第4話 繋ぎ唄う魔女

第4話 1

「――ではエレーナ様ぁ、私達は今日はこれで上がりま~す」


 本日の業務報告書を提出して、侍女達はわたくしの執務室から退室して行ったわ。


 わたくしは貫禄付けの為に掛けている度のない眼鏡を外して、深々とため息を吐く。


 執務机に設けられた晶明に魔道を通して喚起すれば、薄暗くなり始めた室内が白く照らし出された。


 硝子張りの窓に映ったわたくしの顔。


「ふふ……今なら多少は年相応に見えるかしらね……」


 小柄で童顔――一見するとまるで学園中等部生のようで、二十四にはとても見えない外見をした少女が、ひどくくたびれた苦笑を浮かべている。


 お父様譲りの黒髪をしっかりとシニヨンにまとめていてなお幼く見えるのは、きっと大きな目のせいだと思うわ。


 魔動の強さを表してか、瞳の色は魔獣のように赤く、初めて会う人はたいてい嫌悪感を示す。


 晶明を受けて照らし出されたその赤い目の周りには、化粧でも隠しきれない深いクマに縁取られているわね……


 もう一度ため息を吐いて、わたくしは背もたれに身を預けて天井を見上げる。


 王太子――アルくんが城を追われた、あの政変から二年。


 カイル陛下の即位にともない王宮内の人事は刷新されて、要職にあった貴族達もまた城を追われ、あるいは閑職に回される事となった。


 陛下の人事改革は武官、文官を問わずに行われ、侍女や侍従達もまたその対象だったわ。


 侍女長様や女官長様を含めて、多くの熟練侍女達が解雇され、代わりとばかりに陛下を担ぎ上げた貴族達の係累の令嬢達が侍女として入宮してきた。


 我が家――ベルノール侯爵家は前王太子妃を輩出した家ではあるものの、北の辺境伯家として王宮のまつりごとには深入りしておらず、表向きは中立を保っている為に排除の対象にはならなかった。


 ……むしろわたくしは、空いた上席を埋める為に外宮侍女長に繰り上げられてしまったくらいよ。


 わたくし自身としてはお役目を果たす為に、日々をただの侍女に見えるように振る舞って過ごしていただけなのだけど、新人令嬢を侍女として教育できる人があらかた解雇されてしまった為に、残っていたわたくしにその席が回ってきたのよ……


 それから引き継ぎすらなく与えられた役職に、試行錯誤しながら取り組む毎日が続いて――


「……ロイド様……わたくし、頑張ってるよね……」


 婚約者がくれたペンダントを握り締めて、思わず弱音を吐いてしまう。


 東の辺境伯家――ラグドール伯爵家の嫡男だった彼は、政変の折に所属していた第二騎士団を辞して領地に戻る事になり、そのままわたくし達の婚約は保留となっている。


 表向きは領地経営を両親から学ぶ為という事だけど、現王の即位に不満を表明する為だと、最後にもらった手紙に書いてあったわ。


 互いに――わたくし自身も忙しくて、ずいぶんと彼に手紙を送れていないのよね……


 将軍だったグランゼス老公に倣って、ロイド様と同じ理由で騎士団を辞した人はすごく多かったみたい。


 空いた騎士団の枠には、侍女局同様にカイル陛下に取り立てられた貴族の家の子息らが箔付け目的で入団したわ。


 現在の騎士の大半は、なんの試験も受けずに入団を許されたお坊ちゃんの集まり。


 そんな王宮騎士団が、それでも統制を保てていたのは、グランゼス老公――ゴルバス従伯父様のご子息、サリュートおじ様が第一騎士団長として残ってくださっていたからに他ならない。


「……そのおじ様も亡くなってしまって……」


 ――一月前にグランゼス公爵領で発生した大侵災。


 その日、おじ様は娘のアリシアちゃんに、リグルド宰相の令息を引き合わせる為に里帰りしていたらしい。


 現地の状況が不明な為に、生死不明という事になっているけれど、領都を呑み込んで今なお拡大しているという侵源と、そこから吐き出される高濃度の瘴気と……そして、多くの魔物が跋扈する今のグランゼス領では、いかに精強で知られるグランゼス人であろうとも生き延びられるわけがない――というのが、魔道局の見解だったわ。


 大侵災発生の報を受けて、今の王宮は大混乱に陥っている。


 カイル陛下や各省の大臣達は連日会議をしているようだけれど、本来は舵取りをすべきリグルド宰相が、嫡男であるレオニール殿を失った心労で伏せっている為、まともに機能していないように思えるわ。


 先日、状況報告の為に帰還した――対応を任されていながら、その長が現場を離れるというこの行動自体、わたくしはその立場にふさわしくないと思えるのだけれど――レントン将軍の訴えを受けて開かれた会議では、具体的な対策を陛下に求められて困窮した大臣達が、示し合わせて閑職に回していた官僚達を補佐官として会議に出席させたそうよ。


 けれど……なにがあったのかまではわからないけど、補佐官達は陛下の不興を買って自宅謹慎を命じられたわ。


 結果、現在の王宮は大侵災対策と銘打って、各大臣達の利権の奪い合いが水面下で行われるようになっていて、対策そのものは遅々として進んでいない。


 というより、王宮全体が大侵災から目を逸したいような雰囲気に包まれていて、口に上らせるのを避けているようにも見える。


 わたくしは書類箱に積まれた業務報告書を手に取った。


 ――帰領届けを出しに来たフラジス子爵家のご令息が格好よかったです。もう婚約なさってるのかしら。きゃっ!


