第4話 8

 ホロウィンドウに似た光板に、俯瞰で映し出されたローダイン王城。


 その内宮五階の壁が、内側から灼熱して膨れ上がり、しゃぼんが弾けるようにして吹き飛んだ。


 そこから溢れ出すのは黄金色をした魔法の奔流――法撃だ。


 いや、<竜咆ドラゴン・ブレス>にも匹敵するアレは、もう咆撃と言った方が良いかもしれない。


 廊下の壁から噴き出したそれは、城の主塔ほどの太さに膨れ上がって虚空を突き進む。


「……屋内で攻城級の戦略魔法を使うとか、エレ姉ってば、相変わらずぶっ飛んでんね!」


 バートン男爵屋敷の応接室。


 そのソファで俺の隣に座るアリシアが、正面のソファに座るエレ姉に向けて心底愉しげに親指を立てた。


「――だ、だって、クレリア様がやれって! 全力出しても良いって~」


 エレ姉は眉尻を落としながら、困ったように反論する。


 そんなエレ姉の横で洗練された所作でお茶を愉しんでいたモントロープ女伯は、エレ姉の主張に頷きをひとつ。


「ええ。正直、私の想定ミスです。

 エレーナが大魔道級の魔道士なのは聞かされていたのですが、まさかあれほどまでの法撃を喚起できるとは思ってもいなかったのです」


 そう言いながらカップをソーサーに置いた彼女は、頬に手を当てて溜息を吐く。


「てっきり、鬼ババ様のいつもの弟子自慢で、大げさに話を盛ってるのかと思っていたのですわ。

 そしたら……」


 彼女が指差した光板の中で、内宮から伸びた光の柱はひどくゆっくりと――まるで周囲にその姿を見せつけるかのように、くねり、のたうちながら外宮の屋根を飛び越えた。


 まるで光の蛇のようだ。


 本来ならアレは、しっかりと鍛えられた騎士でさえ回避できない速度を持つ魔法なはずだ。


 それをエレ姉は恐ろしいまでの魔道制御で、あんな風に――馬が駆ける程度の速度まで減速しているんだろう。


 そのまま法撃は内宮の屋根から急降下し、主門をまるごと呑み込んだ。


 主門は灼熱して溶け落ち、左右の城壁もまた崩落していく。


 光の蛇が直角に東に折れた。


 ローダイン王城は外宮の南に築かれた一番古い主門から順に、四つの門と城壁を持っている。


 主門から外側は、アグルス帝国が侵略して来るようになってから、歴史と共に建て増ししていったものなのだが、戦を想定して建てられている為、各門はまっすぐ繋がってはおらず、第三門は東に、第二門は西に、そして一般に正門と呼ばれている第一門は、再び南に――というように、遠回りになるように配置されているのだ。


 エレ姉の魔法は、城壁と城壁の間を走る回廊を舐めるように突き進み、それらの門を内側から順に呑み込み、溶かし落として行った。


 王城の顔として、一番大きく頑丈に造られていた正門だったが、エレ姉の魔法の前には飴細工のように、またたく間に溶け落ちて、俺は思わず顔を覆って溜息を吐く。


「――五代前の王が、当時の建築技術の粋を凝らして造らせた門だぞ……」


 王の存命中に完成できず、次代になってようやく完成したという大工事だったと聞いている。


 確かに門の内側から法撃されるなんて想定していないから、外側と違って防護刻印も刻まれていないとはいえ、だ。


 物理攻撃なら、騎士が駆る兵騎の一撃にすら耐える大門扉があんな風に溶け落ちるなんて、誰が思う?


