第4話 5

 ――数時間後、わたくし達は偽王カイルの執務室を訪ねていた。


「侍女長が揃いもそろって辞職したいだって!?」


 執務机の向こうでわたくし達を見ることもなく書類にサインを続けていたカイルが、人事局長の説明を受けて顔を上げてわたくし達を見回す。


 そう。わたくし達は会議室での話し合いの後、辞職を伝える為に人事局に乗り込んだの。


 統括をはじめとした侍女長全員が一斉に辞職を願う事態に、人事局長は判断に困り、カイルに判断を仰いだというわけ。


 普段なら、宰相であるリグルドに判断を委ねたのでしょうけど、現在、リグルドは休養中だものね。


「――いったい、どうして急に?」


 戸惑いの表情を浮かべるカイルに――


「ええ。こんなご時世ですもの。地方に嫁いだ叔母が心配して婚家に呼んでくださいましたの」


 一歩前に立つクレリア様は、頬に手を当てながら完璧淑女のきっぱりと口調で答える。


「わたくしも実家の父が帰ってくるようにと」


 クレリア様の言葉を引き継いで、わたくしはそう続ける。


 北の辺境伯――ベルノール侯爵家の娘であるわたくしが、大侵災発生という有事に際して招集されるのは、なんら不思議ではないでしょう?


「わ、私も主家のローゼス家が領を追われて人手不足となっているので、戻ってくるようにと父が――」


 クリスの実家ヘッケラー家は、ローゼス伯爵家の陪臣家で、お父様は領都でローゼス伯爵の補佐を、お兄様は領内の街のひとつを代官として治めていたのよね。


 けれど現在、ローゼス領は大侵災対策の最前線。


 グランゼス公爵領から押し寄せる魔物を食い止める為に領地全土が接収され、領主以下領民すべてが退避しているわ。


「む……き、君は!?」


 ローゼス家一門の動向を尋ねられるとも思ったのだけれど、カイルはクリスの辞職理由に疑問を抱かなかったのか、そのまま視線をマリエールに向けた。


 思わずため息が漏れそうになったわ。


 ここに至ってもまだ、カイルはローゼス家やその領民達が王都に避難していない事に気づいていないのだから。


 内務省が情報を教えていないのか、そもそも内務省もローゼス家一門の状況を把握していないのか。


 どちらであったとしても、この事実からカイル自身は、国内各領はおろか王都にすら<耳>を持っていない事が伺える。


 そもそもこの執務室だ。


 アルくんが使っていた執務室は広すぎて無駄と言い捨て、新たに設けられたこの部屋。


 侍女長会議に使っている会議室と同じくらいの広さのこの部屋に、普段、カイルは一人で詰めているらしい。


 王の決済が必要な書類はリグルドが秘書に運ばせていて、カイルは促されるままにサインしているのだとか。


 アルくんの執務室が広かったのは、各省から上がってくる書類を精査する補佐官を置いていたからなのだけれど、為政者としての教育を受けていないカイルには理解が及ばなかったらしい。


 彼が信頼するリグルドや、現在の大臣達の持ち込む書類に精査など必要ないと思っているらしい。


 今も彼はマリエールに辞職理由を問いながら、機械的に――内容に目を通すこともなく書類にサインを入れているわ。


 ――この部屋は、彼自身が用意した、王という名の決済機械を押し込めた独房とも言えるかもしれない。


 アルくんは立太子された時に王宮を「王の為の監獄」と例えたものだけど、そうと気づけなければ、城は城なのよね……


 ――どうせ監獄に繋がれるなら、せめて快適になるよう努めるしかないか……


 そう言って、寂しげに笑う幼いアルくんを放っておけなくて、わたくしは彼の<耳>になるのを決意したのよ。


「――あたしも外宮侍女長と同じく、ラグドール辺境伯領に帰ってくるように家から指示がありました」


 カイルに答えるマリエールの声で、物思いに沈んでいた思考が引き戻される。


「……な、なにも一斉に辞める事はないだろう?

 後任を決める必要もあるし……そうだ、引き継ぎなどもしてもらう必要があるんじゃないか?」


 と、カイルは留意を促すけれど、わたくし達は首を横に振り、クレリア様が代表して応じる。


「後任は女官長様に決めてもらうと良いですわ。あの方は侍女長の仕事なんて誰でもできると仰ってましたので」


 先週、お茶会の用意をさせられた時に、そう言われたのだとか。


「いっそ女官長様に頼んでみるのも良いかもしれませんね。

 あの方、今のお勤めは大変忙しくてお疲れのようですので……」


 ――忙しく働く女官達の為に、お茶会を開きなさい。


 事もあろうに、クレリア様に対してそんな事を言いつけたらしい。


 女官とは女性王族が公務に臨む際に、その補佐をするのが仕事なのよ。


 対して侍女は、宮中での様々な雑務を処理する者達で、決して女官に使われる存在ではないのだけれど、今の女官長はそんな基本的な事さえ知らなかったらしい。


 ――女官の成り損ないなんだから、私達の為に働くのは当然でしょう?


 そこまで言われても、表面上は――用意を終えた後に怒りの魔動を噴出させていたとはいえ――笑顔を崩さなかったクレリア様を尊敬するわ。


 ……まあ、だからこそ今、こうしてその怒りを吐き出しているわけだけど……


「――侍女長の勤めを担って頂いて、しばし休息とされてはいかがです?」


「だ、だが、それでは今度は女官長の籍が空いてしまうだろう?」


「あら? 女官長様をはじめとして、現在女官を務めてる方々は厳しい試験を潜り抜けた優秀な方達なのでしょう?

 ……侍女長なんて誰でもできると仰られるほどに。

 なら、女官長の後任もすぐに見つかるのでは?」


 クレリア様は慇懃の告げて、カイルに微笑みを向ける。


「――モントロープ統括侍女長! 言葉が過ぎるぞ!」


 人事局長が声を張り上げた。


 でも、クレリア様は涼しい顔で、微笑みを浮かべたまま人事局長に視線を向ける。


「言葉が過ぎる、とは?

 私は女官長様が仰った言葉をそのまま申し上げただけですが?

 人事局長がなにに対してお怒りなのか、私には理解できませんわ」


 恐らく彼は、女官長達をはじめとした多くの女官達が試験を経ず、コネで入宮しているのを揶揄されたと思ったのでしょう。


 ――実際、クレリア様はそのつもりで仰ったのだと思う。


 けれど、それに反論するということは、事実と認めるようなものよ。


 はぐらかすように笑みを浮かべるクレリア様に、人事局長は顔を真っ赤にしつつも、さらなる反論の言葉を見つけられないのか、低く唸って押し黙る。


 そうよね。さらに言葉を重ねるのなら、女官達が優秀ではないと――試験など通過していないのだと認める事になるものね。


 クレリア様はそんな人事局長からカイルに視線を戻す。


「というわけで陛下。私共の後任に関しては、人事局長と女官長様とで話し合って決めてくださいな。

 私共は本日をもって、官位を返上させて頂きます」


「――本日!? あ、あまりにも急過ぎる!」


 ついにカイルはペンを取り落し、椅子から立ち上がって声を張り上げた。


「無責任が過ぎるだろう!」


 ……どの口が――そう言いたいのをぐっと堪える。


 わたくしの左右でクリスとマリエールも唇を噛んでいた。


 クレリア様が小さく吐息する。


「良いですか、陛下?」


 一歩を踏み出し、クレリア様は低く抑えられた声で告げる。

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