 頭が痛くなる文面。


 書かれている文字も学園中等部生が用いるような、丸まった変形文字よ。


 これが公文書として十年保管される事をまるで理解できてない。


 もう一枚、取り上げて目を通す。


 ――掃除とか、私達じゃなくタダでご飯食べてる救済院の貧民にやらせたら良いんじゃないですか? 出会いの機会がまるでないんですけど!


 ……報告書は陳情書じゃないと、何度言えばわかってもらえるのだろう。


 以前からこういうのはあったのだけれど、大侵災発生以降はより顕著になったように思えるわ。


 口に出せない不安を押し殺すように、報告書に記載される内容は刹那的な安心を求める内容や、不満を吐き出すかのような内容が増えてきている。


 いまや侍女局は、二年前とは比べ物にならないほどに劣化してしまっているわ。


 ……いえ、二年前も決して健全というわけではなかったけれどね……


 大半の侍女達がアルくんに萎縮して、いつも怯えたような表情を浮かべた侍女達が、張り詰めた雰囲気で働いていたわね……


 その不満の捌け口として、家格の低い家の娘がいじめの対象となる事も日常茶飯事だった。


 けれど、そんな状況だからこそ、侍女達は自分がその対象とされないよう――弱みを晒さないように、日々の業務に打ち込んでいたわ。


 少なくとも今のように、仕事そっちのけで男漁りするような者はいなかった。


 ああ、頭が痛い。


 これからこのふざけた報告書を、公文書として保管するに足る書面に書き直さないといけないのよ。


 他にも消耗品の発注書も仕上げないといけないし……


 ただでさえ数を減らしていた王都の商会は、大侵災発生以降さらに激減して、遠くの領にまで発注しなければいけないものが増えてきているわ。


 だから発注書を郵送する為の発注書を書かなければいけないという、意味のわからない業務まで発生しているのよ。


 掃除すらまともにできない今の侍女達に、書類仕事を任せるわけにもいかない。


 報告書でさえこれなのだから、発注書なんて任せたら、大惨事になるのが目にみえてるわ。


 ……ああ、今晩もこの部屋のソファで眠る事になりそう。


 もうずっと部屋に帰れてないわ。


 寝台で寝たのなんて、もうずいぶんと前の事のように思える。


「……こうなってみると、あの娘はやっぱり、本当にすごかったのね」


 かつて目をかけていた後輩侍女の事を思い出す。


 アルくんが懇意にしていた商会の推薦で登城してきたあの子は、難易度が別格の内宮侍女試験を主席で突破して入宮したと聞いているわ。


 その家格に見合わない成績と、おっとりとした見た目と性格のせいで、彼女はすぐに内宮侍女達のいじめの対象にされて、王太子専属侍女の役目まで押し付けられてたわね。


 専属にも関わらず、他の侍女の仕事を押し付けられ、それでも不満ひとつもらさずにこなそうとする要領の悪いあの子を見るに見かねて、いろいろと教えてあげたのよね。


 学園に通わず、すべて独学で知識を身に着けたのだという彼女。


 ……さすがにわたくしの見様見真似で、魔法まで喚起して使いこなしたのには驚いたわよね……


 やがて仕事の要領を掴んだ彼女は、いつしかわたくしの仕事を手伝ってくれるようになって――


「あ~、いまこそ助けてよぉ。リディア~」


 病に倒れたお父様の看病の為に王宮を辞した彼女が今居てくれたなら、どれほど助かるだろうか。


 机に突っ伏して、わたくしは足をバタつかせる。


 皇太子宮をたったひとりで回していた彼女ならば、この頭の悪い書類の山だってまたたく間に切り崩してくれるに違いないのよ。


 そもそもわたくしの侍女という立場は、本来は仮初の――表向きの立場でしかなかったはずなのに……


 政変以降、まるで本業ができていない。


 必要最低限はこなしているけれど、最近はどちらが本業なのか自分でもわからなくなってきているくらいだわ。


「――アルくんもさぁ……」


 ポツリと、仕える主の名を呟く。


「……もう二年よ? どうせお師匠のトコにいるんでしょう? 連絡くらい寄越しなさいよぉ……」


 誰にも聞かせられない呟き。


 結界を張り巡らせた、この部屋だからこそ漏らせる弱気だわ。


 と、その時。


 乾いた音を聞いた気がして、わたくしは顔をあげる。


 ――聞き間違いじゃない。


 結界に干渉――いいえ、このままじゃ……


 硝子の砕け散る音と共に、わたくしが張り巡らせた結界が壊された。


「――ッ!?」


 部屋の外にその音が漏れないよう、わたくしは指を鳴らして防音障壁を喚起する。


 それと並行して足を踏み鳴らし――


「――現われよ!」


 周囲の魔道を探る探査魔法を喚起した。


 放たれた魔動が球状に広がり、不可視の気配が窓を透過して机に降り立つのがわかった。


「――来たれ、雷精っ!」


 いずこかからの襲撃かと、わたくしは右手に稲妻を宿す。


 ――けれど。


 それほど大きくない――手の平に乗るほどのそれは、机の上で二、三度跳ねて転がると、染み出すようにその姿を現す。


 丸い――ひどく丸い鳥だったわ。


 お師匠のところにいた、クロちゃんやドールズちゃん達を彷彿させるわね。


 胸に銀晶が埋め込まれている事から、この鳥が魔道器なのだとわかった。


 たぶん、<囁き鳥ウィスパーバード>の一種だと思う。


 わたくしと目を合わせて首を傾げたその魔道器鳥は、「ピィ」と鳴いて――


『――久しぶりだな、エレ姉、元気か?』


 まるで数日ぶりの挨拶でも交わすかのような気安い口調の声を発した。


 その声を聞き間違うわけがない。


 幼い頃は実の弟のように可愛がっていた事だってあるのだから。


「――アルくん!?」


 わたくしは思わず、驚きの声をあげる。

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