第4話 6
「良いですか、陛下?」
一歩を踏み出し、クレリア様は低く抑えられた声で告げる。
「私共はむしろ、民の為と思えばこそ本日まで耐えてきたのです」
さらに一歩を踏み込み、クレリア様は両手を執務机に乗せて身を乗り出す。
「私をはじめ侍女長達は連日、執務室に泊まり込み、日々の業務に努めて参りました。
なぜ、そんな事になっているかわかりますか?」
クレリア様の魔動が噴き出し、黒髪がふわりと浮き上がる。
「泊まり込み? 連日? そんな事、報告を受けてないぞ? 人事局長!?」
初耳だったのでしょうね。
カイルは説明を求めるように人事局長に顔を向けた。
「――てめえが……」
クレリア様が執務机から身を起こし、一歩退く。
「その有様だからに決まってるだろうがっ!」
その叫びと同時に、クレリア様の右足が跳ね上げられた。
決して広くない室内に、暴風が吹き荒れる。
クレリア様もまた、お師匠の教育を受けているそうだから、放たれた蹴りは王宮騎士――現在の腑抜けの集まりじゃなく、本来の――にも匹敵するもので、重厚な執務机を吹き飛ばしてカイルもろとも後ろの壁に叩きつけた。
「――ぐぅっ!?」
砕け散った机の残骸に埋もれるように、カイルが床に崩れ落ちる。
「な、ななな……」
目の前の光景が理解できないというように、人事局長がクレリア様と倒れ込んだカイルを交互に見比べる。
「――王宮の状況を把握しようともしない暗愚が!
こっちは一族家門背負ってるんだ! てめえの王様ごっこにはもう付き合い切れねえんだよ!」
クレリア様は苦悶するカイルを見下ろし、庶民のような言葉遣いで吐き捨てたわ。
完璧淑女と謳われる普段のクレリア様からは想像もできない姿に、わたくしだけじゃなく、クリスもマリエールも呆気に取られてしまったわ。
「――だ、誰かっ! 衛士! いや近衛っ! モントロープ女伯が乱心だ!」
人事局長が叫びながら、部屋の外に飛び出して行く。
「王を見捨てて逃げ出すなんて、大した忠臣だなぁ?」
カイルの前髪を掴んで顔を寄せ、クレリア様は嘲笑する。
「……な、なにが目的だ? まさか僕を殺して王位を?」
「てめえと一緒にするんじゃねえよ」
と、容赦なくカイルの横面を張り飛ばす。
ただそれだけでカイルの焦点がぶれて、彼の意識は刈り取られたようだった。
「……この程度の輩にアルベルト殿下が敗れたというの?
めったに人を褒めない鬼ババ様が、最高傑作と褒めていたあの子が?」
床に倒れてピクリともしないカイルを見下ろして、クレリア様が納得いかないというように呟く。
「クレリア様、もうこのままここでこいつを
マリエールが鼻息荒く訴えたけれど、クレリア様は首を横に振る。
「それだと王位が空白になるだけ――最悪、リグルドが玉座に収まるなんてことも起こり得てしまうわ。
面倒だけれど、やるのなら然るべき人物が然るべき場で行う必要がある……」
クレリア様の言いたい事はよくわかる。
……つまり、カイルを処断するのは、アルくんが、民が納得する形で行う必要があるということ。
「……だから、このガキは無能だけど――あの混血野郎を玉座に着けさせない理由になっているという点においてのみは有能なのよ。
――まあ、この子も混血という点では変わりないけれどね……」
「へ? クレリア様、それってどういう?」
カイルが混血?
隠されていたアルくんの双子の弟ではなかったの?
わたくしの問いかけに、クレリア様は肩を竦める。
「もはや証拠を示しようのない話なのだけどね。少なくとも証言はアリシアが取ってきてくれたわ」
「――アリシアちゃんが?」
と、その時、開け放たれた扉の向こうから、廊下を駆けて来る複数の足音が聞こえてきた。
「――詳しくは脱出してからね」
片目をつむってそう告げると、クレリア様は指を鳴らして虚空に右手を突っ込んだ。
――<
引き抜かれた手には、身の丈ほどの
「マリエール。ラグドールの娘なら当然、緑竜槍術は修めてるわね?」
クレリア様はそれをマリエールに投げ渡しながら訊ねる。
「わ、わたし、魔動が弱くて、お兄みたいに皆伝とは行かないけど、一応、中伝まではお師匠に認められてるよ」
「上等だわ。そもそも鬼ババ様のあの地獄の鍛錬に心折られず、奥伝以上を取ってる連中が頭おかしいのよ」
さらに<
「――黄竜杖術皆伝でスミマセン……」
思わずわたくしはクレリア様に頭を下げる。
「ああ、そういえばあなたも頭おかしい連中のひとりだったわね」
「でも、アルくんやアリシアちゃんほどじゃありませんよ?」
「――ミハイルやあのふたりは、鬼ババ様のお気に入りよ? 比べるだけ無駄だってものよ」
そう応じるクレリア様に苦笑しながら、わたくしもまた<
「え、えと……ええとぉ……」
クリスはというと、次々に獲物を用意して戦いの準備を始めるわたくし達にうろたえ、おろおろと顔を左右に振っている。
彼女だけは、あくまで<耳>であって、わたくし達のように鍛えられているわけじゃないものね。
「大丈夫、クリスはわたくしのそばを離れないでね」
「は、はい!」
気丈に胸の前で両拳を握って応じるクリスの周囲に、わたくしは杖を床で打ち鳴らして結界を張る。
「さあ、それじゃあ参りましょうか」
クレリア様が逆手に握った短剣のナックルガードを打ち合わせる。
「進路は?」
前衛を務めるつもりなのか、マリエールが斧槍を中段に扉へと進み出ながら、クレリア様に訊ねた。
「そりゃあ、淑女はいつだって優雅に華麗に、堂々と――正門からですよね? クレリア様?」
わたくしの言葉に、クレリア様はニヤリと笑ってうなずく。
「もう侍女ではないのですもの。ここからはローダイン淑女として、見事に花道を彩りましょう」
「――りょ~……かいっ!」
マリエールが斧槍を横薙ぎに振るう。
轟音が響き渡り、執務室の入り口ごと壁が吹き飛んだ。
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