第4話 3

 翌朝、わたくしはいつものように外宮での朝礼と業務通達を済ませると、週の終わりに定例となっている侍女長会議に赴く為、侍女局事務室のある内宮の廊下を歩いていた。


 王宮はわたくしが所属する外宮を含め、大きく三つの宮に分けられている。


 外宮は主に登城した民達の陳情や各種手続きの受付を各省ごとに行っていて、登城した民だけではなく官僚も多く配置されていて、王宮の中で最も人の出入りが最も多い宮ね。


 基本的に文武を問わず、官はまず外宮に配属されて大まかな業務を覚える。


 それは侍女も同様で、試験を通過した侍女見習いは外宮で、侍女としての振る舞いや業務の大まかな流れ、官僚達とのやり取りなんかを覚え、そこからそれぞれの個性や特性に見合った部署や宮に振り分けられていくの。


 ……まあ、いまはそんな慣例なんて機能していないのだけれどね。


 男漁りに余念のない令嬢達は、もっぱら爵位も官位も高い文官が多い内宮配属を希望し、御家の力でそれが叶えられてしまっている。


 外宮に配属されてくるのは、そんな内宮配属の選に漏れた――比較的、御家の力が弱い家の娘達で、だから彼女達はすっかり不貞腐れてしまっていて、仕事に対する態度はお世辞にも良いものとは言い難いのは、あの雑で不出来な業務報告書からも明らか。


「――おはようございます。エレーナ先……じゃなかった、外宮侍女長」


 と、挨拶されて顔を向けると、そこにはわたくしに負けず劣らずくたびれきった顔の内宮侍女長の姿があったわ。


 頭の後ろでリボンでまとめられた髪は、本来は美しい黄金色のはずなのだけれど――彼女もまたわたくし同様、ずっと私室に帰れてないのでしょうね――清潔さこそ最低限保たれているけれど、以前のような艶やかさがなくなっている。


 ――クリスティーナ・ヘッケラー。


 ヘッケラー子爵家の次女である彼女は、見習い時代にわたくしが教育を担当したから、いまだに先輩と呼びそうになるのよね。


「おはようございます。内宮侍女長」


 ふたり並んで廊下を歩く。


「……その様子だと、内宮は相変わらずのようね」


 内宮侍女長――クリスの手には、侍女達に配る為に用意したと思われる、本日の業務指示書の束が握られている。


 本来なら朝礼の際に配られるはずのそれが、いまだに彼女の手に残されているという事は――まあ、誰も朝礼に出席しなかったという事なのでしょうね。


「はは……そうなんですよ。あの娘達、王宮内では爵位より官位が優先されるっていう、基本的な事すら理解していないみたいで……」


 クリスの灰色の両目が涙に揺れる。


 わたくしは思わずため息を吐きつつ、彼女の背を撫でた。


「……貴族教育の敗北を感じるわね……」


 第三代アンゼローネ女王陛下の御代の事――建国に携わった家門が爵位を笠に着て、下位の者に横暴に振る舞うという事態が起き始めたのよね。


 貴族達もまた三代目、四代目になっていて、生まれた時から貴族という者が出始めた時期。


 本来は建国の功績に応じて与えられた爵位だというのに、彼らはさしたる努力もなくそれを受け継ぎ、自らの力と思い込むようになっていたのだとか。


 そしてその思い込みは王宮内のまつりごとにまで影響を及ぼし始めた為、アンゼローネ女王陛下はお師匠に相談したのだという。


 さしたる努力もせずに重要な役職に就いた上位貴族の子孫が、政治の場を混乱させ、真に優れた官の意見を潰したり、自分の手柄にしていたりという事が日常茶飯事だったみたい。


