいと強く思った。


 なんせ馬車より早く、大量の荷を運べるからな。


 しかも兵騎が牽くから、賊に襲われる可能性まで抑えられる。


 そんなわけで、現在、バートニー村の南の森は、恐ろしい勢いで切り拓かれて行っているところだ。


「――しっかし、長老達がババアと顔見知りだったとはなぁ……」


 新たに造っている街の建築物配置図や計画書の束を手にあぜ道を歩きながら、俺はひとり呟く。


 そう。今回の両領民のバートニー村への退避を決めたのは、ババアなんだ。


 当初、俺と大叔父上は一時的にローゼス領にグランゼス領民を退避させ、ローゼス伯とともに王都に領民達を逃そうと考えていた。


 だが、ババアはそれに待ったをかけ、バートニー村行きを主張した。


 あの面倒くさがりのババアが、率先して先頭に立って進み、大隧道トンネルまで掘り抜いたのには、ババアの教育を受けたみんなが驚いたよ。


 そうして俺は、一月前の――村に辿り着いた晩の事を思い出す。




 俺達が隧道トンネルから抜け出た時、時刻は夕方で空は茜色に染まり、周囲の強い緑の香りに混じって、村々から夕食の匂いが漂ってきていた。


 人口数十人のバートニー村に、いきなり延べ三万の避難民達を立ち入らせるわけにもいかず、とりあえず俺とリディアで事情説明の為に村に向かおうとしたのだが、それに同行を申し出たのがババアだ。


「ひょっとしたら、あたしの顔が利くかもしれないからね」


 万年引き篭もりがなにを――そう思いはしたが、激しい戦い直後に始まった強行軍で疲れていた俺は、ババアの戯言に付き合うのも面倒臭くて、好きにさせる事にしたんだ。


 俺達は村の中央にある集会所に向かった。


 急ぎで寄り合いを開きたい時の為に、集会所の入り口には呼び出し用の鐘が吊るされていて、それを叩けば村人達がぞろぞろと集まってくる。


 夕食前の時間帯だったから、全員、家に居たらしい。


 いつもの呑みの誘いと思ったのか、ゴリバ爺なんて酒樽を抱えてきている。


「おろぉ、リディアとアルでねが。帰って来てらんだが」


 ゴリバ爺同様、シノ婆もまた突発の呑み会と考えたらしく、バートニー芋の煮込みを入れた大鍋を持参していた。


 というか、この村の老人達は酒好き過ぎるのだ。


 人口が少なく、集会所の鐘を鳴らせばすぐに全員が集まれるもので、さした理由もなく毎日のように誰かが鐘を叩いて呑み会を始める。


「あ、わがった。土産あるはんで、それであづめだんだべ? 頼んどいだりんご酒、買ってきてけだが?」


 と、顔を綻ばせながら訊ねるシノ婆。


 よくグランゼス領の特産品がりんご酒だと知っていたものだと、場違いにも関心する。


「う、うん。後で持ってくるけど、シノお婆様、それにみんなも。まずは話を聞いて欲しいの」


 そうしてリディアは、グランゼス領であった事や難民達が裏山で待っている事などを簡潔に説明した。


「それで、できれば大侵災が調伏されるまで、みなさんを村で受け入れてあげたいの」


 村人達を見回しながらそう願うリディア。


 けれど、彼らの表情はあまり好意的なものではない。


「今はおめおまえが領主だはんで、おまえがそう決めんだば、わんど自分達は従うしかねんだばってよ……」


 ワイン瓶を手にしたリグ爺が、刈り込んだ短髪を掻きながら静かに告げる。


「でぎれば、離れだとごでわんど自分達と関わらずに暮らしてもらえねべが……」


 懸念していた事が現実になり、俺は唇を噛み締めた。


 以前、行商に来ていたエールズから聞かされていたのだ。


 この村は、基本的に善人の集まりなのだが、よそ者にはひどく排他的なのだと。


 なんでもエールズはバートニー村をひどく気に入っていて、金が溜まったら村に店を開きたいと打診した事があるそうなのだが、きっぱりと断られたらしい。


 普段の様子からは考えられないほど、冷たい表情と共に。


「それは……受け入れる事は難しいという事だろうか?

