第3話 40

「――アジュアお婆様っ!!」


 防壁を跳び超えて抱きついたあたしを、アジュアお婆様は優しく抱き留めてくれた。


 あたしより頭ひとつ長身なお婆様の胸に顔を埋めれば、懐かしい香の香りがした。


「よく頑張ったね。アリシア……」


 あたしの髪を撫でて、お婆様はそっと囁いた。


「もっと早く来れたらよかったんだろうけどね。

 アタシを前にした時、あやつがどんな手に出るかわからなかったから、出るにでられなかったのさ」


 それからアジュアお婆様は頭上を――空を染め上げた巨大な侵源を見上げて苦笑。


「――にしても、今際の自爆がこの程度とは……本当にくたばったか怪しいもんだね」


「あたし、<青の旋風ブルー・ゲイル>まで使ったんだよ!?」


 魂さえ砕く、というのはお婆様自身の言葉だ。


「ああ。クロの眼で見てたよ。

 だが魔道科学の徒ってのは、いつだって万が一に備えているもんなのさ。ましてあやつは人倫にもとるマッドサイエンティストだ。

 アイツも言ってたろ? こんなこともあろうかと、ってさ。

 ……自分の死に備えていないわけがない」


 深々とため息をついて、お婆様は続ける。


「むしろだからこそ――この星でまだ活動するつもりだからこそ、この程度の自爆なんだろうさ」


「あ、あの……お婆様? あの大侵源がこの程度?」


 最初は聞き間違えかと思ったんだけど……お婆様は間違いなく、頭上で蠢くあの大侵源を「この程度」と認識しているみたい。


「そりゃそうさ。マッドサイエンティストの自爆ってのはね、惑星そのもの――ええと世界を崩壊させたり、それこそ星系――星々まで届くような威力を持った、もっとド派手でどうしようもないもんなのさ。

 それに比べりゃ、今回のは自爆とも言えないお粗末な規模さ」


「……じゃあ……どうにかできるの?」


 最初にエルザが生み出した、二メートルほどの侵源でさえ、この鍛錬場を埋め尽くして溢れそうなほどの魔物を出現させたんだ。


 いま上空に浮かぶ大侵源が魔物を生み始めたら、どれほどのものになるか想像もつかない。


「ああ。アレを塞ぐなんて、造作もないことさ」


 広い袖口に手を差し入れたお婆様は、鉄扇を取り出して広げると、口元を隠して笑みを浮かべる。


「……でもねぇ、ただ塞いじまっても面白くないだろう?」


「は? え?」


 戸惑うあたしをよそに、お婆様は背後の床に倒れ込んだアルのそばにしゃがみ込み、閉じた扇でその赤毛をつついた。


「おい、バカ弟子。このままあのガキに任せといたら、この国は狂人の玩具にされるわけだが……あんた、それでも良いのかい?」


「……良いワケ……あるか……」


 いまだ魔動が弱まったままのアルは、うつ伏せに倒れ込んだまま、かすれた声でお祖母様に応えた。


「……連中は、俺が引きずり降ろす……」


「――フン! まだまだ甘い!」


 と、アジュアお婆様はアルの頭を鉄扇で叩く。


「だがまあ、あんたがやる気になったのはわかった。だからあんたが後々、動きやすいようにこの場を収めてやろう!」


 そう言ってお婆様が浮かべた表情は、あたしとアルが幼い頃に鍛錬を言いつけられていた時のものそっくりで。


「――ゴルバス! おいで!」


 立ち上がったお婆様の叫びに、たった一騎で兵騎より大きな――蜘蛛のような中型魔物を相手取っていたおじいちゃんは、即座に反応した。


『おおおおおぉぉぉぉ――――ッ!!』


 咆哮を喚起詞として魔法を喚起し、騎体に紫電をまとって中型魔物の頭部に突撃をかける。


 <公騎>が突き出した大剣は巨大な牙の並ぶ蜘蛛頭を貫き、さらにその胴体すら突き抜けて居並ぶ魔物達を蹴散らし、突進の勢いのまま鍛錬場を駆け抜けると、あたし達の前で静止した。


『――ババア! 久しぶりだな!』


 大剣を肩に乗せて、おじいちゃんは普段からは考えられない砕けた口調でお婆様に挨拶する。


「フン、今じゃおまえのがジジイだろうが。おまえがそう呼ぶから、バカ弟子がずっとマネちまってるんだよ」


『ハっ! そりゃ俺のマネじゃねえよ。兄貴のマネだ。アイツ、昔から要領が良いから、あんたの前じゃお婆様だのご先祖様だの呼んでたが、裏じゃクソババアつってたからな!』


 ……なんでアルが「クソババア」なんて下町言葉を知ってるのか不思議だったけど、大伯父様の影響だったのね……


「へぇ……」


 真実を知らされたアジュアお婆様は、扇で口元を隠しつつ目を細める。


 ……というか、おじいちゃんってお婆様の前だと、あんな口調なんだ。


 いつも自分の事をワシと呼んで、威厳たっぷりの姿しか知らなかった。


「まあ、ヤツにはいずれお仕置きするとして――」


 お婆様は鉄扇を閉じて、頭上の大侵源を指し示す。


「ゴルバス、ようやくバカ弟子がその気になった。

 今後の布石にこの状況を利用するから、この地は放棄するよ」


「――ああっ!? 民はどうする?」


「アテはある。アンタは騎士達を指揮して、一刻も早く領民すべてを脱出させるんだ。できるね?」


 お婆様の問いかけに、おじいちゃんはうなずく。


『あ、ああ。その為にローゼス家の馬車駅網を領内に広げてあるからな』


 アグルス帝国に侵攻され、越境をゆるしてしまった時に備えて、おじいちゃんはイライザの実家が押し進めていた街道整備網に出資していたんだよね。


「なら、まずはローゼス領を目指しな」


 常にアグルス帝国の侵略の脅威にさらされているグランゼス領の街道は、公都から西は細く網の目のように入り組んでいるのだけれど、東は援軍が駆けつけやすいよう、西アベル渡河街道が整備されていて、ローゼス領都まで最短距離で繋がっている。


 馬車を全力で飛ばせば一日ほどで辿り着ける距離だ。


『だ、だが、いまいる魔物はどうする!?』


「ああ、そういえばそうだったね」


 おじいちゃんの問いかけに、アジュアお婆様は苦笑。


 それから周囲を見回して鼻を鳴らす。


「……この程度の数なら、まとめて行けるかね」


 お婆様はそう呟くと、袖口から左手を出して胸の高さに掲げた。


 その手の甲には青く輝く菱形の結晶がきらめいている。


「――目覚めてもたらせ、<量子転換炉クォンタムコンバーター>」

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