 そういったバカ貴族の思惑を叩き潰すため、お師匠と女王陛下が造り上げたのが官位制度。


 たとえ公爵家の出であろうとも、官となったならば努力で見習いである正九位、あるいは従九位から昇っていかなければ行けないという制度よ。


 昇位の際には実力を計る試験が行われる為、爵位で威張り散らしているような者は上に上がりづらくなっている。


 ……まあ、時代を下った現代ではいろいろと抜け道も造られちゃっている制度なのだけれど、それでもカイルが王となるまでは、正しく機能していた制度だわ。


 そんな官位制度が――カイルが王となり、リグルドが宰相位についた今では、すっかり有名無実化してしまっているわ。


 なにせ今は官になる試験が行われていないのだもの。


 それどころか高官位にいた者達が閑職に追いやられ、あるいは王宮を去ってしまって、それまで爵位はあっても官位が低かった者達が、現在の王宮を牛耳ってしまっている。


 アンゼローネ女王陛下の御代のように、爵位の高さをそのまま王宮に持ち込まれてしまっているのよ。


 きっと内宮の侍女達は、なんの為に役職ごとに厳密に官位で分けられているのかすら理解していないのでしょうね。


 クリスはヘッケラー子爵家の次女。


 そんな身分だけを見て、実力で従七位――侍女長補佐にまで昇り詰めた彼女を侮っているんだわ。


 本来――あの政変さえ起きなければ、クリスは外宮侍女長補佐の立場にあったのよ。


 それが……政変にともなう大規模な人事刷新によって人材不足となり、補佐の立場を一足飛びに侍女長に据えられそうになったのよ。


 そう。本来、外宮侍女長は彼女がなるはずだったの。


 でも大人数の部下を管理した経験がない彼女に不安を覚えた統括侍女長様が、その人事に待ったをかけて、同じく内宮侍女長の辞令が出ていたわたくしと立場を交代させたのよ。


「……代わってあげたいけど、外宮は外宮でアレだしねぇ……」


 頭ふたつ背の高いクリスに、わたくしはゆるゆると首を振ってみせる。


 結局のところ、外宮も内宮も問題だらけなのよ。


 侯爵家の生まれのわたくしが内宮侍女長になったなら、爵位には従順な内宮侍女は表向きは言うことを聞くと思うわ。


 でも、すぐに――今度は官位制度を使って、わたくしの上に立とうとするでしょうね。


 結局のところ、彼女達は王宮内で好き勝手したいだけなのだもの。


 そしてそれはクリスにしてもそう。


 外宮侍女は爵位の高い家の娘でも、子爵家がせいぜい。


 でもそんな彼女達は侯爵家のわたくしに対して――逆らいはしないけれど、従順とは言い難い。


 サボる口実を探すことに躍起になっているような娘達だもの。


 大人数を取り仕切った経験の浅いクリスが侍女長になったなら、これ幸いとばかりにサボり倒すでしょうね……


 わたくしの言葉に、クリスは乾いた笑いをこぼす。


「ま、まあ……私なんてまだマシだと思いますよ……」


 内宮は事務方官僚の執務室がひしめき合っているから、侍女の仕事は主に廊下や休憩室といった共同空間に限られている。


 決して真面目とはいえない内宮侍女達に代わって、クリスは以前、わたくしが教えた魔法を使って仕事をこなしているのだと、以前の会議で報告していたわ。


「本当に大変なのは、祭宮侍女長――マリエール様ですよ」


「そうよねぇ……」


 後宮などの王族の私室を含めた祭宮は、現在、侍女長と平民から登用した見習い侍女で管理されている。


 カイルは婚約者であるアイリス以外を娶る気がないと明言している為、祭宮侍女を希望する貴族令嬢がほぼ皆無だったからよ……


 まあ、宰相であるリグルドに睨まれてまで、アイリスを押し退けてカイルを振り向かせようという娘が居なかったとも言えるわね。


「――ほんっと、代わって欲しいわ……」


 と、呻くような声に振り向けば、いつの間にか青髪を肩口で切り揃えた少女――マリエール・ラグドールがわたくし達の後ろを歩いていた。


「――マリエール様!?」


 クリスが驚いて跳び上がる。


「祭宮侍女長、おはようございます」


「おはようございます。エレ姉様、クリス様」


 マリエールの顔色もまた、わたくし達同様によろしくない。


 目の下には隈は浮かび、以前は快活な笑みを浮かべていたはずの表情は、すっかり捻くれてしまったような陰鬱な冷笑が貼り付けられている。


「祭宮侍女長、宮中なのですから役職で呼びましょうね」


 今の王宮は、どこに耳があるかわかったものじゃないのよ。


 ちょっとした気の緩みで足元をすくわれかねない。


 マリエールは青髪を掻いて、深々とため息を吐きつつもうなずいた。


「……わかってます。申し訳ありません」


 ……だいぶ不満が溜まっているようね。


 ロイド様の妹――ラグドール辺境伯家の長女である彼女は、元々騎士志望だったのだけれど、家の血なのかロイド様以上に魔法が不得意で、騎士に必須となる身体強化でさえ短時間しか喚起できない為に、第二騎士団でロイド様の従騎士――実際はメイドのような仕事をしていたのよね。


 それがあの政変でロイド様が領に引っ込む事になり――彼女はラグドール家の<耳>となるようロイド様に申し付けられて、王宮侍女としてわたくしに預けられた。


 そこを統括侍女長様に目を着けられ、お師匠もかくやという促成教育が成されて祭宮侍女長に抜擢されたのよ。


「――祭宮の子達も相変わらず?」


 わたくしの問いに、マリエールは肩を竦める。


「何人か見どころのある子はいるけど……まだまだってトコ……」


 平民出身者がほとんどの祭宮は、掃除なんかはマリエールの指示に従ってそれなりにこなしてくれているらしいわ。


 ただ、カイルの政策――救済院という逃げ道を知っている彼女達の大半は、王宮観光気分という意識が強いらしい。


 ちょっと強く言うとすぐに辞めてしまうのだとか。


 さらに読み書き計算ができない子も多いようで、マリエールは業務指示書を理解させる為に毎日三時間ほど勉強会を開催せざるを得なくなっているのよね……


 以前、ラグドール辺境伯領にあるサティリア教会が催している平民学校の教師を呼んだらダメかと、マリエールから相談を受けたことがある。


 名案と思ってふたりで陳情書を書いて人事局に提出したのだけれど、ただでさえ平民を雇って予算が割かれている祭宮に、これ以上割く予算はないと断られてしまったのよね……


 正直、男漁りに血道を開けている侍女達の給料の方が、予算の無駄だと思うのだけれど、人事局はそうは思っていないみたい。


 廊下の向こうに、統括侍女長が待つ会議室の扉が見えてきて、わたくし達は重い溜息を吐く。


「……エレ姉――じゃないや、外宮。今日の統括様のご機嫌はどうだろう?」


 マリエールが抑えた声で訊ねて来る。


「今朝も私より早く出勤なさってました……すっごくピリピリしてて……確か大侵災発生からずっとお休みとってないはずですから、わからないでもないですけど……」


 執務室が同じクリスが震える声で応える。


「ま、まあ、今日は統括様にとっても朗報があるので、きっとすぐにご機嫌になってくれるはずよ」


 ――なってくれたら良いなぁ……


 会議室の扉の前までやってきたわたくし達は、そろって深呼吸する。


 それからわたくしが代表して扉をノックすれば。


「どうぞ」


 と、澄んだソプラノで応答が返ってくる。


「――失礼します」


 わたくし達は声を揃えてそう応じ、会議室の扉をくぐった。

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