第4話 4

 代々の侍女長達が使ってきた会議室は、そう呼ばれてはいるものの、他部所からの高官をもてなす応接室の役割も持っていて、それほど広くはない室内の中央に向き合った長ソファが二脚と、その間にローテーブルが備えられている。


 そのローテーブルにはこの一週間で、わたくし達が提出した侍女達の報告書をまとめた書類が載せられていた。


 統括侍女長様はいつものように長ソファの右手奥に腰掛け、書類に目を通していた所みたいね。


 わたくし達以上の激務をこなしているはずなのに、きっちりと後ろでまとめられた黒髪は乱れなく、引き締められた表情もまたまるで疲れを感じさせない。


 ――クレリア・モントロープ。


 統括侍女長にして、現モントロープ伯爵家当主。


 元々は女官長だったのだけれど、政変の人事刷新の際に先代の統括侍女長が年齢を理由にご子息と共に暮らすと王城を去ってしまった際、他に任せられる者がいないという事で、自ら統括侍女長に名乗り出た女傑よ。


 現在の女官長はアイリス王妃の取り巻きが勤めているから、傍目には権威におもねって籍を譲ったように思われているわね。


 先代モントロープ夫人がアルくんのお父様――ミハイルおじ様の乳母だった事もあって、わたくしやマリエールにとっては城勤めをする前から知っている、年の離れた姉のような存在。


 とはいえ、公私の別をはっきりと着ける方で、基本的には勤務中は統括侍女長としての態度を決して崩さない厳しい方でもあるわ。


 十代半ばにしか見られない見た目をしているわたくしが言えた事ではないけれど、クレリア様もまた年齢とはかけ離れた外見をしている。


 今年で三十四歳になられるはずだけれど、正直なところわたくしの同年代――二十代前半にしか見えないのよ。


 あれで基礎化粧品だけしか使っていないというのだから恐ろしい。


 なにかわたくしの知らない魔法を使っているんじゃないかと、ずっと思ってるわ。


「――おはようございます。統括」


 わたくし達が声を揃えて挨拶すると、クレリア様は優雅にカップを置いて――


「――おはようございます。みなさん」


 と、よく通る声で応えてくれた。


 よかった。今日はそれほど機嫌は悪くないみたい。


 先週の会議では、女官長達にお茶会の用意を押し付けられて、かなり不機嫌だったわ。


 溢れ出る魔動に、クリスなんて半べそになっていたくらい。


 クレリア様が手でソファに座るように示し、わたくしとクリスは従う。


 わたくしがクレリア様の隣で、クリスはその正面。


 一番年の若いマリエールは、テーブルからカップを回収して、そのまま部屋の右手に設けられている給湯室に向かったわ。


 扉のない給湯室の入り口から、すぐにポットに水を注ぐ音が聞こえてくる。


 魔道器による給水器は温度の調整が自在で、すぐに給湯室からふんわりとハーブの香りが漂ってきた。


 眠気覚ましによく使われる、レモンによく似た香りと味のするハーブティー。


 四つのカップとティーセットをトレイに載せて運んできたマリエールは、そのままカップをローテーブルに並べ、ポットからお茶を注ぎ、それを終えるとクリスの隣に腰掛けた。


 示し合わせたわけでもないのだけれど、揃ってカップを傾け、それからみんなで重い溜息を漏らす。


 だから、わたくし達は思わずクレリア様に注目してしまったわ。


 ――あのクレリア様が、!?


 淑女の鑑と――わたくし達の世代では、誰もが親から「クレリア様を見習いなさい」と言われて育つくらいに、完璧な礼儀作法を誇るクレリア様が!?