 俺がうめく間にも、光板の中ではエレ姉の魔法が正門跡地でぐるりととぐろを巻いたかと思うと、金色の光球となって音もなく爆ぜた。


 王城を囲む大堀にかかる石造りの大橋が付け根から崩れ落ち――自重の均衡を失った石橋は、そのまま波打ち、連鎖的に向こう岸まで崩落していく。


 緑色の水を湛えた大堀に無数の巨大な水柱が上がった。


 それが治まった時にはもう、王城と外界を繋ぐ大橋は六本の橋脚だけとなっていた。


「……大惨事じゃねえか……」


「アレ、城内の人はどうやって出るんだろうね?」


 あまりの光景に呆然とうめく俺とは対象的に、アリシアは興味深そうな表情を浮かべつつ、そんなどうでも良い呟きを漏らす。


 光板の映像はそこで終わっていた。


「――と、いうわけで、わたくし達は王宮に恐怖を刻み込む事に成功し、そのまま脱出してきたのよ!」


 俺達の反応に、エレ姉は開き直る事にしたようだ。


 最後に会った時からまるで成長したように見えない平らな胸を張り、その前で両腕を組んで、そう声を張り上げた。


 そんなエレ姉に、アリシアが不思議そうに訊ねる。


「――エレ姉、騎士は出てこなかったの?

 王宮騎士が劣化してるのは、お父さんから聞かされてたけど、それでも兵騎出すくらいの頭はあったんじゃないの?」


「――あの人達の……あんな学生レベルの結界で、わたくしの法撃を阻めると思う?」


 幼女めいた表情でにっこりと笑うエレ姉に――


「あ、はい……」


 アリシアは肩を縮こまらせてコクコクと頷いた。


 俺もアリシアも、エレ姉の魔法の強さはいやというほどよく知っている。


 あれは立太子されたばかりの夏――ベルノール辺境伯領へと避暑に連れ出された時の事だ。


 ローダイン王国北部に位置するベルノール辺境伯領は、ババアの説明によれば霊脈の大河が流れ込んでいるらしく、精霊に満ち溢れた土地なのだという。


 その為、潤沢な銀晶鉱脈を擁している反面、魔獣が頻繁に発生する土地となっていて、ベルノール辺境騎士団は日々、魔獣達が人の領域に踏み出してこないよう管理しているのだ。


 そんなベルノール領の北西部にある森に囲まれた湖で、それは起こった。


 幼い俺達は、エレ姉と共に船遊びに興じていたのだが、突然、目の前の湖面が盛り上がり――巨大な水竜が現れたのだ。


 五メートルも離れてなかったと思う。


 波に揺らされるボートの上から見上げた水竜は、首だけだというのに兵騎より遥かにでく、湖水を滴らせて開かれた大口から、ひどく生臭い吐息を放っていたのを覚えている。


 ババアの教育が始まったばかりの俺とアリシアは、だからこそ赤眼を持つ水竜の威容と、放たれる強い魔動に完全に射竦められてしまって、身動きひとつできなくなっていた。


 そんな俺達に対して。


 ――喜んで、アルくん、アリシアちゃん! 今夜はごちそうよ!


 エレ姉は心底嬉しそうにそう言って、ボートの上に立って右手を掲げた。


 気負いなく軽やかな韻律で唄われた喚起詞。


 閃光が走ったと思った時には、もうすべてが終わっていた。


 首から上を失くした水竜が、噴水のように鮮血を噴き出しながら湖面を叩いて――水飛沫が雨のように降り注いで、ボートを揺らしたっけ……


 あとでエレ姉自身が教えてくれた事なのだが、ベルノール領では、あの手の竜――エレ姉を含むベルノール家の人々は皆、ババアやクロのようにトカゲと言い張っていたが――が、結構な頻度で現れるのだという。


