閑話 盲目の新王
閑話
「――だから、足りんと言っているのだ!」
謁見の間にレントンの怒号が響く。
「騎士達は今も魔物の侵攻を防ぐ為に戦っているのだぞ!」
彼の訴えに、大臣達は困惑の表情だ。
グランゼス公爵領で大侵災が発生して一月。
歴史上、類を見ないほどに巨大な侵源は発生から一週間ほどで領都を呑み込み、今も拡大を続けているのだという。
王宮に大震災発生の報が届けられたのは、発生から一週間ほど経ってからだった。
大臣達の勧めによって、僕は即座に隣接する領地――ローゼスとトランサーを王家直轄領として接収し、領民の避難を開始させると同時に王宮騎士団と魔道局の派遣を決定した。
多くの結界魔道器を使ってグランゼス領の東と南に障壁を築き、魔物の侵攻を封じ込める事に成功したのがつい先週の事だ。
現在、王宮騎士達は魔物達を押し返す為にローゼス領都を拠点として戦い続けている。
「――だが、レントン将軍。いくら兵が足りないと言われても、これ以上は王都の治安すら守れなくなるのだ」
内務大臣が資料を示しながらレントンに反論する。
大侵災発生時に侵源に呑まれたグランゼス公爵と、その嫡男であるサリュート第一騎士団長の後任として、魔神討伐の功績を持つ彼が将軍に任命される事になった。
彼の指揮の元、王宮騎士だけではなく、王都の衛士達も動員することで、なんとか魔物の侵攻は防げているんだ。
「兵だけではない! 食料も武器も、なにもかも足りん!
前線の騎士は満足に食事を取ることも赦されないのか!?」
再びレントンが叫ぶ。
「……食料が足りない? 先週、国庫を開くように指示しただろう? なぜそんな事になっているんだ?」
僕の問いに、内務大臣は首を振った。
「運び手がおらんのです……」
「――どういう事だ!?」
僕は理解できずに問い返す。
「有事の際、前線に荷を送るのは王都の商会に委託していたのです。
商会は王宮からの発注に応えて物資を集め、前線にそれを送っていたのですが……今、王都には求めに応じられる規模の商会はなくなっております」
「そんなはずないだろう?」
アルベルトと懇意だった悪徳商会を排除した事で、正しく商いをしていた多くの商会が商売しやすくなったのだと報告したのは、他ならぬ内務大臣だったはずだ。
「その……現在、王都に残っている大手商会は貴族向けの――宝飾、服飾品を扱うところのみとなっておりまして……」
「――そんな話、聞いていないぞ!?」
肘掛けに拳を振り下ろすと、内務大臣は萎縮しながら額の汗を拭う。
「……加えて、もし仮に運び手がいたとしても、そもそも荷が騎士の求めには到底足りませんよ」
内務大臣が補佐官として連れてきたメガネの男が、資料を手に告げる。
「荷が足りない? 国庫を開けたんだぞ?」
僕の言葉に、内務補佐官はため息を吐きながらメガネを指で押し上げた。
「その国庫の蓄えがないと申し上げているのです。
良いですか? 陛下が設けられた救済院の運営に、どれほど国庫が費やされていると思っているのですか?」
「――貴様、陛下に不敬であろう!?」
内務大臣が補佐官を怒鳴りつけるが、彼は冷笑を浮かべて大臣を一瞥し、さらに続ける。
「不敬? 貴方が説明できないというから、倉庫管理に回されていた私が説明しているのでしょう? 私は官僚としての役目を果たしているだけです」
彼の言葉に、他の大臣達が連れてきていた補佐官達もうなずいた。
「そもそも国庫――とくに食料の不足は、農務大臣によって行われたバートニー芋の仕入れ契約の解除が原因です」
と、農務補佐官が告げる。
「バカが! 悪逆王太子と癒着のあった作物など仕入れられるわけがないだろうが!」
農務大臣が声を荒げる。
「だとしても、すでに納入されていた芋まで処分したのはなぜです?
いや、むしろそれを救済院に回すこともできたでしょうに、貴方は大臣就任直後、すべて廃棄させましたよね?」
「ぐっ……それは――」
「言ってやりましょうか? あなたは廃棄と称してそれを領地で経営している商会に流し、その売上を懐に収めていたんだ」
それが本当なら背任だ。
僕は農務大臣に視線を向ける。
彼はため息をついて。
「やれやれ。窓際に追いやられた貴様を哀れと思って、貴様の副業を見過ごし、今もこうしてこの場に連れてきてやったというのに、こともあろうにこの私を陥れようとするとはな……所詮は悪逆王太子と親しい者か」
「大臣、どういう事だ?」
「今、この者が告げた事は、この者自身が行っていた悪事なのですよ。
この者は前王太子と親しい派閥に居たとはいえ、仕事ができるので多少の悪さにも目を瞑ってきたのですが……まさかその罪を私に被せようとは……
後日、証人を呼んで別途審議なさっても結構ですが、とりあえずこれを証拠として――」
と、農務大臣は懐から一枚の紙を取り出して、衛士を通して僕に渡してくる。
それはバートニー芋の取引に関する契約書だった。
知らない商会の名前と、大臣を糾弾していた農務補佐官の名前が記されている。
怒りで頭がどうにかなりそうだった。
「衛士! その者を捕縛しろ! 自らの罪を逃れる為に大臣に罪を着せようなんて赦されない!」
僕の命令に従って、衛士達が農務補佐官を捕らえる。
「――バカな! そんな紙切れ一枚で調査もなく、この私を捕縛するというのか!?」
「――この国難に悠長に調査などしていられるか! そうですよね、陛下!?」
農務大臣の言葉に、僕はうなずく。
「その通りだ。この有事に大臣は重要な人材――それを貶めようなんて、あなたは国賊も良いところだ」
「――この暗愚が! 見たいものしか見ようとしない、盲目の愚王め!!」
聞くに堪えない罵倒に、僕は衛士を促して退室させる。
「はぁ……宰相が伏せっている今が好機と思ったのかな?