 驚きの色を隠せないわたくし達に、クレリア様は苦笑。それから指を鳴らして会議室を防音結界で包み込んだわ。


「これでよしっと。みんなも楽になさい」


 そう告げるクレリア様の表情は、統括侍女長としてのものではなく、幼い頃によく浮かべていた優しいクレリアお姉様のものだった。


「――と、統括様?」


 クリスにとっては初めて見るその優しげな表情に、明らかに戸惑っているみたい。


「クリスティーナ。少しの間、侍女長はお休みよ。

 ――ひょっとしたら、ずっとお休みになるかもだけどね」


 と、クレリア様はクリスに片目をつむって笑って見せる。


「へ? へ?」


 クリスは意味がわからないのか、わたくし達に視線をさまよわせる。


 クレリア様はというと、そんなクリスを安心させる為なのか、気楽にして良いという言葉が真実であると示すかのように、髪を束ねていたバレッタを外して解いて見せた。


 長く艷やかに波打つ黒髪がクレリア様の背中に広がる。


 それからクレリア様は、もう一度ため息を吐いて。


「――ぶっちゃけ、やってらんないわよねー。

 みんなも本当にお疲れ様だわ」


 ケタケタと笑いながら、彼女はローテーブルの上の書類を叩く。


「あなた達が無理矢理言葉を捻り出して取り繕ってもなお、滲み、溢れ出る怠慢な勤務報告。

 ……苦労をかけてしまったわね」


 そう告げたクレリア様はわたくし達を見回すと、ニヤリと淑女らしくない笑みを浮かべて、両手を打ち合わせた。


「王宮の混乱は国の混乱と思えばこそ、私も今まで我慢してきたけどね……そろそろ良いかなぁって思うのよ。

 ――エレーナ、そうは思わない?」


 見透かすような黒瞳で見つめられ、わたくしは居住まいを正す。


「そ、それはどういう……」


「――知らないフリする必要はないわ。昨晩、あなたがアルベルト殿下から連絡を受けたように、私も先日、鬼ババ様から連絡を受けているの」


「――っ!?」


 わたくし達は息を呑んだ。


「そこまで驚く? むしろあなた達の本業を知ってるからこそ、動きやすいようにと思って、私はあなた達を侍女長に据えたのよ?」


 クレリア様の言葉に、わたくしとマリエールはクリスに注目した。


「――ク、クリスも!?」


「そうよぉ。ローゼス伯爵――前内務大臣が宮中に残した<耳>ね。

 そしてマリエールはラグドール伯爵家の<耳>で、エレーナは元アルベルト殿下直属の<耳>にして、今は実家のベルノール家の為に動いているわね?」


「お、お二人もそうだったんですか!?」


 クリスはわたくしとマリエールを見回して、驚きの声をあげる。


「……まあ、ここまでアレな状態になるとは思ってなかったから、そこはゴメンなんだけどね」


 片目をつむりつつ苦笑するクレリア様に、わたくし達は呆然。


「ああ、ちなみになんで私がそれを知ってるかと言うと、私も統括侍女長とは別に本業があるから、ね」


「と、統括様もどなたかの<耳>ということですか?」


 きっとクリスの中では今、国内の勢力図と貴族名鑑が目まぐるしく広げられているに違いないわね。


「いいえ。<耳>をしてたあなた達なら、聞いたことがあるんじゃないかしら?

 代々、ローダイン王家当主――つまりは王にのみ仕えて暗闘する存在がいるって」


 ……確かに聞いたことがある。


 アルくんは知らないって言ってたけど、クレリア様の言葉通りなら、それも当然――アルくんはまだ、王太子だったのだから。


「――<影>……」


 わたくし達の呟きが重なる。


「正解。ああ、誤解しないでね? 私が仕えるのは、あくまでローダイン王だから」


 その言葉に、わたくしとマリエールは納得したけれど、クリスは首を捻った。


「クリス。王位を継ぐのには――<影>が王と仰いで仕えるのには、ある条件があるの。そして現王――偽王カイルはそれを満たしていないのよ」


「そそそ。どうせ会う事になるだろうからぶっちゃけちゃうと、鬼ババ様の――王城地下の大迷宮に封じられているとされる魔神の教育を受けている必要があるのよ」


 クレリア様は肩を竦めながら、クリスに王族の血を引く者が受ける教育について、大まかに説明する。


 ローダイン王国の歴史の真実を知らされて、クリスは目をまん丸に見開いたわ。


「……クレリア様もお師匠の教育を受けていたとは知りませんでした」


 今、この部屋に張られている見事な防音結界は、お師匠の教育の賜物という事なのね。


 これほどの隠密性を持った結界を喚起するなんて、ウチのお父様レベルの魔道だわ。


モントロープウチ家は、第三代――アンゼローネ女王陛下の御代に、王弟殿下を臣籍降下で受け入れているのよ。

 それからず~っと王宮を陰から監視するお役目を担っているの」


 宮中の規律を正す為に官位を制定した女王陛下だものね。


 腐敗しかけていた宮中貴族を見張る役職を作っていたとしても不思議ではないのでしょう。


「さ、お互いの本業について知ったところで、本題に入りましょうか」


 と、再びクレリア様の黒瞳がわたくしを捉える。


「現在、アルベルト殿下は南部――バートン男爵領に潜伏し、グランゼス老公やローゼス伯爵もまた、彼の地に逃れている」


 わたくしは素直に頷きを返す。


 クリスもまた、なんらかの手段でローゼス伯爵から知らされていたのか、クレリア様の言葉にわたくしと同じく頷いていた。


「え? そうなの? アルベルトのヤツ、師匠のトコにいると思ってたのに、いつの間に……」


 一方、マリエールはアルくんの動向に驚きを隠せなかったみたいね。


「……なんでも、ぐだぐだと引きこもってたから、お師匠に庵を叩き出されたらしいわ。地下水脈に蹴り落とされて、そのままアジュア大河に流れ出たらしいの」


「あ~、わかる気がする……あの子ならこれ幸いと地下大迷宮にこもったでしょうね……」


 と、マリエールは苦笑して嘆息。


「それで? エレーナ。殿下は経緯説明だけを寄越したわけじゃないでしょう? 鬼ババ様の新型魔道器の事は知ってるわ。

 あなた、昨晩、殿下から今後についての指示があったんじゃないの?」


「はい。アルくん――アルベルト殿下は玉座を取り戻す決意をなさりました。

 ついては折りを見て、わたくし及び家門の者は王都から逃れるようにと」


 ベルノール領に帰るようにとか言っていたけれど、わたくしにその気はさらさらない。


 王都にいる陪臣の一部は実家と連携を取る為に領に戻すつもりだけど、わたくし自身はアルくんのいるバートン領に向かうつもりでいたわ。


「それで、ですね……」


 そうしてわたくしはアルくんから聞かされた、昨晩の話――アルくんの計画をみんなに説明する。

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