 俺達が出会ったのは、水竜だったが、飛竜や岩竜なんかも出るのだとか。


 そしてどれも肉が旨いらしく、トカゲ狩り――あくまでベルノール領での呼び名だ――の際は、大勢の民がこぞって参加するらしい。


 当然、エレ姉も昔から参加していたらしく、ババアのトコで攻性魔法を教わってからは、ひとりでも狩れるようになったのだと自慢していたな。


 俺もアリシアも、魔道士は騎士の補助役だと思い込んでいたから、この一件で完全に認識を改めさせられた。


 六つ上――当時十四歳のエレ姉でさえこの強さなのだから、魔道の大家、ベルノールの魔道士達はもっと強いに違いない、と。


 まあ、実際はエレ姉がベルノールの戦闘魔道士の中でも特別頭おかしい存在だったわけだが、当時の俺達はそんな事知らなかったのだから仕方ない。


 それでも目の前で起こった――水竜を瞬殺したという事態だけは強く心に刻み込まれて、俺とアリシアはエレ姉だけは怒らせないようにしようと固く誓ったものだ。


 ……エレ姉の法撃って、アリシアでさえ避けられず、受けるのがやっとなんだぜ……やべーよな。


「――ちなみに兵騎のうちいくつかは、マリエールが堀に叩き込んでましたね」


 というモントロープ女伯の説明に、俺とアリシアは顔を見合わせて安堵する。


「マリ姉の常識的な対処を聞くと、ほっとするよね」


 王族の中でもっとも常識からかけ離れたヤツがなにを――と、思わないでもないが、俺はアリシアの言葉に同意しておく。


「そうそう。マリ姉は俺に常識を思い出させてくれる癒やしだ」


 ババアを始め、アリシアと言い、エレ姉と言い、常識や物理法則を真っ向から殴り倒してるとしか思えない連中を目の当たりにしてきたからな。


 本人は魔道の弱さを嘆いているようだが、それでも上級冒険者レベルには戦えるマリ姉の戦闘法は、鍛錬によって磨き上げられた技によるもので、才能に恵まれなかった俺の希望となってくれていたんだ。


 その俺の癒やしであるマリ姉は、今はエレ姉達に同行して来た内宮侍女長――ヘッケラー嬢が魔獣車酔いで寝込んでしまった為、別室で付き添っている。


 リディアがシノ婆の薬茶を用意しているから、いずれ快方に向かうことだろう。


「……ふふ、マリエールが常識的って。

 ミハイルもそうだったけど、これだから八竜皆伝の伝授者はイヤになるのよねぇ」


 長い黒髪を掻き上げ、モントロープ女伯が苦笑する。


「む? 女伯は父上を知っているのか?」


 俺は首を傾げて女伯に訊ねる。


 この村に彼女達が魔獣車で乗り付けて来た時に、彼女については簡単な説明――王族の血統であり、ババアの教育を受けている事も含めて――は受けたのだが、俺が城に居た時も彼女とはほとんど面識がなかった為に、正直なところよく知らないのだ。


 その美しい見た目からは想像もできないのだが、実は三十路をとうに過ぎているのだという。


「ええ。ミハイル殿下やレリーナ様には、とてもとても世話になりました。

 ええ、ええっ! 本当に、本当に、ね……」


 目を細めて低く笑う様に、俺は知らず身震いする。


「ふ、ふふふ……学園でのアレもコレも、みぃんな過去の事ですもの。

 ましてその責を子に負わせるような真似は、致しませんわ」


 ……俺の両親は生前、彼女にいったいなにをしたのだろうか……


 訊いてみたい気もするが、そうさせない雰囲気が漂っていて、とてもじゃないができない。


「ま、まあ、いろいろと聞きたい事もあるが、王都からの長旅で疲れているだろう。

 風呂と食事を用意するから、今日はここまでにして、とりあえず休め」


 彼女達は夕刻に村に辿り着いたのだが、窓の外はすっかり薄暗くなり始めている。


 落ち合った時の話では、彼女達は王都から魔獣車を駆けさせて、たった一日でバートニー村までやってきたのだという。


「あ、じゃあ、あたしが客室に案内するよ。アルはお風呂の用意お願い」


 アリシアがソファから立ち上がり、エレ姉の腕を掴みながらそう声をかけてくる。


「ああ。用意できたら呼びに行く。

 ババア特製の大浴場だからな。疲れなんて吹っ飛ぶぞ」


 グランゼス領から戻って来てから屋敷に暮らす者が増えた為に、ババアが屋敷の横に新設してくれたんだ。


「え? え? アルくんが用意するの? お風呂を!?」


「王太子自ら水仕事とは……」


 エレ姉やモントロープ女伯が驚きの表情を浮かべるが、俺はすっかり慣れっこだ。


「ここじゃ身分なんて関係ないからな。家事の中で、俺が最も得意なのが風呂掃除なんだ」


 俺はふたりにそう告げると、膝を叩いて立ち上がる。

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