 俺としては、みんなが俺を受け入れ、この地での生き方を教えてくれたように、彼らの事も受け入れて欲しいのだが……」


 彼らの優しさを、暖かさを俺はよく知っている。


 城を追われ、誰も信じられなくなっていた俺の心を解きほぐし、もう一度、人を信じても良いと思わせてくれたのは、他でもないこの村のみんななんだ。


「頼む、俺にくれた優しさを――彼らにもかけてやれないだろうか?」


 俺はみんなに向かって頭を下げる。


 生活基盤はババアが整えると請け負ってくれていたし、ローゼス領からの物資もある。


 だから難民達は、しばらくは暮らしていけるだろう。


 だが、この地で長く暮らしていくのなら、農業ひとつとっても、土地の性質が難民達の暮らしていた地とは異なるのだから、どうしたって村人達の協力――知恵が必要となるはずだ。


 と、シノ婆がポツリと呟いた。


「……おめおまえはさ……アルはローダインの王族だはんで受け入れたんだ」


「――っ!? 気づいてたのか?」


 思わず顔をあげてシノ婆を見れば、シノ婆と並んでリグ爺も、最長老のゴル爺様も申し訳無さそうに表情を曇らせながら、頷いていた。


「年とってらはんでむがしみてぐ、見だだけだばもう気づげねくなっちゃばって、今でも触れば、ぉわんど自分達も魔動はわがるんだ。

 勇者アベルがら続く、ローダインの白――自分達んどとふとづ同じだべ」


 ゴル爺様の言葉に、俺は思い出す。


「……そういえば、ダグ先生やマチネも白の魔動……ひょっとしてこの村は……」


「え? え? 長老様達、どういう事なの?」


 リディアはなにも知らされていないのか、戸惑ったように訊ねた。


 と、そこに。


「ようやくそこに話が行ったか。どう切り出したものか思案していたんだがね」


 ババアがそう言いながら、俺を押し退けて長老達の前に出る。


「久しいな、小僧達。最後に会った時は、ダグ達くらいのガキだったのに、ずいぶんとしわくちゃになっちまったじゃないか」


「――はあっ!?」


 ババアの言葉に、俺は思わず驚きの声をあげた。


 一方、長老達もまた、シワだらけの顔に驚きの表情を浮かべ、いつもは開いているのかも怪しい細められた目を、目一杯に見開いていた。


「――お、おお……大賢者様っ!? そんな……あの頃とまるで変わらぬお姿で……」


 ……三人の長老達が中央言葉を話しているのを見るのは、村に流れ着いてから初めての事だった。


 その場に跪く三長老に、後ろの村人達が顔を見合わせる。


「な、なあ、ゴル爺よ。大賢者って、わらす子供の時にしかへで教えてくれた、お伽噺のアレか?」


 ゴリバ爺が戸惑いの表情で訊ねる。


「――さすねぇうるせえ、クソわらすガキがっ!! 様ぁつけろじゃ!」


 直後、ゴル爺様は騎士もかくやという速度で跳び上がり、ゴリバ爺の頭を打ち抜いた。


 派手な炸裂音が周囲に響き、ゴリバ爺が地面に叩き伏せられる。


「――なんどおまえ達も、なおりひざまずきへ! この御方は、わんどわたし達の大恩人なんだよ?」


 シノ婆の指示に従って、村人達もまた長老達の後ろに跪く。


「……ババアが村の恩人? どういう事だ?」


 俺はリディアに訊ねたが、彼女もまた知らないようで首を横に振った。


 まあ、リディアが知っているのなら、ババアを紹介した時になにかしら反応しているよな。


 だから俺は、リディアからババアに視線を向ける。


 ヤツは扇子を取り出して、口の前で広げながら笑みを浮かべていた。


「……おい、説明」


 その脇腹を肘で突けば、ババアは愉しげな笑みを浮かべてうなずく。


「――おまえも歴史で知ってるだろう? かつて、あたしの教育を受けずに育てられた為に、愚王の烙印を押されて処刑された王がいる事を……」


「――まさか……」


「そのまさかさ。ヤツ自身はどうしようもないクズだったがね、幼い子供にまでその責を負わせるべきではないだろう?

 だから、あたしが預かって育てあげ、時期を見て世に送り出したのさ」


 ババアの言葉を引き継ぐように、三長老が顔をあげて唄うように告げる。


「はい! 我らは大賢者様に救われし、彼の王子――ヨークス様の末裔にございます!」


「――はあっ!?」


 再び俺の驚愕の声が周囲に響く。


「そうそう。アイツ、血統と伝統を守らなかった親の事をずっと悔いてたみたいでね、冒険者として国内を回っていたようなんだけど、子孫にずっと血統を守るように伝えていたみたいなんだよ」


「やがて一族は大所帯となり、傭兵団を結成し、長く国内を巡っていたのです」


 ゴル爺様がババアの言葉を引き継いで、そう説明する。


「もうかれこれ、五十年ほど前になるかい?

 やたら強い傭兵団がいるって、アルサス――お前の祖父に聞かされてね。しかも白の魔動持ちだっていうんで、あたし自ら会いに出向いたのさ。

 ――その傭兵団の長をしてたのが、初代バートン男爵……リディアの祖父ってワケだね」


 なんでもない事のように告げられる、とんでもない真実。


「希望するなら、直系のリディアはあたしの教育を受ける権利もあるよ?」


 だというのにババアは、俺達が驚くのを面白そうに見つめながら、そんな風に言ってのけるのだった。

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