……僕なら与し易いと侮られている証拠だよね?」
現在、リグルドは屋敷で伏せっている。
無理もないだろう。
魔神に殺されたビクトールに続き、嫡男のレオニール、そして大賢者様までもが大侵災に呑まれて亡くなったのだから。
――もうワシに残されたのは、カイルだけだ……
先日、見舞いに屋敷を訪れた際、髪がすべて抜け落ち、痩けた青白い顔で彼は僕にそう告げた。
僕を息子のように思ってくれている彼の為にも、僕はこの危機を乗り越えて見せなくてはならないんだ。
僕は玉座から立ち上がり、居並ぶ大臣や補佐官達を見据えた。
「この場は大侵災への対処を論じる場だ! 無関係な話で混乱させる事を禁じる!」
右手を振って一喝する。
「フム、ならば我らは不要ですな」
そう告げたのは、内務補佐官だった。
「私は陛下に王国の現状をご理解頂く為にこの場に参じたつもりでしたが、どうやらそれは不要な話のようです」
彼はメガネを押し上げてそう続けると、列を外れて出口に向かう。
各大臣が補佐官として連れてきていた者達もまた頷きあって、その後に続いた。
「お、お前達、なにをしているのかわかっているのか!? 職務放棄だぞ!?」
「そうだ! このままでは王宮に貴様らの席はなくなるぞ!?」
大臣達が補佐官らを引き止めようと、口々に声を張り上げる。
「――どうぞご自由に」
謁見の間の大扉の前まで進んだ補佐官達は、そこで踵を返して大仰に一礼する。
「カイル陛下のご活躍、我ら一同願っておりますよ」
そうしてすべての補佐官が謁見の間から退室する。
「――クソ! 衛士、あいつらも背任だ! ただちに捕らえろ!」
国土大臣が唾を飛ばしながら叫び、他の大臣達も同意する。
衛士長が指示を求めて僕に視線を向けてきた。
「王宮が一丸とならないといけない時に、ああいう不穏分子は不要だ。彼らは屋敷に謹慎させてくれ」
先に捕らえた農務補佐官と違い、他の補佐官達は罪を犯したわけじゃないから、牢に繋ぐわけにもいかないのが口惜しい。
衛士達が補佐官らを追いかけて退室していくのを尻目に、僕は玉座に腰を降ろして残った大臣達を見回す。
「……話を戻そう。
前線に糧食を運ぶ人足が足りず、それどころか物資まで不足していると判明したわけだが、この危機を乗り越える知恵を持つ者はいるか?」
僕の問いに、大臣達は腕組みし、考えを巡らせるかのように顔を伏せた。
「――恐れながら!」
と、レントンが手を挙げる。
「人手に関して、救済院の者達を使ってはいかがでしょうか?
税で食わせてもらっている者達――いえ、陛下に救われた者達なのです。事情を話せば喜んで働くのでは?」
「おお! さすがレントン将軍!」
レントンの発案に、大臣達が称賛の声をあげた。
「だが、荷はどうする? 国庫では足りないのだろう?」
建築大臣が続く疑問点を告げる。
「陛下、ここは隣国に援助してもらっては?」
そう告げた財務大臣が、名案とばかりに手を打ち合わせる。
「――そうだ! 勇者アリシアを認定したミスマイル公国ならば、彼女の逝去を悼んで支援してくれるのでは?」
外務大臣が財務大臣の言葉に同意を示し、大使と交渉してみると宣言した。
「あとは徴税ですな。陛下はあまり乗り気しないでしょうが、ことこの国難に至っては、各領に食料や物資を供出させるほかありますまい」
財務大臣はさらにそう続けて、増税の許可を僕に求めてきた。
「……国庫だけでは前線が支えられないというのなら、それも仕方ないのか……」
前線だけではなく、現在、多くの難民が王都に流れ込んできている。
彼らの生活を支えるためにも、国庫の補填は確かに急務だろう。
「わかった。民にはあくまで一時的なものだと言い添えて、徴税を進めてくれ」
「ご英断、感謝致します」
僕の返事に、財務大臣は満足げにうなずいた。
やはり大臣に選ばれる者達は、選ばれるだけの知恵がある。
彼らが慈悲で同席させていた補佐官達には、それが理解できなかったのだろう。
そういえば実務を執る官僚の中には、「自分が一番賢いと思い込んでいる」者が多いのだと政務教育の講師が言っていたな。
彼らは隙あらば自らの利益へと誘導しようとするから、その言葉を信じすぎないようにと僕は教えられていた。
今後、会議は真に知恵ある者――今、この場に残った者達だけで行うべきだろう。
「他にもなにか思いついた案があれば、どんどん挙げてくれ。
僕は悪逆王子とは違って、民の為になるのであれば、どんな案でも採用していくつもりだ!
――この危機を一丸となって乗り切ろう!」
「――陛下の思し召しのままに!」
僕の言葉に大臣達が臣下の礼を取った。
――そして数時間後。
大臣達が出し合った様々な知恵によって、大侵災への対処方針は大枠が決まったのだった。
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